(by JIN)OTOSHA19「昭和15年戦争」Day3受講記録

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(by JIN)

5月25日に実施されたOTOSHA19「昭和15年戦争」Day3の受講記録を書きます。

本稿では、受講者目線で、セミナーの受講記録を書きます。なお、一部JINの私見にわたる個所が含まれる点、ご容赦ください。

5月は、「昭和15年戦争」をテーマとして、4回でセミナーを行います。今月は、理想科学工業株式会社様のご厚意により、同社の会議室をお借りしての実施です。

「昭和15年戦争」Day3では、1931年の満州事変から1937年の日中戦争開始まで、日本が戦争の泥沼に突き進んでいくプロセスを追いました。1937年以降は、日本が万里の長城を超えて中国への侵略を開始しており、もう全く後戻りの出来ない状況に突入していきました。1941年から始まった対米太平洋戦争も、対中戦争から抜けられず、その行き着く先として起きた戦争と整理できます。したがって、1937年は、昭和15年戦争における、最後の「Point of No Return」であったと整理できます。

そして、1931年?37年は、一言で表すと、「ロジックがねじ曲がっていった時代」です。Day3では、主に、ねじ曲がったロジックの具体例について、ディスカッションしました。その理由については、Day4辺りで総括されるかと思います。

ねじ曲がったロジックの具体例は、次のとおりです。
■軍人が政治の上位に立った
■出口戦略の無い戦争を始めた
■テロの正当化

以下、具体的に書きます。

■軍人が政治の上位に立った

戦争は、政治の一手段です。したがって、国益追求のためには、政治が軍隊の上位に立つべきであって、その逆の状況は国益を損ねます。

しかし、1931年辺りを境として、軍人が政治力を持つ時代になっていきました。そして、問題は、軍人には政治的な戦略がなかったことです。

■出口戦略の無い戦争を始めた

軍人の政治的戦略のなさが大きく露呈したのが、「出口戦略の無い戦争を始めた」という点です。

1904年の日露戦争の際には、日本は、出口戦略を常に念頭に置きながら戦争をしていました。ロシア相手に戦っている最中も、常にどの時点で戦争を終結させるかを探っていたのです。

しかし、1931年の満州事変の切っ掛けとなった柳条湖爆破事件は、宣戦布告もないままに、日本軍の陰謀によって惹き起こされており、以後、なし崩し的に戦闘状態に入っています。そこには、終結に向けての戦略はありませんでした。

満州事変以後、1937年の日中戦争、1941年の太平洋戦争のいずれも、出口戦略なきままに戦闘が開始されています。

■テロの正当化

時の首相を暗殺した515事件も、青年将校がクーデターを実行した226事件も、いずれも、軍部によるテロ行為です。

しかし、国家に対する反逆行為であるにもかかわらず、国民の世論的には、事件を起こした軍人に対する同情が集まってしまいます。特に、226事件については、天皇が軍服を着て、決起将校を逆賊と断じて処罰したにもかかわらず、以後、軍部は逆に勢いを持ってしまうという状況になります。

一度、天皇から断罪されながら、かえって軍部が勢力を増してしまう、そのロジックのねじ曲がりはどこから生じて来るのか・・・?昭和15年戦争の大きな謎ですが、この点を解いていく辺りに、この戦争の原因の根っこが潜んでいそうです。

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