take(たけ)の最近のブログ記事

(by take)僕には思い出深い皮ジャンが自宅に置いてある。

震災の後、生まれて初めて支援としてタダでもらった救援物資の皮ジャンだ。

配給があった時、両親は自営業の店舗が全壊で仕事も収入もなかったが、会社員の僕は仕事に出ていたので、避難所暮らしとはいえ収入がある身であった。

皮ジャンは救援物資で衣料品が届いた時、母が並んで見つけてくれたものだったが、もらった時かなり複雑な心境だった。もっと悲惨な状況の人もいる中、被災者ぶって収入もあるのに物をもらうことに抵抗があったのだ。
「乞食じゃないし、収入もあるよ!誰かにあげれば?」と言いたかったが一生懸命並んでもらった母の事を思うと、言いたい気持ちを押し殺した。

そして数日後凍てつく寒さの朝皮ジャンが着替えの服の横にあった。初めて人の服を着た。そして、朝5時に当時は家から15キロほど離れた開通したばかりの電車の駅まで自転車で走っている時、初めて皮ジャンの温かさを感じた。冷たい風から体を守ってくれるその服には、支援してくれた人の真心といくつになっても子を思ってくれる母の温かさがあった。

その時人の優しさについてしみじみ感じた。うれしくなった。

今はそのお返しを僕たちはする番が来たと感じている。

(by take)地震

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今回の地震は、まさに未曽有の災害であり、送られてくる映像に強いショックを受ける毎日であった。そして驚いた事は、被災した阪神大震災の事が自分自身で思っていた以上にしっかり心に刻み込まれていて、今の行動に強い影響を与えている事だった。

もちろん忘れることはないのだが、過去の経験であり一区切りを付けた出来ごとだと捉えていたが、でも今回の地震の映像を見たときの心拍数の上がり方はPTSDの様で体が震える思いがした。でも走馬灯のように色々と思いだす中で、今回の震災にあった人の中には、きっとあの阪神大震災の時心を痛め何か力にと、手を貸してくれた人が少なくともいるだろうと思った時、体中にアドレナリンがあふれ出し、何とか役に立ちたいという思いに今も突き動かされている。

あの時も同じだった。あの時から僕は「性善説」を信じるようになった。どうしようもない時人は横にいる人の事を思いやり、やさしい行動が取れる。僕たちも同じことをやった。早朝起きた地震、街中を走りまわり唯一見つけた「動いている自動販売機」で飲み物を買って近所に配った。深夜11時にようやく届いた一人2個の配給のおにぎりを老人から配り、彼らの為に自分の毛布を譲った。自然に当たり前に文句も言わず並んで順番を待ち、自分より弱者に順番を譲る事をみんなが普通にやっていた。今回もそうだと思う。

だから日本という国は本当にすごい。16年経ってもこの本質は受け継がれている。表面的には色々変わって、色々言われても、実は変わっていない。ひょっとしたら昭和、大正、明治にさかのぼっても変わらない行動なのかもしれない。これをきっと「文化」というのだろう。

でも今度はこの思いが静かになる前に、社会にシステムとして思いを表面に留まる何かを築きたいと思う。何が出来るか考えたい。そして伝えたい。

そして地震から数カ月後から猛威をふるう、欲望やねたみ言い訳などにどう付き合うか、どうやってコントロールするかを考えたいと思う。経験をシェアーすればいくらかの人にはヒントになるかもしれない。

誤解を恐れずに言えば、未曽有の災害は強い苦痛や悲しみももたらすが、悪いことばかりではないと思う。色々な事を思い出させてくれる。前に進む力を与えてくれる。震災がなければ僕はここセブでは暮らしていないだろう。震災があったからめぐりめぐってセブにたどりつき、結婚して子供に恵まれ人並みに幸せを感じる生活を手に入れた。
ちょっと感傷的な記事だが思いを書き残すにはこれぐらい熱い方がいいかもしれない。

この地震を他人ごとに思わず、自分の考えを人に伝えて周りの役に立てると同時に自分の糧をしていきたい。これが一番今やりたいことです。

(by take)前回の記事にも書きましたが、4月に両親が息子真佐人の誕生日をお祝いしてくれるために、初めてセブに来てくれました。そこで僕はロナリンの家族のマナーの違いをひしひしと体験することになったのです。日本人のスタンダードとフィリピンの貧困地域に育った人の違い、それは躾の大切さや親の役割を考えさせられるものになりました。

今回キーになるのは、私の会社のオーナー夫婦です。オーナー夫婦は日本人の社長にフィリピン人の奥さんです。オーナーは苦労人です。一人単身でオーストラリアに渡って牧場で雇われ経営者として働き一代で今の旅行業や多くのビジネスを成功させた実力の持ち主です。ビジネスだけでなく日本の非行少年を預かり更正させる為に色々な活動をされたり、フィリピン人の孤児を預かり彼らの教育を熱心にサポートしたりもした経緯を持っています。でも表だった舞台が嫌いでメディアの舞台に躍り出ることはしない方なのです。

(by take)今回は4月に、真佐人に会いに来てくれた僕の両親と会社のオーナーで色々と将来の事につて話し合い、ようやく本気でがんばろうと決心したことを中心に書いていこうと思います。とても色々な事が絡んでいて、まだまだ上手くまとまっていないのですが、しっかりと第一歩を踏み出して、本当の意味での2児の父親としての責任を果たしていけるようがんばっていこうと思っています。

今回の記事はどちらかと言えば、全く個人的な話であり、知恵市場の意図するQOL等にはあまり関係ないとも思うのですが、今後も色々な記事を書こうと思っているので、僕の置かれた環境が分かれば、読んで下さる方の理解しやすさに繋がる気がします。又、僕自身もみんなに伝えることで、やらなければ行けない状況を作りたいのです。恥ずかしい話なのですが、少々おつきあい下さい。

(by take)僕がセブ市内に暮らすようになって、5年が過ぎようとしています。カオハガンで暮らした2年半はまさに離島暮らしでしたから、フィリピンに住んでいると言う感じよりも、素敵なキャンプ場で日本人旅行者と楽しい時間を過ごしたという感じでした。非日常を演出する島で、自分自身も非日常的な暮らしをしていたのかもしれません。

それとは反対にセブ市内で旅行会社に就職して、お給料をもらいながらも資本主義の荒波に揉まれ暮らしていく今の生活は、良い部分も悪い部分も現実的な暮らしだと感じます。

どうも抽象的な表現でごめんなさいm(_ _)m

どちらの暮らしも、それぞれ大切な事を勉強出来ると思っていますが、今の暮らしは現実味を帯びている分だけ、持続性がある暮らしだと感じます。特に結婚して、子供が生まれて、といったごく一般的な暮らしの変化の中で「僕の残りの人生の大半は、日本ではなくフィリピンで過ごしていく事になる。」としみじみ実感しています。

ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、そういた気持ちが芽生えた事と、カオハガン時代の先輩マネージャーもここセブで地に足が着いた暮らしをされているのですが、その方のお誘いもあって、3年ほど前からセブの「日本人会」と言う団体で理事となって色々な活動のお手伝いをさせて頂いています。
今日はその会に入っていて感じる「海外で暮らす日本人が集まり、相互で助け合い暮らしていく。」という事について僕が感じていることを書いてみます。

