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(by yuki)今、中国で一番盛り上がっていることといえば上海万博ですよね。実は旦那の転勤により北京生活があっという間に終了し、6月から上海に越してきました。そんなわけで、5月1日に開幕して以来、気にはなっていた上海万博に週末ふらっと行ってきました。
開幕直後は人がいっぱいじゃないかと思っていたのですが、入場者数を見てみると5月は20?30万人台なのに、6月に入ると一気に40?50万人台に増えているんです。私が行った6月26日は何と56万人!

さて、上海万博が行われる会場。二年前、上海に長期滞在していた頃、その工事の様子を見ていたものですが、一気に工事しちゃうところがやっぱり中国だなぁ。確かあの頃はそこら中にクレーンが並んでいて、二年後に万博会場ができるなんでとても信じられない光景だったと記憶しています。
上海には、市内を縦断する黄浦江という川があり、この川の東側を「浦東」、西側を「浦西」と呼びます。万博会場は浦東と浦西をまたいで設置されていて、浦西側の会場には各国のパビリオン、浦東側は企業パビリオンなどその他の施設があります。
で、当たり前のごとくどのパビリオンも長蛇の列。人気パビリオンは数時間街の状況になっているため、結局、見たのは日本産業館と、割と人の少ないアフリカや南米系の国のパビリオン。

(by yuki)北京の街をぶらぶらしながら、今日は一人ラーメン屋に入りました。日系ラーメン屋なので、隣では駐在員と思われる日本人のおじさまが、これまた一人でラーメンを食べておりました。そういえば東京で働いていた頃、一人で立ち食いそばとか行くとやっぱりおじさまが一人で食べていたりしたものです。そう考えたら、私は日本にいようと中国にいようと、おじさまが一人で食べるお店に一人で行く習慣があるみたいです。

さて、結婚を機に広州での仕事を辞めて、なつかしの北京に再びやってきた私の毎日はいたって平穏。昼間、旦那は仕事をしているものだから、こうして一人で外食したり、家でDVDに没頭したり、またはジムやプールで運動etc.
働いている友人からはうらやましいと言われるけど、決して専業主婦になりたかったわけじゃない私にとっては、働いている彼女たちのほうがよっぽどうらやましい。駐在員の妻という立場になったからビザの関係で働きたくても働けないだけ。これが私の本音。
納得して結婚したつもりではいましたが、忙しそうに仕事している友人たちの話を聞くと、自分がひどく無力に感じたり、一度家庭に入ってしまうと仕事に復帰することが(特に日本では)とても難しいということ・・・考え出したらきりがないほどたくさんの不安と不満があって、「男のあなたには分からない」と旦那に愚痴をこぼしたりもしていました。でも実際そうだと思う。男の人には、結婚や出産と仕事やキャリアを両立するのが難しい女性の本当の気持ちは分からないと思う。
そんな私でしたが、最近になってようやく少し前向きになることができました。というのも、大学の元クラスメートの韓国人と再会し彼女と話しているうちに、何だか少し目の前が明るくなったような気がしました。

(by yuki)四年ぶりに北京で生活することになりました。2002年から2006年まで北京にいたものの、再び北京で暮らすことになった2010年現在、たった数年でこんなにも変わるものかというくらい北京は変わっています。

まず・・・こんなに車が多かったっけ??自転車やバスはどこへ行った??いつの間に地下鉄の路線がこんなに増えてるんだ??といった交通面。これはもう一目瞭然でその違いが分かります。そして利用する私が、いつの間にか交通の流れが変わっていることに、ついていけていないんです。
特に地下鉄の変わりようが大きくて、知らない路線、知らない駅が一気に増えているし、昔は窓口のおばちゃんに現金を渡して買っていた切符だって、今はみんな当たり前のように日本のSuicaのようなカードを使う。確か、自動券売機だって昔はなかった気がするのに、それもすっ飛ばしていきなりカードになっちゃうところが、中国の成長スピードを物語っているような気がします。

(by yuki)空っぽの部屋を見るのはもう何度目になるだろうか、と考えていました。今日、引っ越し業者がダンボールを運び出していって、部屋に残ったのはスーツケース一つだけ。ここに来た二年前と、部屋は同じように戻ったけど、自分はずいぶん変わったんじゃないかと考えずにいられませんでした。

初めての引っ越しは高校卒業直後のこと。大学入学前の数か月を天津で過ごすため。実家からスーツケースだけを持って一人空港に向かったけど、あの時、実家の私の部屋はそのままで、何も変わりませんでした。
二回目は北京の大学に向かうため、天津の大学寮を後にする時。たった数カ月の滞在だったから、天津の部屋はそんなに変化がなかった。
三回目は、北京からアメリカへ一年間向かう時。二年間過ごした大学の寮を引き払って、でも二年間の間に増えた荷物はたくさん処分しないといけなかった。

