(by ねもけん) Pacoさんの成果主義が機能する要件を読んでみて感じたこと、特に最後に投げかけられていた 『従業員から成果主義はどのように見えるのか?』 について綴ってみたいと思います。
まず、成果主義が導入され始めた頃は皆んなが感じたことがあると思います。それは何となくいやだなぁ?、目標って言ったってそんなに定量的にゴール設定できるかな? それで達成できなかったからどうするのか?等々です。 私個人的にはこれは良いことだと思っているのですが、このような不安?は実は本来会社の一員として業務を推進する者としては本来認識していなければならないことだと思うからです。 実際の成果主義を履行してゆく中で設定される具体的な目標とまではいかなくても、成果主義導入以前であっても、会社の方向性(向かうべき方向はどちらか?ゴールは何か?など)や本部・部・ひいては所属する課がなすべき業務は何なのか?そんなことを一社員が意識しているべきと思うからです。 成果主義の導入とはある意味、これらのことを現実に行なわなければいけなくなった会社からのお達しであり、そのために 『なんかいやだなぁ』 という第一印象だったのでは?と思うのです。この点では会社側から見れば、運用方法さえ間違わなければ、成果主義とは社員の仕事の達成度を上げる→会社としてのゴールを達成する、という大変素晴らしいものであったではないでしょうか?(但し現実にはそう簡単に機能しなかったわけですが・・・)
成果主義をどう見るか、感じるか?についてはPacoさんが分類している4つのカテゴリー(例えばですが)によって、それぞれ異なると思います。私は成果主義が機能するタイプの2番目のカテゴリー(と自分で勝手に思っています)、即ち、目標設定大賛成、成果報酬という考え大賛成、仕事できる人は仕事できない人に比べてお給料はもっともらえるべき・・・なんて派でした(1990年代後半)。理由は簡単で、これは別の機会(次回?)に委ねますが、成果主義導入前は仕事の評価と給料への還元という部分が非常に曖昧で、悪い言い方をすると、成果をあげて会社に貢献する人よりも、残業時間の多い人の方がお給料が高かったりする事実に反感を覚えていたからです。
成果主義が機能しないタイプのカテゴリー4番目の様な方には、Pacoさんも書かれている様に成果主義はこれまで曖昧にしてきたものを強制的に明確にさせられるお達しであり、いままでグレーな部分に胡坐をかいてきた人にとっては苦笑いするしかないものであったのでしょう。そのため、賃金保障はするべきとか、別の切り口、手法で会社に対して成果主義の反対を訴えたのだと思います。
ここまでは、一社員と会社側という2way的な考え方で見てきたのですが、ここに社員同士のお互いの評価という軸を加えれば?と私は思っていました。つまり、よくあると思うのですが、あの人は誰から見ても仕事をこなしていて、貢献度の高いと思える人。逆に全くダメと刻印を押されてしまっている人。そういう認識ってあると思うんです。 でも、だからといって皆が皆の評価をするのでは実際のシステムが成り立たなくなってしまいます。
そこで思うのですが、誰がどのような目標設定を行っているのか?そしてそれがどのように評価されているのかが分かれば皆んが非常に ”スッキリ”するのでは・・・? と。