3ヶ月以上海外に駐在する場合は、日本の法律で最寄りの領事館に「在留邦人届け」の提出が義務づけられています。セブは現在約2,000人が提出しています。短期滞在や面倒などの理由(違反しても罰則はなし、違反者の調査もありません)で提出が出来ていないだろうという人も多数いますので、セブには結構日本人が住んでいるのです。ところが現在僕が所属している「セブ日本人会」の会員数は約250人弱です。他の国のことは良く分かりませんが、在留邦人届け未提出者の事も踏まえると入会比率は10%以下になりますので、これは結構少ない数字だと思います。実際に僕が担当している財務面から見ても、支出金額が収入を若干上回っていて、不定期に寄付を募ったりして今までやりくりしてきたのです。

なぜ入会者が少ないか、どうすればもっと多くの方に入会してもらえるか?理事の間ではしばしば議題にあがります。そこで良く出る意見は「入会に際して、彼らの海外生活で必要と考えている事と、会に入って得る実利に乖離があると考える人が多く、入会しても会費に見合うようなメリットがないと感じている人が多いのではないか?」という話です。もちろん実利といってもお金の話ではありません。例えば、人脈が広がる、安全情報などが手に入る、公認団体に所属していることでセブにおいての信用度が上がる等々が考えられます。

実際にセブは本当に平和で穏やか町ですが、それが意外な弊害となっている様な部分もあります。つまり日本人会に入会するために、在留邦人届けの控えを取り寄せて、写真入り提出書類に推薦人を探して記入した後、入会費と年会費を払わなければいけません。そんな面倒な手続きなどしなくても、なじみの日本食レストランの常連客が気軽に集って、草野球で汗を流した後の打ち上げで飲んで「よもやま話」をすれば、それなりの情報も入るでしょう。又、そこで得られる人脈に困ったことを相談すれば、これもそれなりに何とかなりそうなのです。色々な入会規定を設けている「セブ日本人会」に入会する事の敷居が高く、その割には対した対価が得られないのではと言う意見があるのです。でも実際には日本人会は歴史もあり、領事館や商工会議所等との対外的な協力体制も整っていて、有事には一番力を発揮出来そうですが、その有事を意識するほど危険や危機感がないのです。

もちろん日本人会への入会に様々な手続きが必要なのには理由があります。それはちゃんと自己責任で物事を対処できる人の集まりでなければ、多くの人が助け合う会として運営出来ないからです。
実際にフィリピン人女性に騙されたと泣きつき、アドバイスだけでなく金銭的な援助や帰国、離婚、訴訟の手続きの代行を頼む人がいらっしゃいます。もちろん同じ日本人として犯罪やトラブルに巻き込まれた人のお手伝いをしたい気持ちはありますが、余りにも自業自得な行いの結果の尻ぬぐいをする「駆け込み寺」ではありませんから、そういった実務的な手続きはご自身でお願いすることになります。すると「英語も話せず、誰に文句を言っていいか分からなくて困っているのに、お前らは会費だけ取って、本当に困った会員に何もしない詐欺みたいな集まりだ。」と中傷する人もいるのです。領事館に駆け込む困窮邦人も同じ様な事を言い、職員に食ってかかる人も多いそうです。又、そういった方に仮に個人的に金銭を用立てても、返金せず逃げてしまうケースも多いそうです。つまり日本で暮らせないトラブルを抱えたたぐいの人がフィリピンに流れてきて、結局同じようなトラブルをここでも起こす人がいるのです。

とは言え、今まで日本人会の活動はある意味では慎重に行動するが故に、保守的と取られかねない部分もありました。現在多くの理事はそういった部分を打開して、開かれた役に立つ「日本人会」のあり方に取り組んでいます。現在の理事には私と同じようにフィリピン人妻と子供を持って、長期に渡ってここで暮らす決心をした方もおられます。そういった人は皆「日本人会はいわばセブの町内会や自治会。みんなが安心して仲良く暮らせるように少しずつ協力しあっていけば、それが結局自分の暮らしやすさにも繋がる。」という共通した見解があります。無報酬のボランティアの活動ですが、結構熱意をもって行動しています。

海外で暮らす人は、本当に様々なバックボーンを抱えて暮らしていらっしゃるので、みんな一まとめにしてとはいきません。それ故日本人会に期待することも様々です。でも同じ異国の地で暮らす日本人として、お互い助け合えるようなシステムを作ることは、皆が望んでいることでしょう。そう言ったことを踏まえて、会員同士が、又、会員の枠を越えてセブに在住している人が安全に便利に暮らせるように模索していこうと思っています。(by take)

(by take)皆様、遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。今年もつたないブログですが、続けていきますので、是非ともおつきあい下さい。

2001年フィリピンに来て、カオハガンという変わった島でスタートした僕の暮らしは2006年にロナリンと結婚してさらに大きな流れに押し進められている感じがします。特に結婚してすぐ子供に恵まれたことは、僕にとって幸せな結婚生活に繋がったと感じています。でも一方で反省しなければいけない事は、流れに身を任せてやって来たので、明確な目標を持たずにここまで来てしまった感じも否めません。このままでは、今の幸せが続いていくのか、問題は起きそうなのか?それこそカソリックの国らしく「神のみぞ知る」状態です(苦笑)だからこの年頭に当たって未来を見据えた目標を立てたいと感じました

(by take)今回は個人的にショックな出来事があったので、その出来事と合わせて「フィリピンの負の一面」を書いていこうと思います。

娘の麻衣は現在「てんかん」の治療中です。病状は軽度で1才の時に発作を起こしてから、すぐ投薬を始めたので、それ以降は一度も発作を起こしていません。麻衣の場合はロナリンのお母さんの一番下の弟「ティオ」が重度のてんかんで、遺伝だと言われました。

ティオはロナリンのお母さんの実家があるミンダナオ島に住んでいました。農家だったロナリンのお婆ちゃんはマルコス政権時代に政府から農業政策の一環で大きな土地を与えられました。ロナリンのお母さんの多くの兄弟は農家を手伝って来たのですが、お母さんは若い頃にセブにメイドとして働きに出て、ティオも彼のお姉さんと隣町に住みお姉さんの働く会社で仕事をしていました

(by take)最近、娘の麻衣と一緒に過ごしていて本当によく感じることは「2歳半の娘の感性は、大人のそれと全く変わらない位豊かで鋭いものがある。ひょっとしたら素直に表現できる分だけ、大人より優れているかもしれない。」ということです。

先日、知恵市場のブログでjinさんが、娘さんとのやりとりを記事にされていました。年令も性別も家の娘に近く、親子のお互いの気持ちのやりとりが手に取るように感じられました。だからこの優しい温かい感性は麻衣だけでなく、全ての子供が持つ自然な能力とも感じました。

数日前、本当に珍しく夫婦喧嘩をしました。(^_^;)大抵は喧嘩になるまでに、お互いどちらかが少し折れて折り合いが着くのですが、この日ロナリンは家事と育児に少し疲れて、僕は仕事のトラブルで少しイライラした気持ちでいました。本当に些細な言葉にお互いが「カチン」と来て、娘の前で言い争いになりました。腹が立った僕は部屋を出て行き、居間にいると、麻衣が心配そうな顔でやって来て「パパ、ママと喧嘩したの?」と聞きます。目の前で言い争いをした後なので、ごまかせる状況ではなく「ごめんね。喧嘩したんだ。」と言うと、半泣きで「ママが可哀想、、」と言いながら、ロナリンのいる部屋に歩いて行きました。そして、ロナリンにも「パパと喧嘩したの?」と聞いたそうです。ロナリンが涙声で「ごめんね。喧嘩したの」と答えると、すぐに僕の居る居間に戻ってきました。でも今度は笑顔でやってきたのです。そして少しはしゃぎ気味に色々と遊んできます。どうやらロナリンと3人で遊ばそうと企んでいるようです。父親の僕からロナリンに遊ぶように働きかけることが狙いのようでした。でも僕がロナリンの居る部屋に行くのを躊躇していると、万策尽きたように今度は大泣きしたのです。「子は鎹(かすがい)」とは本当によく言ったものです。さすがに麻衣の気持ちを感じると、夫婦で先ほどの些細な「いざこざ」の解決の為、話し合うことになったのです。もちろん些細な事が発端ですから、すぐ解決して、次回からは少なくとも荒い言葉で挑発は止めようとなりました。最終的な麻衣の目的は達成されたのです。