(by yuki)しばらく更新できずにおりました。仕事や何やと忙しいと、半年なんてあっという間にたってしまうんだなぁと反省です。

さて、何だか目にものもらいができたようなので、病院に行ってきました。中国では外国人である私は日本の国民健康保険に該当する工商保険や医保カードは加入できないので、会社から支給される健康医療保険を利用しています。民間の保険会社の保険ですが、別途、各種医療サービスもついているので、なかなか便利なものです。
中国の病院で診察する時、普通は1.予約/順番待ち、2.診察、3.支払い、4.治療という順番となっています。私の場合は保険と医療サービスのおかげで、1.はすっ飛ばし、外国人と一部のお金持ちが利用する高級診療室で2.&4.を行い、最後に3.という順番。

(by yuki)5月末に端午節の連休があった中国。最近、連休の度に海外に行っている私の今回の行先は台湾でした。
突然の台湾行きのきっかけは友人とのチャット。アメリカ留学時代に出会った台湾人の友人とチャットで話しながら、「せっかくの連休」「広州から台湾は安くて近い」ということで、翌日には早速チケットを手配したという計画性の無さ。もちろん台湾でどこに行きたいか、何をしたいかなんてことも全く考えていなかったので、あわててガイドブックを買いに行くという始末でした。

今回、会いに行った台湾人の彼女とは、アメリカにいた時にレンタカーで二週間かけて西海岸を旅行したことがあります。私と、もう一人の日本人と、台湾人の彼女と、韓国人の友人の4人。アメリカに留学した別々の国から来た私たちが、まる二週間の間ずっと一緒に行動していたのですから、当然意見の食い違いなどで衝突することもありました。泊まったモーテルの部屋でけんかをしたり、でも一緒にいなければいけないから仲直りもしなきゃいけない。くだらないけんかばっかりだったけど、たまに歴史認識の違いというまともなテーマで言い合うこともあった。今回4年ぶりに彼女と会って、あの頃、彼女が言っていたことを思い出しました。

(by yuki)日本はゴールデンウィークの連休でしょう。中国は労働節で3連休です。4月末にフェーズ5に引き上げられたこともあり、世間では豚インフルの話題で持ちきり、こちら中国でもテレビや新聞では日々豚インフル情報が取りざたされています。各国の感染者数、各機関の発表などなど。そんな光景を見ながら、私はSARSが大流行した年のことを思い出しました。

2003年の年明けから春にかけて、中国の広東省(今まさに私が住んでいる場所)から台湾や北京、さらには他国にまで広まったSARS、中国では「非典型性肺炎」と呼んでいました。当時、私は北京で大学時代を過ごしており、「何だか世間が騒がしいなぁ」と思いながら明けたばかりの2003年を過ごしていました。春になり、中国が正式にSARS を発表すると、私たちの生活は一変しました。大学の敷地に出入りする人は必ず身分証明書が必要となり、敷地内の寮に住んでいた私たちも大学外へ出る時は外出証明書を発行してもらうことが必要となった。そのうち「○○大学で感染者が出た」などという噂も広がり出し、街中ではマスクをつけた人しか見なくなった。全ての建物で消毒という消毒が実施され、まるで消毒剤の中で生活しているくらい服に匂いがしみ込みました。

(by yuki)とある日曜の夜の光景です。こちらに来てから始めたゴルフの練習をするため、一人打ちっぱなしに行き、コンビニに寄って部屋に帰るところでした。練習後のビールを楽しもうと考えながら、コンビニからマンションまでの500mの道には、もう暑くなり始めた広州では、外で涼んでいる人がいっぱいいました。ちょうど私のマンションの向かいに工人(一般的には農民工と呼ばれる地方からの出稼ぎ者)たちのプレハブがあります。部屋の中に水道やトイレはなく、数十人から100人ほどが共用で別のプレハブの中にある水を使用しているような状況で、もちろん部屋にエアコンなんかもない。夕涼みをするには屋外が一番なんでしょうね。Tシャツのすそをまくりあげてお腹を出しながら、道路に座り込んで仲間たちと飲んだり話し込んでいる彼らの横を、一人夜に歩くのはなかなか怖いものがあります。

