クヌギーの最近のブログ記事

(by クヌギー) 待っているときは、本を読めません。自分が待っているものに関心が向いているので、集中できないのだと思います。たとえば、よく知り合っていない人との待ち合わせといった、ちょっとした緊張を伴う待ち時間とか、映画やお芝居がはじまるまでの時間とか。

それは当たり前のことなのですが、はっきり自覚したのは、今年に入ってからです。

1月に父がある手術を受け、そのときの麻酔から覚めないということがありました。
手術自体は予定よりも短い時間で成功したのですが、想定されていた時間になっても、父の意識は戻りませんでした。手術中の麻酔のチャート、術前術後の検査結果、どれからも目覚めない理由が見つからず、なにか身体に重大な病気があって意識がないのではなく、ただ目覚めないだけとみられました。それまでに同様の手術を数百件手がけてこられた主治医の先生にとっても、このように目覚めない例ははじめてとのことでたいへん困惑されている様子でした。
けっきょく父は術後5日目に意識が戻りましたが、それまでの間、母と妹、私の3人は、父が目を覚ますのをひたすら待っていたのです。

(by クヌギー) この数年で、生活の中で書くことが根づいてきました。
書くところは主にブログです。内容も読んだ本のことが中心ですが、暮らしに関することや、ちょっと考えたことも書きます。今では、常日頃からふとしたときに「これは書いておこう」と思うようになっていて、実際に、些細なことをちゃんと書き留めておくことが大切だと続けてみて感じています。
というのは、そのように書きためたものをときどき読み返してみると、少しずつ重なっているところがあることに気がつくからです。そして、重なってはっきりと色濃くなっている部分が“答え”とか“ほんとうのこと”で、それを見つけるにはたくさんの文章を重ねる必要があります。

そんなふうに時間をかけて答えを見つけるやり方が性に合っているようです。そもそも自分のやりたいことを考えるプロセスとしてブログを始めたので余計に、かもしれませんが。

ブログを始めたのは2004年の4月です。途中、気が乗らなくて月に数回しか投稿しなかった時期もありましたが、足掛け4年。小学生のときは日記が大の苦手で、毎日書くことが苦痛だったのに、不思議なものです。

(by クヌギー) 歩いているときと、考えごとをしているときは本を読みません(学生だった時分は本を読みながら歩いていたこともありますが、最近はさすがに……)。
そして、歩くときと考えるときは、あえて遠回りをしています。

はじめに断っておくと、私にとっての考えることとは“ものおもい”に近いです。物語的な、一種の妄想に近いこともあります。この場所で“考える”という言葉を安易に使うのはたいへん危険なことなので、念のため。

さてこの春、どうしてだか花粉症の症状が軽くなってきたので、春の日差しをたっぷりと楽しむことができました。10数年ぶりのことです。以前から歩くことは好きだったのですが、着るものが軽くなると足取りもいっそう軽くなって、歩くことがちょっとしたマイブームになりました。
ブックピックオーケストラのミーティングや友だちとの待ち合わせにも時間の許すかぎり徒歩で行きました。また、移動手段としてだけではなく、歩くこと自体を楽しむ機会も増えて、友だちとまたはひとりで、あちこちへ桜を見て歩きました。こんなに桜を眺めた春ははじめてというくらいに。

(by クヌギー) 週4日、家の近くで事務のアルバイトをして生計を立てています。データ入力の仕事です。今回はそのアルバイトのことを書きます。

アルバイトをするのは生計を立てるためですが、職場は、組織の中で働く楽しさを味わい、自分の社会性を維持する場所でもあります。

ちょうど今、4月から6月までが部門の繁忙期なので早出や残業をします。
残業なしでも食べていけるだけの稼ぎにはなるので、残業をする必要はありません。でも、みんなが忙しくしているときにひとりでさっさと帰るのは気が引けます。また、週4日めいっぱい働いてしまうと、本のための3日のうち丸1日以上を完全に休まないともちません。
得意なスタイルである“こつこつ続ける”は、山場を作らないことでもあります。そこで、早く帰る気疲れと、残業による身体の疲れのバランスを考えて、「フル残業は週2日まで」というルールを決めました。この数か月分の残業代はちょっとしたボーナス、お楽しみです。