その翌日、会社のオーナーの奥さんの弟が同じ敷地に住んでいるのですが、その息子さんの4才のお誕生会があり、僕たち家族が招待されました。オーナー宅の庭を貸し切りでガーデンパーティーです。お家には素敵なプールがあります!招待された子供達は大はしゃぎ、大好きなプールで満面の笑みで遊び始めたそうです。しかし僕は仕事があるので、なかなか家に帰れません。ロナリンも真佐人の面倒があるので、なかなか出かけられずにいました。それを見て麻衣が可哀想だと思ったのか、同じように招待された近所の奥さんが麻衣を先に社長の家に連れて行ってくれました。時間は丁度夕方6時前…いつもは夕飯の時間なのでお腹も空いていたでしょう。

僕が仕事から帰ってきたのが夕方7時過ぎ、あわてて真佐人とロナリンで社長の家に行くと、麻衣はひとりぽつんと椅子に座ってみんながプールで遊んでいるのを見ていました。又、大好きなスパゲティーも全く口にせず、かといって泣きもせず、おとなしく座っていたそうです。1時間半も、、、

麻衣は僕たちを見つけると、満面の笑顔になりそして一目散に僕たちのところに駆け寄りました。そして、みんなが楽しく遊んでいた様子を一生懸命僕たちに話してくれたのです。
そして僕が「麻衣ちゃん、大好きなプールで遊ぶ?」と言うと、元気よく「うん!」と答えて、着替えもせずそのままプールの浅瀬へ飛び込みました。その音で近所の小学生の女の子が気づき、麻衣の近くに駆け寄ってくれて、一緒に遊んでくれました。

僕はプールが大好きな麻衣が、1時間半も目の前にプールがあり、近所のお姉さんが誘っても全く入ろうとしない事にびっくりしました。誘ってくれたお姉さんは近所で顔もしっているのに、、、何故だろう?大好きなスパゲティーも食べないで、、、

結局、麻衣は単にプールで遊ぶ事だけが目的ではなく、楽しいことを家族で共有したかったのではないか?と思いました。プールで遊びながら僕に水をかけようとしたり、ロナリンに手を振ったり、常に僕たちとのやりとりを楽しんでいます。僕の仮説が正しければ、親としてこんなに嬉しいことはありません。僕が一番大切にしたい「家族の絆」の意図をしっかり、自然に理解して、それを大切に思ってくれている訳ですから。

今回の僕の話は、どうでしたか?他の人にとっては「当たり前」のことなのか「へーそうなんだ!」なのか分かりません。
僕は子供が出来るまで(今回の様な経験をするまで)は。もっと2歳半の子供は「まだまだ何も学んでない状態なので、ある時は無邪気だったり、ある時はワガママだったりするもの」だと思っていました。2歳半と言っても、本当に僕らの会話や気持ちを感じるような仕草が始まったのは、ちゃんと歩くようになってからの1才過ぎからの僅か1年と少しではないでしょうか。その僅かな時間でこんなに成長するとは、改めて子供の持つ能力にびっくりしてしまいます。

そして楽しみなのが「真佐人」です。真佐人は僕たち以外にも、この不思議な能力を持つ「麻衣」がしっかり毎日可愛がっています。どんな子供に成長していくのだろうか?いまから「わくわく」が押さえきれません。そして何よりも「子供から学ぶ」べきことを、もっと僕たちは真摯に受け止めなければいけない様な気もしています。(by take)

(by take)日本人に「メイドを探している」と言うと、「貴方って実はお金持ちだったのですね。」とか「あそこのメイド喫茶は可愛い子が多いですよ。」とか勘違いされそうですが、フィリピンは人件費が安いことがベースにあるので、比較的簡単に人を雇うことが多いのです。つまり僅かな金銭的な余裕がある家では、家事や子守の為にメイドを雇う事は、珍しい事ではありません。

麻衣が生まれても、しばらくの間ロナリンのお母さんが同居してくれていたので僕はメイドを雇うことには消極的でした。やっぱり知らない人が家に寝泊まりするのは何となく安心できないし、同じお金を落とさなければいけないのなら、親戚に子守を頼んでお礼を渡す方がいいなと感じていたからです。
でもロナリンが真佐人を身ごもった時に、卵巣ノウ種が見つかり、大きく家事を制限されてしまい背に腹は代えられず、メイドを雇うことになりました。

ここで先に一般的なメイドの処遇などに触れておきます。お給料は1ヶ月1,500ペソ?2,000ペソぐらい(3,750円?5,000円程度)が相場です。地方から出てくる住み込みメイドならお休みは週単位ではなく、半年毎に1週間のバケーションを上げるからお金を貯めて実家に帰りなさい、などというパターンも多い様です。仕事は掃除・洗濯・買い物などの家事全般。それに子供がいる家庭なら子守もプラス。家事で特に洗濯は、まだまだ洗濯板で手洗いの習慣が残っていて重労働になります。我が家は洗濯機を購入しているのですが(大金を叩いて日本製の全自動洗濯機)ロナリンは頑なに「襟元などは一度手洗いしなければきれいにならない。それに子供の服も手洗いじゃないと(きれいじゃない様で)安心出来ない。」と一度丁寧に手洗いしてから洗濯機にかけています。確かに麻衣の服はおてんばを象徴するように真っ黒に汚れていますから、確かにしんどくても2度洗いは有効かもしれませんけど、、、ともかくフィリピンでは洗濯は結構重労働な家事です。

さて、最初に雇ったメイドはロナリンの実家の近くに住む50代のメイドです。ロナリンのお母さんの紹介だったのですが、このメイドは狡賢い人でした。働きだして1週間ぐらいは良く仕事をしてくれたのですが、娘ぐらいの年のロナリンからあれこれお願いされるのが疎ましくなってきたのか、段々ロナリンの言うことを受け流す様になってきました。卵巣ノウ種を煩っていた当時のロナリンは医者から「重たいものを持つと卵巣が捻転を起こす危険性があるから、絶対無理をしないで下さい。」と指示されていました。妊娠の安定期前でもあり、僅かな家事でも気を遣っていたのです。それ故母親と同じぐらいの年令のメイドが、お願いすることを聞いてくれないのが、かなり精神的に負担になっていたようでした。それを見かねてロナリンのお母さんがメイドに注意すると「あんたにお給料を払ってもらっている訳ではない。」と開き直るのでした。そしていつもお願いしていた食材の買い物の値段をごまかしてお金をくすめていた事が判明して、僕が問いただすと散々言い訳したあげく翌日荷物を置き去りにして出ていきました。1週間ぐらいして、僕の留守の間に荷物を取りに来てそのままさっさと出ていったそうです。