(by yuki) 前回・前々回は「中国人の反日感情」「日本人の反中感情」を書いてきました。では、私自身の中国や中国人に対する思いはというと……複雑です。嫌いではない。でも100%好きという感情だけではないのも確かです。
もちろんこの国の全てが好きなわけじゃない。何年もこの国で生活しているけど納得いかないところはいっぱいある。でも…「日本のアニメや文化は好きだけど、日本や日本人は好きじゃない」なんてセリフ、できれば聞きたくない。日本人のことを良く思わない中国人は多いし、そのせいで中国のことを良く思わない日本人も多い。だから自分くらいは「悪い面も含めて、中国に歩み寄る日本人」でいたいと思います。

(by yuki)先日、現地採用の日本人同士で集まった時、何かのきっかけで「今、自分は幸せか?」という話題になったことがあります。
「特に不満なんてないよね」
「(中国にいると)刺激があって面白い」
「自分の部屋があって、生活に困らない程度のお金があって、言葉さえできたら特に不便はないなぁ」
「仕事は裁量の幅が広いから、働いていて面白い」
「年に一回くらい日本に帰って気分転換したら十分」
「今、幸せか?多分けっこう幸せだと思う」
そんな声ばかり聞こえてきました。
私もそう思っているので、この時は気にもとめなかったのですが、よく考えたらこの事実ってけっこうすごいことじゃないのか?と思わずにはいられなかったのです。
私自身、中国で現地採用として働くようになってから一年。中国での法律に基づき、次の一年間の契約をするかどうかという話を会社とする機会があって、迷うことなくサインをしました。特に今の会社を辞めたり日本に帰国する理由が、今はない。だって毎日楽しいし、けっこう幸せだと思えているから。だから、私に限らず他の現地採用の彼ら彼女らも同じような思いでいるんだということを思い出して、実はHappy Peopleの集団だったんだという気がしてきたのです。

(by yuki) 私に反中感情のかけらもないと言えば、やっぱり嘘になるかもしれません。戦争や歴史問題と直接には関係のない世代の私は、ずっと日本にいた18の頃までは反中というよりも中国に対して特別な感情はもっていませんでした。好きとか嫌いなどという感情もなく、単に興味がなかったのでしょう。今の私が多少なりとも持っているかもしれない反中感情というのは、この国に来てこの国を少しは理解できたような気がするからこそ生まれたものだと感じています。

私が自分以外の日本人から感じる反中感情、対中感情というのが、年齢別に分けることができるのではないかと思います。

例えば私と同じような世代の人の中国のイメージは「飲茶、マッサージ、パンダ」という定番のイメージがあり、最近では「毒入り餃子、オリンピック」などなど。総じて言えばすごくライトで、他のどの年代よりも友好的です。

(by yuki) 日本のテレビや新聞で毎年取り上げられる「反日」ネタ。簡単にはまとめられないのかもしれません。が、本当に「反日」を体験・実感した日本人って、どれくらいいるのでしょうか。

私が中国やアメリカで学生時代を過ごしたのは、小泉さんが首相を務めていたあの数年間でした。毎年、終戦記念日が近づいてくる度、小泉さんの靖国参拝が噂される度、「小泉さん、どうか靖国参拝はしないでくれ!」と心の底から思っていました。
政治の世界のことは分からない。歴史について深い知識もない。日本人として意思表示することも当然だと思う。それでも、反日感情が存在する国に暮らす日本人のことを、ほんの少しだけ考えてほしい、といつも思っていました。
反日感情が煽られる度、その影響を直に受けるのは、かつて日本が侵攻した国や地域で生活している一般の日本人です。SPがついて、日本で安全に守られている政治家じゃない。

(by yuki)今年の旧暦の初一は1月26日。その一週間ほどは企業も春節の休みとなり、みんな地元へと帰省する大移動がはじまります。
12月のはじめに街にはクリスマスツリーが並び、日本人にとっての正月である1月1日を過ぎてもクリスマスツリーは相変わらずライトアップを続け、「いい加減に片付ければいいのに・・・」と思っているうちに、1月中旬にはクリスマスツリーがみかんの木に置き換えられています。(地方によって違いますが、広州の場合はみかんの木と菊の花が飾られます)中国のお年玉である「紅包」の袋が、七夕の短冊のようにみかんの木にかけられて、みかんのオレンジと菊の黄色が並び、街中にみかんの香りが溢れる様子はなかなかの見もです。
家の門には「福」という字を逆さにした文字(中国語で「福倒了(福が倒れる)」と「福到了(福が訪れる)」の発音が近い)を飾り、店には真っ赤な装飾がほどこされ、見ているだけでおめでたい気分になれます。
休みの間中そこかしこで爆竹の音が鳴り響き、休みが終わってしばらくは路上に残っていた爆竹が車に踏まれて「パーン」と鳴り響いたりもします。