(by クヌギー) 先日読んだ料理のレシピとエッセイの本に、「つまり、料理というのはメランコリーの妙薬であり、美しい思い出であり、楽しい理科の実験でもある。」という一文があり、大いに共感しました。
前回書いたパン作りも料理の一種ですが、“楽しい理科の実験”の要素が強いです。配合、温度、どれをいじると、どんな結果になるかを観察することが楽しいです。
そこで今回は、日々の食事の支度を中心とした、料理の“メランコリーの妙薬”としての効用について書きます。

まず、少なくとも私にとっての料理は、義務としての家事ではなく、好きなものが食べたいという、食いしん坊な性格の延長線上にある趣味です。プロセスが楽しくて、やっている間は夢中になれて、うまくできると人に自慢できるので、いろいろな習い事や、スポーツなどと似ています。そう考えると”メランコリーの妙薬”となりうることが想像しやすいと思います。

(by クヌギー) 2年ほど前から、週に1回の頻度でパンを焼いています。
家に友だちが集まることが多く、その献立に、みんなが「わーっ」と言うようなものを取り入れたいと考えるうちに、「焼きたてのパンを出せたらどうだろう」と思い立ったのがきっかけでした。

子どものころ、母が手作りパンを焼いていました。近所にパン屋さんがなかったこともありますが、第一には子どもがよろこぶから作ってくれたのだと思います。
パンが焼きあがるときは家中に香ばしい空気が満ちて、期待と幸福感をいっぱいにしてオーブンの中を見つめていました。そんな焼きたてパンのよろこびがきっと記憶に染みついていて、これを友だちにも教えてあげたいと思いました。

母は手先が器用なのですが、その子どものほうは生来の不器用です。パン作りも母と同じようにはできないと思い、最初は実家に電話をかけて「私にもできるかなぁ」と聞いてみました。すると、私の実力をよく知る母から「平気よぉ」という案外気楽な返事がもらえて、ひと安心しました。

(by クヌギー) かばんの中にはいつも本が入っています。うっかり持たずに出かけたら、途中で何か買ってでも1冊は入れていないと落ち着きません。そんな体質ですが、「趣味は読書です」と言うことには違和感があります。

その理由はふたつあって、ひとつには言葉の持つ印象です。人から「趣味は読書です」と言われたら、親しみよりもけむたい感じを受けるだろうと思います。「本が好きです」だったら、「どんな?」と自然に返せますが。また、「読書家だね」などと言われては、「いえ、ただの本読みです」と訂正したくなります。
そんなふうに「読書」にはうっすらと高尚さを訴える雰囲気がただよっていて、「読書家」には近寄りがたい印象があります。それで「本が好き」とか「本読み」という言葉を使っています。

もうひとつは、そもそも本を読むことが趣味と言えるかが怪しいことです。

クヌギーこと、功刀貴子(くぬぎひさこ)です。

知恵市場には何度かネタとして登場しています。
好きな「本のこと」を仕事にしようと10年以上勤めた大企業を辞めたのち、新天地であっけなくコケちゃって、でもわりと早く立ち直って、ちょうど1年経った2008年3月・・・です。

現在は週4日、生活費を稼ぐために事務能力を切り売りし、残りは本のことに費やしています。
その暮らしぶりは半隠居とも称されますが、本人はけっこうがんばっているし悪くない進み方だと思っています。

本のことは主にbook pick orchestraの活動です。
bpoはいろんなことやっています。一緒に何かしませんか?というお誘い歓迎です。

そのほか、日々読んでいる本、暮らしのこと、思うことなどブログに書いています。
お暇なときにどうぞ。


(参考)
book pick orchestra →http://www.bookpickorchestra.com/
ブログ「図書室たき火通信」 →http://takibilib.exblog.jp/