次に雇った30代子持ちメイドは当時同じアパートに住んでいた人の紹介でした。このメイドは心優しくて娘の麻衣とも仲良しでした。セブ島の隣の島ネグロス島から定職のない夫と3人の子供を残してセブに出稼ぎにきたのです。毎日一生懸命働いてくれましたし、お金に関してもきっちりしていました。働きだして2週間ぐらいすると、「実家から連絡があり、子供が寂しがっているので、3日だけ休みをくれませんか?」との申し出がありました。まだ小さな子供も置いてきたから可哀想だとロナリンと話し合いました。でも働きだしてすぐだからお給料もないので、交通費を立て替えてあげてお休みを取ってもらいました。ところがセブに帰ってくる予定の日になっても、連絡もないまま帰って来ません。携帯に電話をしても本人が出ず、親戚が「もうセブには行けない。変わりの人を探してあげるよ」という話、、、2日ぐらいしてようやく本人に連絡が着いたのですが、「夫が子供の面倒を見きれないので、セブに戻らずここで子供の面倒を見てくれと言われた。ごめんなさい。」と言われてしまいました。いやはやこの人達は「約束」は重たい出来事ではない様です。とほほ、、、日本人の感覚で行けば、一旦期日に帰ってきて、面と向かって相談するのが筋という感じなのですが、感覚がやっぱり違います。

そんな事が続いていたので、ちょっとメイドを雇うには嫌気がさしてきたのですが、真佐人が生まれ、さらに猫の手も借りたくなるぐらい忙しくなりました。
同じ時期に僕が務めている会社のオーナーの住まいが会社のすぐ近くにあるのですが、オーナーがその私有地の一角にある社宅に引っ越しの手配をしてくれました。通勤時間が大幅に短縮されるし、社宅には顔見知りのフィリピン人の従業員も住んでいるので、色々と公私にわたって助け合うことが出来て、とても便利になります。でもオーナが従業員とその家族のみしか立ち入り出来ないと言うルールが有ったのです。これは治安・防犯の意味合いもあるいし、オーナーが直接知らない「従業員の親戚」が勝手に住み込むのを防ぐ為に取り決めた事でした。(裏を返せば、こういった取り決めがないと、どんどん親戚が家に訪ねてきては、寝泊まりを繰り返すようになってしまいます。僕の前のアパートがそうでした。)それ故ロナリンのお母さんも週末だけしか訪ねてくることが出来なくなったのです。いくら僕ががんばって家事の手伝いをしても、出勤しているお昼間に2才のおてんば娘と生まれたばかりの乳飲み子の世話をロナリン一人でこなすのはさすがに大変ですから、渋々30半ばの離婚した子持ちメイドを雇いました。

このメイドが、一番太刀が悪くて僕らの知らないところで、作り話を敷地内に住む他の従業員の家族にしていたのです。「ロナリンが娘の麻衣を風呂場に閉じこめて殴っている。」と言ったたぐいの話を、なんと堂々と社長の奥さんにまで話をしていたそうです。全くのデタラメです。理由もわかりません。まるで愉快犯です。もちろんその事が露呈して、辞めてもらいました。おかげで可哀想にロナリンは社長の奥さんの誤解を受けて、いわれの無い注意をされてしまいました。僕と一緒にじっくり話を聞いてもらい、誤解と分かったので良かったです。反対に社長の奥さんは誤解していたことを悪く思ったのか、それ以降は以前にも増して随分僕たち家族の面倒を見て下さるようになりました。

そしてつい先日雇ったメイドはレイテ島から来た20才の独身女性。結婚資金を貯めるために住み込みで働きたいとの事でした。彼女は会社のガードマンの娘で、身元もはっきりしているので安心でした。全く外で働いたことは無いけど、家で家事手伝いはずっとしてきたとの事だから大丈夫かなと思っていました。ところが着いた初日に色々聞いてみると、料理は全く出来ないし、仕事から帰って来ると、まだ9時なのにソファーでぐっすり寝ています。ロナリンに話を聞くと、料理が出来ないからロナリンが彼女に夕食を作ってあげて食べさせたそうです。食べてしばらく片付けをしていた様ですが、疲れたのか殆ど片付けが出来ていないのに寝てしまったとのこと。やれやれです。翌日僕が穏やかに昨日の出来事を注意すると、いきなり号泣、、、こっちが泣きそうです。心配だったので、夜早めに帰ってくると、まだしくしく泣いています。一日中泣いていたらしい、、、そこにガードマンのお父さんが顔を出した途端「お父さん、もう家に帰りたい!!ママが恋しい。」と再び号泣です。まるで小学生の低学年の子供を虐待したような気分でした。そして3日後レイテに帰っていきました。

カオハガン時代の先輩にその話をしたのですが、「うちも何人もメイドを首にしたよ。メイドって特別な能力がなくてもすぐ出来る仕事だし、お給料の水準も低いだろ。僕らの求めるような能力にある女性は、もっと高収入のちゃんとした職に就けることが多いから、当たりの少ない市場で見つけるようなもんだよ。良いメイドに当たる方が珍しい。とんでもないメイドに未練や情けは不要だよ。」と教えてくれました。全く僕の感じている事と同じ事でした。

フィリピンのメイドにまつわる話は腰が抜けそうな凄い話が沢山あります。恐るべしメイド!やられっぱなしです(by take)

(by take)最近は、世界的にインターネットが普及して、以前では難しかった事が簡単に出来るようになってきました。その一つとしてインターネットを通じて日本のテレビ番組をダウンロードして見ることが出来るサイトがあり、6年ぶりに日本のテレビ番組をセブに居ながら見ることが出来るようになりました。

その中でとても心に残った番組があります。元プロサッカー選手 中田英寿 が引退後2年の月日を掛けて世界中を旅したエピソードを取り上げた番組です。彼は昨年旅の途中でマニラに寄って、貧しい子供達とサッカーをしたことが、当時のニュースで取り上げられたので気になっていたのですが、その思いや試みを知ると、とても興味深いものがありました。

(by take)今回の妊娠の初回検査の時に、ロナリンの卵巣ノウ種が判明して、腫瘍の摘出手術を妊娠の安定期に行いました。11月に行った手術は無事に成功して、そして後は無事に生まれてくる事を願い、指折り出産予定日を数える日々を過ごしていました。

ロナリンに聞くと妊娠後期は娘「麻衣」の時と全く違う感じがしたそうです。子供が活発に動き出した昨年12月頃から突然お腹の中で子供が力む様な感覚を覚え、お腹が重たく感じ痛みもあるとの事だったので、何度かホームドクターに相談をしたのです。結果は「特に異常は無い。」との事で少しほっとしましたが、腫瘍摘出手術の影響などもあるのでは?と不安もあり、中々落ち着かない日々が続きました。でもそんなことはお構いなしにどんどん出産予定日が近づいてきたのです。

(by take)僕たち夫婦にとって待望の第二子が、先日生まれました。とても元気な男の子です。ロナリンの卵巣ノウ種の手術を乗り越えて生まれてきてくれたので、うれしさは格別なものがありました。
今回は息子「真佐人」の誕生と、ほぼ同じ時期にロナリンの姪が出産したので、この二つの命について書いてみたいと思います。

まずは、今回本当に呆れてしまった出来事がありました。身内の恥をさらすようで記事にするのは考えものだったのですが、これもフィリピンの中ではさほど珍しい話しではありません。でも日本人の僕からすれば「なぜそう考えるのか?」全く理解出来ませんでした。結局、貧困が人の考えを歪めることになるのでは?と結論づけた出来事でしたので、皆さんにも聞いてもらえればと思います。