(by yuki)広州からバンコクまでは2、3時間、寝てる間に着いてしまう距離です。日本も中国もタイも同じアジアの国。これまで「知恵市場」では日本と中国の違いを書いてきましたが、今回タイに行って中国とタイの意外と似ている点、やっぱり違う点も見つけたような気がします。観光地の建築物やビーチの風景よりも、道端の物乞いや人々の生活ぶりに目がいってしまうのは、私はその向こう側に中国を見ていたからかもしれません。

仏教国であるタイは、町の至る所に仏像がありました。華僑タイ人ガイドの話では、タイの男性は出家が義務づけられているとのこと。私は仏教に限らずどの宗教も信じていないので、神にしろ仏にしろ何かを信じるという姿が生活に溢れているのはすごく新鮮でした。仏像と同じくらい国王の写真が飾られているのは日本でも見かけない光景ですが、中国で毛沢東の写真を飾る感覚に似ているのかなとも感じました。

(by yuki)中国の正月は旧暦で見るため、今年は1月26日が初一の正月でした。私の会社も春節休みの連休となったので有給を足し、寒い中国を飛び出しタイ旅行に行ってきました。本当は自由に日程を組んで旅行に行きたかったのですが、急遽タイに行くことにしたため中国人のツアーに混じっての参加となりました。ツアーということで予定はあらかじめ組まれており、行先はバンコクとパタヤという王道コース。いかにも観光客が好んで行きそうな所ばかり連れて行かれ、しかも説明はすべて中国語という何とも不思議な一週間でした。バンコクとパタヤの感想よりは、“中国人ツアーに参加した日本人の感想”を書いてみたいと思います。

(by yuki)私の同僚には中国人、韓国人、台湾人、日本人がいます。中国といえど日系企業なので中国人、韓国人、台湾人の彼らのほとんどは日本語が話せます。日系企業といえど中国なので日本人の私たちもほとんど中国語が話せます。そんなわけで、社内では中国語と日本語が飛び交っていて、ここがどこの国か、自分たちが何人なのか、冷静に考えたらよく分からない状況になっています。
私は中国人と台湾人の同僚とは中国語か日本語で、韓国人の同僚とは日本語か英語で話をします。バイリンガル、マルチリンガルばかりの職場なので、中国語で質問して日本語で答えが返ってくるのも当り前。お客さんは日本人が多いので日本式の接待もあるし、中国人の同僚と飲む時は中国式の乾杯もある。一つの会社の中で、まさに小さなアジアが形成されているような職場です。そんな職場の、同僚の話を書いてみたいと思います。

(by yuki)2008年の年末、日本の友人が広州に遊びに来ました。3泊4日という短い滞在でしたが、少しでもリアルな中国を肌で感じてもらおうと、スケジュールをパンパンにしてあちこち連れまわしました。「知恵市場」を通して、日本の日本人に本当の中国を伝えたいと思っていますが、やっぱりこの地に来ないとリアルさは伝わらないのではないかという思いもあり、私の友人が今回の滞在で何かを感じてくれていたら、と願います。
広州や香港を案内しながら、中国という国に何年もいる私には当たり前のことでも、初中国の有人にとっては相当に衝撃もあったようで、私にとっても改めて中国と日本の違いを実感させられる数日間でした。

(by yuki)最近、Jeffrey Sachsの「貧困の終焉」という本を読んでいます。500P以上にも渡る本で未だに読み終わってはいませんが、読み進めながら、「『全人類のうち10億人が1日1ドル未満で生活している』ことを知っている日本人はどれくらいいるだろう?」「自分たちはどれほど恵まれた世界に生きているか自覚している日本人はどれくらいいるだろう?」と考えずにはいられませんでした。この手の話に興味はあったけど、様々なデータを数字で見せつけられると、「知らなかった自分」にショックを感じながら、数年前の出来事を思い出している自分がいました。

「亡くなっている人を見かけた」皆さんはこの言葉からどのような死を想像するでしょうか?
家族に見守られ天命を全うした人。病気により病院のベッドで息を引き取った人。交通事故や事件や天災で不慮の死を遂げた人。自ら命を絶った人。
私が思いつくのはこれくらいでした。

by yuki)中国で環境保護意識というものが徐々に広がってきた(芽生えてきた?)気がします。私自身もそんなにえらそうなこと言えるほど環境保護に一生懸命取り組んでいるわけではないけど、数年前に初めてきた時と今とでは、この国で感じるものが少しちがってきたことは事実です。

生活者として一番身にしみて感じるのは、中国でエコバッグが当たり前になったということ。2008年7月(6月?)から施工された法律により、スーパーやコンビニなどのレジ袋が有料化となったことで、消費者が「環境袋」と呼ばれるエコバッグを使うようになったのです。使い捨てのレジ袋は一枚あたり2角(3円)くらいからということで、日本人の感覚としては安い。有料化といってもついつい使ってしまいがちなところがあり、「ちりも積もれば山となる」ではありませんが、毎回レジ袋にお金をとられるのもいやなので、私自身もエコバッグを持ち歩くようになりました。

(by yuki)仕事

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(by yuki)仕事柄、車での移動が非常に多いのです。目的地まで1時間なんていうのは近いほうで、片道2,3時間、一日平均5,6時間は車に乗っている毎日です。もちろん外出先で一人の食事なんていうのも当然のことであって、それがファミレスやオシャレなカフェではなく、田舎のローカルな食堂でおかず一品と白飯を頼んで素早くかきこむか、またはコンビニで買った肉まんや弁当を移動の車中でほうばるということが日常。
広州市内ではコンビニがあっても、少し地方に行くと小さな商店しかない田舎では、更に地方から出稼ぎに来た男たちに混じって、2元(30円)の餃子や6元(90円)の牛肉面を、小汚い食堂でがっつくスーツ姿の私…。食堂で出される明らかに清潔ではない皿やレンゲをお茶で洗う姿も板についてきたし、極力日本人だとバレないように中国語の発音に細心の注意を払うことも当り前。

(by yuki)フリーターという言葉が聞かれるようになってからずいぶんと経ちますが、中国でフリーターとして生活する日本人が多いことをご存じでしょうか?
中国でフリーターをするということは、十数元(200円)ほどの時給をもらって飲食店でアルバイトをして生計をたてる。どんなに頑張っても、月数万円の収入にしかならないわけで、生活は決して楽じゃないのです。日本の年金や保険とは無縁だし、何かあった時に頼れる家族は遠く離れた日本にいる。

日本の家族や友達と離れて海外で働くという点は私も同じですが、現地採用といえど正社員である私は、中国の日本人フリーターより生活は楽だろうし、明日の生活費や家賃の心配はしなくてすむ。だから、経済的にも精神的にも大変な思いをしてまで一人異国でフリーター生活を続ける彼らが、本当は何を考えているのかすごく興味があります。

(by yuki)遅い夏休みということで、10日間ほどの一時帰国でした。巷では中国の食品についての話題が多くて、私も会う人みんなに「大丈夫?」と尋ねられました。確かに問題はあるのでしょうが、私自身は世間でとらえているほどの問題意識はなく、もう何年も中国で生活しているからそれなりに体内に蓄積されているんじゃないのかなぁとぼんやり考えている程度だったりするのです(笑)。それに中国にいると時々なる胃腸炎は友達のようなもので、よくは分かりませんがそれなりに抵抗力がついて、むしろ昔よりタフになっているかもしれません。

日本では外食する機会が多かったのですが、「食べ残し」についてちょっと不思議な感覚がありました。昔、日本では食べ残しが大量にあってもったいないと思うことが多かったのですが、もしかして中国(都市部に限定しての話ですが)のほうが多いんじゃないかと感じてしまったのです。人口ではなく、一人当たりが残す率というところでしょうか。

(by yuki)日本に一時帰国できるチャンスがやってきました!中国では国慶節の連休があり、通常は一週間、国をあげてほぼすべての企業や学校が休みとなります。国務院の発表では今年は9月27,28は出勤、29日から10月5日は休みと決められています。もちろん私もこの時期は休みとなるわけで、更に有給を足して日本へ帰る!と数か月前から決めていました。生活のベースは中国、夏休みや冬休みは日本、そんな大学生活を送っていたから、私にとって日本への一時帰国は定例の海外旅行のようなもの。中国での生活は自分の意思で選んだから多少の不便さは何とも思いませんが、でも日本はやっぱりいい!たまにしか帰らないからこそ、日本では当たり前のことがすごく嬉しかったり感動したりしてしまいます。

(by yuki)五年間の海外生活で、「他国から見た日本とは」「日本人のイメージとは」を考えさせられる場面が多くあって、今でも考え続けています。日本人として、やっぱり海外の人に日本や日本人を好意的に見てもらえたほうが嬉しい。ただ、“好き”か“嫌い”かの感情で言えば、私がずっと感じ続けているのは、“好き”ではなく、“嫌い”か“興味ない”のどちらかが圧倒的に多いなぁということです。

中国で生活するまで、日本人は中国人に嫌われていると思っていました。理由はすべて戦争であり、日本人はとにかく謝らなければいけない、それ以外に日中友好なんてないものだと思い込んでいました。