(by take) 本当に月日が流れるのが早く、2月25日で結婚して2年が過ぎました。この2年は麻衣の誕生という嬉しい出来事もありましたが、ロナリンの卵巣ノウ種の手術、麻衣のてんかん発作と大きな出来事はネガティブな出来事の方が多かった気がします。でもその事を乗り越えるために夫婦が力を合わせなければいけなく、返って絆がより深まったと感じています。

恥ずかしながらも、やっぱり言える事は、彼女と結婚できて良かったという事と、愛せる家族が出来て僕の人生に彩りが増えたと感じると言うことです(照れ笑い)。

でも自分でも本当に不思議な気がします。今の生活を冷静に見れば、まるで「負け組」の様な暮らしぶりです(苦笑)。

(by take)パコさんが人身売買の記事を書かれていました。そう言う事実がフィリピンにも身近にあり、色々と感じる事がありましたので今回は、フィリピン人女性と結婚した日本人の視点から書いてみようと思います。

まず、フィリピンの社会的な構造ですが、はっきりした「格差社会」です。裕福な層は僅かですが、多くの富が集まる環境であり、一部の人は社会的な地位を利用して「賄賂」などを受け取る事が日常的に行われています。前大統領の不正を追及し退陣に追い込んだ現大統領も、今夫がブロードバンド化の事業にまつわり2億ドルという不正なお金を企業から受諾した疑惑で追及されている国なのです。

反対に貧困層は、日常生活に困り、小学生ですら学校を諦めて働きに出されたり、物乞いになったりする家庭も別に珍しくありません。

(by take)クリスマスが近くなると、フィリピンはカソリック大国らしく、町中に電飾が溢れきらびやかになります。しかしそのきらびやかさと反対に、僕を憂鬱にさせるのが、「物乞い」が増えることです。町中の交差点の信号に車が止まる度に子供中心の物乞いがやって来て、慈悲を乞うのです。

僕はバイク通勤なので車のようにドアも窓もありませんから、すぐ横で「サーギブミーマネー、ギブミーフード」と赤信号の間中言い続けられるので、結構無視するのはつらいのです。でも毎日通っている道で何か施しをしてしまうと、クリスマスまで毎日繰り返さなければいけなくなりますから、「小学生なのに可愛そうだなぁ」と思っても、無視しています。
クリスマスは年間を通して一番楽しいイベントであると同時に、プレゼントやご馳走などお金が必要になる時期です。

(by take) 手術当日は、ロナリンにとっても僕にとっても長い一日でした。

出来れば手術室に付き添いたいとの思いがあったのですが、もちろん一般人が手術室に入ることは出来ませんでした。ならば結婚指輪を僕が付きそう代わりに彼女にして欲しいと思っていましたが、彼女の指輪も外してくださいと言われ、反対に僕が彼女の指輪をして、手術の成功を祈ることになったのです。

そして手術室から出てきた彼女の手には、表紙にキリストの絵が描かれた薄い聖書がテープで貼り付けてありました。もちろんお医者さんがテープで貼り付けてくれたのです。結婚指輪すら外したのに、そんな物を手術室に持ち込むことが出来たのですね。二人で手術の成功を祈りに教会へ行ったときに、購入したものでした。おそらく手術中ずっとお祈りをしたのでしょう。
改めでフィリピン人のキリストへの信仰心の強さを感じた出来事でした。

(by take) ロナリンの卵巣ノウ種と麻衣のてんかんという問題を同時に抱えたのですが、ロナリンは安静に日々を過ごすことで、麻衣は投薬により、ひととき安定した状態が続き、少し落ち着いてきました。

そして10月に入り、妊娠16週を何とか無事越えることが出来ました。そして最終の検診で入院は10月29日、手術は翌日の30日に決まり、いよいよ本番だなと実感しました。

今年の10月29日は、全国の市町村の町長や議員を選ぶ総選挙に当たる日で、政府から祝日に指定されました。又、11月1日、2日は日本で言う「お盆」に当たり祝日になります。と言うことで3連休と4連休が相次ぐ週となったのです。しかしお医者さんの話によれば、祝日に手術をすれば、医者は休日出勤になり「特別手当」が必要になるので、手術費用が2倍になるとのことでした。

(by take) 実家で過ごすようになった麻衣は、毎日機嫌良く過ごしていたのですが、少し風邪気味であまり食事を取らなくなっていました。そこで夜は自宅に帰っていたロナリンも実家に寝泊まりする様になり、僕も仕事が終われば実家に行き、早朝自宅に戻りシャワーを浴びてから会社に行くパターンになったのです。

朝7時になり、いつもの様に実家からそろそろ自宅に戻ろうと思ったその時に、麻衣を抱っこしていたお義母さんが突然叫んだのです。びっくりして振り向くと、白目をむいて「よだれ」を垂らしながら全身硬直している麻衣に姿が目に入りました。とっさに「てんかんの発作が再発した」と感じました。ロナリンやお義母さんはあわてて、麻衣に呼びかけていますが、反応はありません。

(by take) さて、今回の病気は自分たちで解決するにはちょっと大きすぎるので、色々な方の手助けを借りて乗り越えることになりました。

まずは「家族の支援」
麻衣の面倒を自分たちだけで見ることが困難な状況で、今回やっぱり助けてくれたのは「ロナリンの家族」でした。フィリピンに住んでいつも感じるのは、この「大家族のメリット」です。とてもアクティブな麻衣の面倒は、体力的も結構きついものがあります。しかし実家は長男夫婦とその子供3人にお義母さんの6人家族、それに下宿人3人が交代で面倒を見てくれます。又、近所の子供が代わる代わる家に遊びに来ますから、それぞれ個々の負担は大きくありません。

(by take) もし神様がいるのなら、きっと僕たちはまだまだ未熟な夫婦なので、色々な課題が必要と考えているのでしょうか?本当に色々な事が起きます。でも今回は一番心配であり、経済的にも精神的にも一番「試されている」感じがしました。

今回は殆ど同時期に「第二子妊娠の判明」「ロナリンの卵巣ノウ種の発見と手術」「麻衣のてんかん発作再発と投薬の開始」を体験しました。その中で改めて夫婦と家族の関わり方とフィリピンの医療の課題を感じずにはいられませんでした。

今年の6月ぐらいからロナリンが「腰の上あたりが痛いからマッサージしてー」と頻繁に言うようになっていました。

(by take) 最愛

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(by take)娘の麻衣は1才が過ぎて、離乳食に随分興味を示すようになりました。お粥や麺類が大好きで可愛い歯も上下4本ずつ生えていますから、もうそろそろ断乳の時期だと考えていました。
麻衣は生まれてから、ずっと母乳で育てています。授乳の度にロナリンのおっぱいを触りながら飲む姿は、ほほえましく感じていたのですが、歯が生えだした頃から時折乳首を噛んでしまう時があり、その度にロナリンは余りの苦痛に大声を上げていたのも、断乳を決心した理由の一つです。

ところが甘えん坊の麻衣は、いつも母親にべったりですから断乳は難しそうです。又、ロナリンもお乳の出が良くて、麻衣が吸わないとおっぱいが張って、ちょっと触るだけでも痛いみたいでこちらも大変そうです。

(by take)おかげさまで愛娘「麻衣」は5月27日に満1才のお誕生日を迎えることができました。親バカとしては娘の成長は嬉しい限りです。今回はフィリピンでは特に大切とされる「初めてのお誕生日」について書いてみます。

まずフィリピンと日本では「お誕生日」のお祝いで全く違う点があります。これをよく理解しておかないと「今日は僕の誕生日だよ!」と言うと、思いもかけない展開になります。