中国に来たばかりの頃は中国語が分からなくて、日本語に比べ語気が強い中国語を聞くと何か文句を言われているのかなじられているという気すらして、自分の考えを上手く伝えることもできなかった。言葉が分かるようになると、ただの会話だということも理解できたし、強気で自分の考えを言うこともできるようになりました。

(by yuki) 天津・北京・上海・広州など、いわゆる“大陸”の中国しか知らなかった私にとって、香港においてあらゆることが新鮮でした。(以下、香港以外の中国を“大陸”と表現します)

例えば値切りが通用しないこと。大陸の市場なんかでは本当の値段なんかそうそうでてきません。客が中国人だったとしても、値切ることは当然なのです。日本人をはじめ外国人が市場で買い物をする時なんて、あるべきはずの値段の5倍から10倍を言われるのは日常茶飯事で、はじめて大陸に来た頃の私も相当苦労しました。中国語での値切りに慣れてくるとかなり正当な額で購入することはできるようになるのですが、それでも5分10分は店員と押し問答を繰り広げるというもの。ところが香港では押しても引いても値切りがうまくいかない。値切ってもたいした差額じゃない。広東語が話せないからか、または私の値切りテクニックが香港にマッチしていないのかは分かりませんが、友人に聞いても香港では大陸ほど値切れないとのこと。ということは、香港でははじめから正当な額に近い価格を提示しているのでしょう。

(by yuki)私の住んでいる広州から香港までは電車でわずか1時間半。香港がイギリスから中国に返還されたといっても、香港と香港以外の中国がやはりどこか別の国に感じられて仕方ないのは私だけではないのではないでしょうか。ある週末、一泊二日で遊びに行ってきました。

朝いちの香港直行列車に乗るため午前7時半に広州東駅へと向かい、まず駅へ入るために荷物検査を受け、更に税関のところでも再度荷物検査を受けなければならず、多少めんどうくさいのは仕方ありませんが、出境スタンプを押してもらいひとまず香港直行列車に乗ります。広州から香港の間は本当の国境ではないのかもしれませんが、それでも列車で国境(のようなもの)を通過する感覚は、海に囲まれた国に住む日本人にとっては新鮮なものではないでしょうか。時間があれば列車で中国からタイやベトナムに行くのも面白そうだなぁなんて考えてしまいます。

(by yuki) 2008年8月8日。待ちに待った北京オリンピックの開幕式が行われました。思えば私にとって長かったこの数年間。学生としてはじめて北京に来た2002年も、大学を卒業して北京オリンピックの時に北京にいたい一心で北京で就職活動をしていた2006年も、そして結果的に北京ではないけれど中国の広州という場所にいる2008年の今も、ずっとずっとこの日が来るのを待ち続けていました。単にオリンピック好きな日本人というわけではなく、中国人が自国でオリンピックが開催されるのを心待ちにしている気持ちに近いものがあるかもしれません。

開幕式当日は金曜ということもあり、翌日のことを考えずに夜更かしができました。そのため私は職場の中国人や日本人の同僚と一緒に、その様子をはじめから最後までテレビで見ました。「最終の聖火ランナーは一体誰だろう?」そんなことを仲間内で話しながら、6年間待ち続けたその瞬間を待っていました。
6月末に見た鳥の巣は、ちゃんとできているのだろうか?北京の街は、やたらと厳重な警戒態勢がひかれ、逆に暮らしにくくなっているんじゃないか?
考えれば考えるほど疑問はふくらみ、私の期待もふくらみ続けた数時間でした。

(by yuki) 仕事に費やす時間は日本人と中国人で大きく違いがでます。中国人スタッフは日本人ほど残業をしません。でも彼らから見たら日本人が残業しすぎなのでしょう。私は毎日彼らと顔を合わせ、話をして、一緒に時間を過ごしています。彼らの多くは定時終了時刻になったら一人また一人と帰って行き、定時終了時刻の30分後にはオフィスはガランとした状態になるほど残って残業する人が少ないのです。ですが別に仕事に手を抜いているとは思いません。むしろ、上司に自分の意見を堂々とぶつける姿や、電話で相手と交渉している姿を見たら、業務時間は業務に集中してプライベートの時間と切り離しているだけなのだな、と思ってしまいます。中には遅くまで残業する人や、朝誰よりも早く出社して業務を開始している人もいます。それって中国に限らず、日本のどの企業にもある光景ではないでしょうか。