日本は誰かお誕生日の人がいると、親や友達がお祝いをしてくれます。パーティを企画してくれて、ご馳走してもらったりします。本人は至れり尽くせりですね。
フィリピンでは、「誕生日」は、その本人が周りの人を招き、お祝いをするのです。つまり自ら企画してご馳走を用意し、おなか一杯みんなに食べてもらうのです。

(by take)ゴールデンウィークもあっと言う間に終わってしまい、ようやく静かなセブが訪れるかな?と思いきや、まだまだ「騒ぎの種」が多いセブから今回も書いてみます。
さて、何が騒がしいと言えば、明日5月14日に行われる「統一選挙」が騒ぎの種なのです。僕はもちろんフィリピン人ではないので、選挙権はありませんが、選挙関係のニュースを見ると驚くことが多いです。

まず、こちらの人にとって「選挙で議員に選ばれる」と言う感覚に関して僕が感じる事を書いてみます。

フィリピン人はスペイン・アメリカ・日本と色々な国から支配を受けていた国です。だからご主人様に「言われた事」は嫌でもやらなければいけません。プライドをかなぐり捨てなければいけないのです。

(by take)今日は日本人には、なじみの少ないホーリーウィークのお話です。

今週はキリスト教でクリスマスと並んで大きなイベントである、ホーリーウィークです。キリスト教徒の少ない日本人には、馴染みが薄いのですが、人口の85%以上がカソリックのフィリピンは一大イベントです。今年は4月2日から始まり、キリストの復活を祝うイースターの8日まで教会でのお祈りや、プロセッションというカソリック教徒の行進が盛んに行われます。

ホーリーウィークの期間がいつからいつまでかは、毎年違うのですが、今年は9日の月曜日も祝日(ヒーローズディ)なので、木曜日・金曜日の祝日に加えて、5連休となりました。

(by take)今回の帰省は、もちろん親に「嫁」と「初孫」を紹介することなので、いつもなら「友達に会いに行く」と言って家を出ると、毎日深夜の帰宅となり殆ど親と話すことがないのですが(^_^;)、今回は親と過ごす時間を長く取ろうと、外出しても伝書鳩の如く、早々に帰宅していました。

と言うわけで今回は親とじっくり話す時間があったと思います。そこで僕が感じるロナリンと僕の親の「親子関係の違い」について書いてみようと思います。

共通しているのは、孫は目の中に入れても痛くないこと(笑)僕は一人っ子なので、僕の両親にとっては「初孫」だから当然なのですが、ロナリンのお母さん(55才)にとっては、10人目の孫(驚)でも、とても麻衣の事を可愛がって面倒を見てくれます。

(by take)今回はフィリピンとは無縁の話(笑)先日テレビ番組で、検索エンジンの最大手「グーグル」にまつわる特集を放映していました。その番組を見た感想を書いてみたいと思います。

僕が見たのは番組の途中から15分程度なので、全容は違うかもしれませんが、2名の方が取材を受けていました。

一人は、以前グーグルの検索でかなり上位にランキングされていて、それに合わせて順調に業績を伸ばしていた会社の社長です。ところがある日、何の事前通告もなくその会社は「グーグル」の検索から除外されたそうです。幾ら検索しても社名が出てこない、、、それに合わせて、会社の売上はあっという間に7割減となったそうです。

(by take)ASEANサミット延期による混乱や台風の影響もなく、順調に飛行機は離陸しました。ロナリンにとって初めて乗った飛行機ですから、外の景色を眺めたらいいのにと思い、「わぁ山があんなに小さく見える。」とか「雲がふかふかの綿みたいだよ。」と一生懸命盛り上げようとしたのですが、「貴方は私が外を見て、酔って気分が悪くなるのが待ち遠しいの?」と一言で撃沈(T_T)。麻衣の遊び相手に終始する移動となりました。ロナリンは気を紛らわすように、機内映画を食い入るように見ています。(苦笑)

セブからマニラは約1時間、そしてマニラから関空はあっと言う間の3時間40分です。真冬の日本にあっけなく到着しました。実は麻衣はフィリピンと日本の二重国籍を現在保有しています。だから日本に入国は至って簡単です。

(by take)昨年12月にようやく、日本に一時帰国して両親に「嫁」と「初孫」の顔を見せることが出来ました。

本当は、2005年12月に一時帰国して、彼女を両親に紹介しようと考えていたのですが、婚約中に妊娠してしまい(^_^;)延期していました。娘の麻衣もようやく6ヶ月を越えて、長旅にも耐えられそうになったので、親子3人で日本への旅に出かけることとなったのです。

実は出発の前日は、我が家は騒々しくて大変でした。お母さん、お姉さんと3人の子供が泊まりに来たのです。お姉さんは奥さんのロナリンに「いよいよ明日は日本だね!日本はきっと雪だから気をつけなさいね(ちなみに勝手に雪だと決めつけていました)」とか、「日本はチョコレートが美味しいから、沢山食べておいでね!(本当は買ってきてねと言いたい)」とか言って盛り上げっています。

(by take)今回はフィリピン人が最も楽しみにしているイベント「クリスマス」に関して書いてみようと思います。

キリスト教とは、生まれてすぐの洗礼式からの付き合いですから、彼らにとってクリスマスはとても大きなイベントです。9月になると、デパートでクリスマスソングが流れ出し、11月になれば町全体にイルミネーションが溢れて、気分が盛り上がってきます。

フィリピンでは、子供達が数人集まって近所の家々にクリスマスキャロルを歌って回る「ダイゴン」という風習があります。基本的にはクリスマスの9日前の12月16日から、クリスマス期間(1月6日まで)に入るのですが、習慣として歌を歌ってくれた子供達にお小遣いをあげるので、子供達は毎年お小遣い欲しさに、11月の終わり頃からフライングで始めてしまいます。

(by take)セブのダウンタウンを散歩していると、昼間からごろごろしている男性を多く見かけます。女性の「洗濯」や「掃除」などの家事を一生懸命している姿とは対照的ですね。

フィリピンの子供は皆、本当にきらきらした可愛い目をした子供が多いように感じます。男女とも可愛いのです。でも思春期を迎えた当たりから、男の子は周りのダメダメ大人を見習うように、毎日ギターを弾いて歌の練習をしたり、バスケットに明け暮れて勉強をそっちのけで楽しく暮らします。

女性はそんな男性を見て「私はしっかりしないと!」と思うのか、勉学に励み、家事も手伝い、まさにフィリピン版「おしん」の様に地道に努力を重ねていきます。

(by take)取り留めもない大切な事

(by take)今回は「取り留めもない」けど、大切に感じる今の自分の気持ちを書き留めたいと思います。

カオハガンから始まったフィリピン生活も丸5年が経ちました。僕の海外生活5年は本当に色々な展開があり、まるで大きな渦に飲み込まれながら進んできた気がします。日本でサラリーマンをしていた15年より「めまぐるしい展開」で、翻弄されながらもこの国の持つ不思議な優しさに甘えながら、段々とけ込んでいく感じがしています。

日本に居るときには、仕事が終われば毎日飲み歩いて、休日はパラグライダーやダイビングと「独身貴族」をエンジョイしていました。だから中々イメージ出来なかった「結婚」も、ようやくここで果たす事ができ(笑)、愛娘にも恵まれました。これは大きな渦の集大成ですね。

(by take)随分ゆっくりの更新になってしまいました。いやはや1日24時間では足りないと感じる毎日です。

去年の12月に一時帰国しようと思っていたのですが、彼女の妊娠と転職という出来事があり延期していました。でも娘の麻衣が6ヶ月になる12月頃、日本の両親に初孫の顔見せの為に日本へ行こうと、再び動き出したのです。

さて、フィリピン人は国際結婚の比率がかなり高いと思います。英語が話せるのでコミュニケーションの部分でも有利です。又、だらしないフィリピン人男性に愛想を尽かして、貧困から脱出、一攫千金、映画の「プリティーウーマン」(古いたとえで恥ずかしい)の世界を現実にすべく、アンテナを張っている人が沢山いますから(笑)

(by take)早いもので、愛娘「麻衣」が生まれて早2ヶ月が経ちました。子育てがこれほど大変だとは思っていなくて、毎日翻弄されています(苦笑)。親になって初めて、僕たちを育ててくれた「親」の偉大さ(忍耐強さ?)に感心しました(笑)
さて、何度か書いていますが、フィリピンは「キリスト教大国」であり、殆どの子供は生まれてすぐに洗礼式を受けることになります。我が家も出生届などの書類が全て提出できたので、フィリピンの慣習に則って先日洗礼式を済ませました。

我々の先祖のアダムとイブは、その昔「エデンの園」で禁断の果実を食べて追放されたのは有名な話ですね。カソリックの世界では、我々は生まれながらにして、この「罪」を背負って生まれてくると考えられています

(by take)「男性天国のイメージを払拭したい」と言うのが、ブログを書きたいと思うようになったきっかけの一つなのですが、そうでない部分もまだまだ沢山あります。今回はそんな話を少し書いてみます。

ここに住んでいると「恥ずかしいな、日本人ってみんなこんな人と思われているかも?」という出来事に遭うことがあります。特に旅行会社に勤めていると、そう言う事を見る機会が多いですね。普段はやさしい人だと思うのですが、海外に来た開放感からなのか、羽目を外した行動をとるお客様もいるのです。だからこの国は、恥をかき捨てられた「ゴミ箱」みたいな所があります。以下は僕が実際に経験した事実を挙げていきます。

(by take)さて、ようやく夜11時に入院となりました。すぐに検査室で検診となり、診察の結果、子宮口が4センチほど開いていたので、そのまま分娩室の控え部屋へ案内されていきました。残念なことにフィリピンでは立ち会い出産は事前申請など、随分ややこしい手続きを踏まなければいけないみたいで、殆どの家族は外で子供が生まれるのを待っているみたいです。僕たちも病室で待機することになりました。

ここでフィリピンのお国事情ですが、現在人口が約8,600万人だと言われています。この10年で約1,000万人以上人口が増えました。現在、人口の35%が14才以下の子供で、2040年には1億4,000万人以上まで増加すると言う予測があり、フィリピン政府が進めている「ファミリー・プラニング」より「ファミリー・プランテーション」に興味があると皮肉に言う人もいます。

(by take)随分更新が滞ってしまいました。
と言うのも、まず愛用のMAC IBOOKがぶっ壊れて、ロジックボード交換のため1ヶ月パソコンが使えなかったことが主な原因ですが、それ以外には、5月27日に待望の赤ちゃんが生まれたのですが、気持ちが舞い上がってなかなか記事を書けずにいました。今回は喜びに任せて、がんがん書いてみます(笑)

さて、5/24に定期検診に行った時の事。その時に担当医が、彼女の子供の状態などを確かめる検診があったのですが、グローブをして膣内に手をいれて確認するとの話でした。出産の事に関しては、特に知識もないので、荒手の検診だとびっくりしました。検診では赤ちゃんの頭まで触ったそうです。

(by take)今回の話は、今後フィリピーナと結婚して、こちらに住もうかなと考えている人にとって、参考になるかもしれません。僕が一番苦労している話です。思い切って話してみます。こう言った背景の家庭が多いのです。

僕の奥さんの兄弟は7人!大家族です。
家族紹介をすれば、長男は33才、無職歴約3年。(以前はタクシードライバー)奥さんと3人子供あり、家族全員で実家に帰省?いや寄生中(笑)。
次男32才、彼もタクシードライバー。奥さんと2人の子供あり。実家の近くに住んでいる。
三男30才、タクシーの補充ドライバー。タクシー会社に空車がある時だけ仕事が出来る。奥さんと子供1名あり、食うに困ると家族で実家に食事にやってくる。

(by take)ある日の昼ご飯を食べ終わったばかりのツアーガイドの会話より

ガイドA.
「食後のコーヒーでも飲もうか? 」
ガイドB.
「俺、金ないよ」
ガイドA.
「じゃぁ、カジノへ行こう。あそこはお客さん用にタダでコーヒーが置いてあるんだ。」
ガイドB.
「知っているよ! 香りが良いコーヒーだよなぁ」(余談ですが、ネッスルのインスタントです。)
数分後
ガイドA.
「悔しいよな! お前はいくら負けた?」
ガイドB.
「500ペソだよ! たった30分だよ。本当に金無くなった!」

ちなみに喫茶店に行って、インスタントではなくブレンドコーヒーを飲んでも、約40ペソ程度で済みます。

その2、車を修理しているメカニック・スタッフの話


「車、故障したの?」
メカニック
「そう部品を交換しないといけないんだ。」

(by take)フィリピンで仕事をしている僕がよくお客様に言われることは「こんな所で仕事が出来ていいですね。羨ましい!」
そして僕は「すっかりのんびりモードになりました。こちらに家族も出来たので、もう日本に帰るのが怖いです(笑)」

今回の記事では、フィリピン人がとても大切にしている「家庭」について、結婚を機会に僕の考え方が大きく変わってきた事と、「仕事」についてのスタンスも変わってきた事について書こうと思います。

まず1点目の、結婚して「家庭」に対する考え方が大きく変わったことについて。
独身の時には、実感出来なかった「家庭」の暖かさ・居心地の良さを、結婚後の今は痛烈に感じています。(^_^)

以前、日本で働いていた時に、高校時代の友人が近所でBARを経営していていました。行けば「気心の知れた友人」と会えることが心地よく、当時は毎日の様にお店に通っていたのです。常連の人は皆、同じ様な部分に「魅力」を感じていたみたいで、週に3?4回その店で会う友人が沢山いました。

(by take)最近のニュースを見ていると、日本は本当に胸が痛くなる事件が多いと感じます。小学生をマンションから投げ落とした犯人は、妻や子供を持つ「ごく普通の人」だと思われていました。何故、親としての立場にある人が、簡単に残忍な犯行に及ぶのか、理解に苦しみます。

観光客の質問で、多いのが「セブの治安はどうですか?」という話です。警備員が銃を携帯しているので、見た目は物騒なのです。でも僕の答えは「観光で成り立っている町なので、フィリピンの中ではとても平和な町です。」と正直に話しています。

セブは平和だとも言えるのですが、一方では毎日乗り合いバスジプニーではスリが横行していますし、僕自身も白昼にホールドアップに遭い、携帯電話を取られました。

(by take)さて、幾つものセミナーをクリアーして、段々結婚式に近づいて来たのです。

結婚式と披露宴の手配に関しては、彼女の実家の近くに住む女性2名に、「コーディネーター」の仕事をお願いしました。「ベーシックコース」でお願いした彼女達の担当は、「新郎新婦の衣装」「式で役割のある人の衣装」「教会の飾り付けの花」「ブライダルカー(移動の時に使う)の手配」披露宴の「ウェディングケーキ」「結婚招待状と披露宴の粗品」などです。値段は5万ペソ。それと別に披露宴会場を決めるのですが、これは市内の高級シティーホテルにお願いしました。費用は「見栄」を張って9万ペソ。それに教会でかかる費用が別途5千ペソ(1万円程度)で、総額で15万ペソ弱(約30万円強)でした。これは日本と比べると格安ですね。日本だと100万円以上はかかる内容だと思います。