(by yuki) 日本と中国はビジネスにおいて切り離すことができません。取引先が中国の企業、オフシォア先や生産拠点が中国、社内の中国人スタッフなどなど、いずれにせよ日本のビジネスパーソンにとって、中国人とどのように付き合うかというのは避けて通れない道だと思います。今回は、中国で主に中国人の同僚と一緒に働く身として、「中国人の同僚とどう付き合うか」について書いてみたいと思います。
まず中国における日系企業を例にとり、それらの企業で働く人を分けてみると一番大きなくくりは「日本人」と「中国人」となるでしょう。“中国で現地採用で働く日本人”の私としては、それを「日本人駐在員」「日本人現地採用」「中国人幹部」「中国人スタッフ」という更に細かく4つのくくりに分けてこそすっきりとします。私の私見ですが、4つのくくりの人たちは何かとお互いに気を使いあっています。

(by yuki) 北京は私にとって第二の故郷です。2002年から2006年まで、途中一年間を除き大学時代をどっぷりと過ごした大好きな場所です。その北京へ2年ぶりに遊びに行ってきました。

【オリンピック村】フェンスで囲まれており敷地内へ入ることはできないため、車で横を通ることしかできません。鳥の巣は今でも工事をしているようでまだ屋根にはクレーンが見えました。夜になると赤と青にライトアップされ、その横に屋内プールの建物が隣接しています。道路をはさんでオリンピック会場の向かいには選手村の建物らしきものがあります。外観はできているのですが、近くで見てみるとまだ内装がまったくできていません。工事をしている人が100人はいたし、彼らの寝泊まりするプレハブもまだオリンピック村の敷地内にあります。工事を終えプレハブ撤去をあと1カ月でできるのか?と疑問が残ります。オリンピック村から200mほどの場所には取り壊し中の建物。汚いものを隠せと言わんばかりで、むき出しのコンクリートの塊がポツンとあり、その様子が何とも寂しいのです。

(by yuki) 2002年にはじめて中国に来てから今まで、期間の長さは違えど中国の各都市で生活してきました。北から南まで、私が見てきたそれぞれの都市を比べてみると「中国」という言葉一つではまとめられないほど違いを実感します。

北京は私が中国で一番長い時間を過ごした街です。2002年から2006年まで、途中一年間はアメリカにいた時期もあるのですが、学生時代をどっぷりと過ごした第二の故郷です。中国の首都、政治の街ということもあり、今まで行ったことのある中国のどの都市よりも国際情勢の影響を実感しました。過去に起こった事件やイベントを見ても分かるように、北京の人は感情をたっぷり持っておりそれをフル活用しているような感覚を受けます。タクシー運転手も学生も、政治ネタや国際ネタを議論するのが大好きで、そのあまりの熱に時々どうしていいか分からなくなってしまいます。

(by yuki) 中国で買い物をして、店員と客のやりとりが変わりました。中国の販売方法が日本と大きく違うのは、客を動かすところ。どのような流れかというと…
1.購入する商品が決まったら店員に告げる
2.店員は複写式の発票(請求書)をかく
3.客は発票をもってキャッシャーのいる別カウンターで支払う
4.客は発票の控を店員に渡して商品と交換する。
日本のデパートなんかでは店員がレジまで行く、コンビニやスーパーだと客が商品を持ってレジへ行く、というのが普通です。中国の国有デパートでは客を動かすことが多いのですが、日本式の購入方法もだんだんと増えてきました。しかし、一番驚くのは接客態度の変化が大きいことです。すごく×100良くなっているんです!客である私のほうが戸惑ってしまうなんておかしな話ですが、それほど大きな変化です。

【6年前】
私:「(遠慮がちに)すいません。これください。」
店員:「○元。」(と言って、商品とおつりを放り投げる)

(by yuki) 90年代後半から、中国で“XX後”という言葉が使われるようになりました。XXに入れるのは生まれた年代。1980年代生まれの私は“80後”となるわけです。
どこの国、どの時代にも「今時の若者は…」と“言う人”と“言われる人”がいて、少し前までは私も言われる立場でした。しかし上海の夕刊で見た記事によると、もう「今時の若者」ではなくなってしまったようです。では、中国人の各年代の特徴は何かというと・・・

70:仕事バカのほとんどはこの年代
80:残業拒否!
90:出勤拒否!

70:郊外に家を買い毎朝一時間かけて車で通勤
80:朝は長く寝たいから部屋は賃貸で会社の近く。自転車か徒歩で通勤
90:住むのはどこでもいい、彼氏が好きな場所なら

70:連休には旅行に行って、観光スポットでピースサインの写真
80:連休は家で寝るか友達とカラオケに行く。旅行の写真は景色だけ
90:毎日が休日!今年からゴールデンウィークが短くなったけどそんなの関係なし

(by yuki) 途上国や貧しい地域では物乞いを見かける機会が多いと思います。中国は途上国ではありませんが、この国で数えきれないほどの物乞いを見ました。そもそも「物乞い」という言葉が正しいのかどうかも分かりません。でも、日本で見かけたホームレスとはやっぱり何かが違う。
物乞いを見かけることが日常になると、(私が勝手にそう呼んでいる)「職業物乞い」や「ニセ物乞い」と本物の「物乞い」の区別も、何となくつくようになってきました。
例えば先日、出張で行った上海で見かけた物乞いは10分の間に5人です。中国の最大都市・上海で、です。

【一人目】地下歩道の階段に座り込んでいるおじいちゃん。
目の前に置いた空き缶を見つめたようにじっとしたまま、声を発するわけでもなく、ただただその場にいて、体力を使わないようにしているように見える。そういえば、このおじいちゃんは昨日も同じ場所にいた。

(by yuki) 四川の地震、相当な被害になってしまいましたね。中国のテレビで放送される日に日に増えていく死傷者の数を見て胸が痛むと同時に、中国政府の情報統制というかプロパガンダには驚かされます。(本当はもっと別の言葉で表現したいところですが、今現在、社会主義国家である中国に生活している私としては、身の安全のためこの程度の表現しかできません)

こちらのメディアでどのように報道されているかというと…簡単にまとめると2タイプです。
1.映画風
各局で被害状況や救出場面を感動的な音楽にのせて流しています。タイトルをつけるとすれば『被災者救出の瞬間』と『胡錦濤・温家宝の被災地訪問』が半分ずつ。後者については音楽が終わると、胡錦濤・温家宝が被災者に対して声をかけている様子が延々と。彼らは何箇所も回っているようですが、よく聞いていると同じセリフしか聞こえてこないです。

(by yuki) 「安全はお金で買うもの」ここ広州に来てから久々にそのことを思い出しました。

仕事帰りに中国人の同僚と食事をして帰る途中、横断歩道で信号待ちをしていたら、背中に「ボフッ!」と衝撃が。振り返ると完全にイッタ目つきの中国人男性がこちらを睨んでいました。突然のことだったので蹴られたのか殴られたのかは分かりません。これ以上面倒なことに巻き込まれるのはごめんだと思い、湧き上がってくる怒りと痛みをおさえその場から離れるしかありませんでした。

北京や上海では夜でも歩いて帰ることが普通だったのですが、南ではだいぶ状況が違うようです。北京や上海と同じ感覚で過ごすと危ない目に遭うなぁと実感します。日本から駐在で来ている日本人の方は、社用車で送迎してもらえるのが普通。しかし私のように現地採用の日本人は、やっぱり地下鉄やバスで通勤せざるをえない。朝はそれでいいとしても、帰りはタクシーで帰ろうかな。

(by yuki) カルフール不買運動。今回の対象はフランスでしたが、私たち日本人が覚えているのは2005年春の反日デモや日本商品不買運動でしょうか。その当時は、アメリカにいたので中国の生の様子を体感することはできませんでした。しかし、北京にいた日本人の留学仲間に聞いた話では、割と大変だったみたいです。タクシーに乗るときは日本人でなく韓国人と言わないと乗車拒否された(中国語の発音でネイティブ中国人でないとバレてしまうので)とか、物を投げられたとか。反日デモの時期じゃなくても、たまにそんな目に遭うことはあるのですが、多分その頃は普段と比べて頻度がすごかったのでしょう。

そういえば、1999年と2001年にはアメリカの商品の不買運動があったようです。こうして見てみると、中国って不買運動が盛んなのでしょうか?それとも世界各地で不買運動は日常的に起きていて、私がそれを知らないだけかな?

(by yuki) 今、中国について一番の話題といえばやはりカルフールの不買運動でしょう。
こちらの雑誌で取り上げられるのはパリでの華人の集会と中国各地でのカルフールの不買運動について。新聞で取り上げられるのは北京オリンピックについて盛り上がっている様子が毎日何面にもわたり特集され、合間にチベット騒動の被告人の刑期について。チベット騒動については“3・14”、パリでの集会については“4・19”なんてそれぞれ呼ばれています。
しかし…そもそも事の発端は3月のチベット騒動のはずだったのでは??チベット騒動→→聖火リレー、仏大統領発言→→カルフール…となっているのでしょうか?中国での報道を見る限り、チベット騒動についてよりもカルフールへの不買運動についてのほうがメインになっています。

ある「中国新聞週刊」という雑誌を例に、中国でどのように報道」されているのか紹介してみたいと思います。

yukiです。18で日本を飛び出してから、中国(天津、北京)、アメリカ(サン・ディエゴ)、日本(東京)再び中国(上海、広州)と世界をぐるぐる周り、一応(?)トリリンガルになりました。現地にいないと分からない“生の中国”レポートをお送りしたいと思います。