(by take)今日も、個人的なお話で恐縮です。

先月の25日にセブの教会で彼女と結婚式を挙げ、市内のホテルで披露宴をすることができました。終わって「ほっ」としている所です。(^_^)今回はフィリピンでの結婚式にまつわる苦労話です。

まず、フィリピンで結婚しようと思えば、二通りの選択が出来ます。一つは市役所で「ジャッジ」と呼ばれる弁護士の前で結婚の宣言をして、そのまま書類提出するケースと、教会の神父の前で挙式を行い、教会が市役所に届け出をするケースです。

市役所で行う場合は、一人結婚を承認する人が必要ですが、必要経費を払えば、簡単に書類作成出来ます。場合によっては、夜に訪れて結婚書類提出する「シークレット・マリッジ=SM」と呼ばれている方法も可能です。

(by take)フィリピンは言わずと知れたアジア一のキリスト教大国です。そして発展途上国であり、一般的に貧富の格差が大きいと言われています。民間の調べでは失業率は20%を越えるとの事です。それを証明する様に町中には仕事もしないで、日中からプラプラしている男性の多さにも驚きます。

少し前に新聞に載っていた世論調査で、面白いアンケートがありました。質問はずばり、「貧困から抜け出すために何をするか?」

第一位は、なるほどの答え「海外就労に出る」でした。実際にフィリピン人は日常的に英語を話せる人が多く、言葉の面では母国語が英語でない国ですが、ハンディーは殆どありません。国内の雇用状況や給与水準は決して高いレベルとは言えないので、みな簡単に海外就労の道を選びます。

(by take) 先日、こちらに住んでいる知人が日本へ帰国すると聞いて、気心の知れた友達ばかりで送別会をしました。

帰国の理由は、フィリピン人との結婚を決めたので、一緒に日本へ住む為の準備を進めるとの事。3月末から4月上旬に再来比して、結婚式を挙げた後、日本での定住VISAを取得して一緒に日本で暮らす計画だそうです。

よくあるパターンの話に聞こえましたが、大きく違う事は僕の友達は日本人女性でフィリピン人男性と結婚するという事です。

先日の記事で男性が日本人、女性がフィリピン人のカップルは毎年8,000組ほど誕生しているのに対して、彼女の様に女性が日本人のカップルは現在170組程度しかいないそうです。そして送別会に参加した中に、その貴重な日本人女性の先輩(旦那がフィリピン人)もいて、貴重な人生観を聞くことが出来ました。

(by take) 先日、新聞を読んでいると胸が痛くなるような記事が出ていました。
それは教会横で中絶薬販売していた話。

マニラ市内の教会周辺の路上で中絶薬を違法に販売したとしてカロオカン市在住の女性(39)が逮捕されました。調べでは、女性は処方せんが必要な中絶用の飲み薬を販売した疑い。同教会を訪れた若い女性らに近付き、1錠35ペソ(75円程度)で販売していたとのことです。フィリピン人が信仰している「神」の横で、小さな命が奪われる違法行為が行われていたのです。

これは、悲しいかなよく聞く話です。フィリピンは人口の85%以上がカソリックというキリスト教大国です。その教えには「sexは子供を造る行為」であるとあり、妊娠中絶を「神の教えに欺く行為」と位置づけています。

(by take) フィリピンはみんな子供好きです。だから妊婦はとても大切にされます、と聞きました。

だからここでは「妊婦の言う事(お願い)」に関しては、旦那さんは叶えてあげなければいけません。たとえ夜中でも「スイカが食べたいの!」と言われたら、着替えて果物屋さんへ走るのが夫の務めです。幸い僕の彼女は思いやりがあるのか、余り無理を言わないので助かっています。(笑)でも、もし買い忘れて帰ると、しばらくは「スイカが食べたかったのに!」と文句を言われることになるのです。やっぱり(-_-)

妊婦が臭いに敏感になるし、嗜好がくるくる変わるのは万国共通ですよね。彼女もよかれと思って買ってきた大好きだった「ドリアン」が、ある日突然「臭くて」食べられなくなりました。

(by take)フィリピン人女性との結婚ですが、一般的に難しいと思われています。2004年度は約8,000組が結婚しましたが、同じ年に約4,000組の離婚もありました。数字だけみれば、「一か八かのギャンブル」みたいな結婚です。なぜこんなに離婚率が高いのでしょうか?

個人的な見解でいけば、一時の感情に流されて、充分国際結婚の難しさを考えずに結婚したカップルが多かったと思っています。

もめ事の多くは、「家族」に対する考え方の違いと「お金」に対する考え方の違いですね。

フィリピン人は、貧しい苦境を乗り越えるために家族が一致団結して助け合った歴史が有る為か、家族の絆が本当に強いのです。結婚して遠く日本に嫁いできても、祖国にいる家族の健康を祈ります。

(by take) 僕の両親は自営業を営んでいたので、小さい頃から「商売」を身近に感じていました。

大学を卒業する時には(随分、昔になりますが)ネクタイをしてオフィスワークが性に合わなくて、洋菓子の製造販売の会社を選んだのです。その会社で「店長」として店を任されて働いたのですが、在職中には随分「サービスとは?」言う事を考えさせられました。今から思えばその会社は「顧客第一主義」をしっかり考えている良い会社でした

元々日本では「阿吽(あうん)の呼吸」等で代表される様に、「いちいち言わなくても察して、かゆい所に手が届く様なサービス」が大切だと考えられて来ました。そう言った視線でフィリピンを見た場合は、本当に「まだまだ」な国だと感じます。基本的な事が出来ていないのです。

(by take)フィリピンのセブのイメージは「常夏の島、熱い太陽、青い海」でしょうか?

私が2年半過ごしたカオハガンは、本当に海がきれいです。環礁にある島ですから、珊瑚礁と外海の境目の棚には、カラフルな魚が沢山泳いでいて、何回潜っても飽きませんでした。

でもカオハガンから僅か数キロのところにある他の島々の一部は、違法な漁が続けられていてどんどん珊瑚が破壊されています。その方法は2種類あります。一つは手製のダイナマイトを海に投げ込み、衝撃波で魚を気絶させ、浮かんできた魚を根こそぎ捕る「ダイナマイト漁」漁師の中にはダイナマイトが暴発して手足を無くした人も見かけるぐらい、粗悪なダイナマイトを使っているのです。これは魚礁になる珊瑚が粉々に砕けるのはもちろん、成魚も稚魚も全て捕るので、あっと言う間に漁場は壊れてしまうのです。

(by take) 扉

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(by take)初来島から、毎日心地よい「追われるような忙しさ」に身を包みながら、あれこれと動いていました。

積極的に関わる為に、翌年2月、と4月に続けてカオハガンを訪れて、その度に島を訪れているお客さんの話を聞いて、「カオハガンの素顔」を探してみたりもしました。もちろん崎山さんとも、毎回じっくり話をさせて頂きました。

駅前留学に関しては、日々を重ねる間に少しずつ分かるようになってきました。と言っても幼稚園レベルで恐縮ですが (^_^;;)、
そしてマラソンも12時間17分で、100キロ完走出来ました。?(^_^)/でも、もう二度とやる勇気はありません。本当に大変でした。軽く考えていました。