(by JIN)OTOSHA19「昭和15年戦争」Day1の受講記録

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(by JIN)

5月11日に実施されました、OTOSHA19「昭和15年戦争」Day1の受講記録を書きます。

本稿では、受講者目線で、セミナーの受講記録を書きます。なお、一部JINの私見にわたる個所が含まれる点、ご容赦ください。

5月は、「昭和15年戦争」をテーマとして、4回でセミナーを行います。今月は、理想科学工業株式会社様のご厚意により、同社の会議室をお借りしての実施です。

テーマ「昭和15年戦争」は、1昨年2009年12月のOTOSHAでも取り上げています。「歴史」の視点から世の中を考えるテーマという点で非常にOTOSHA的なのと、再講義のリクエストも多かったことから再度取り上げたものです。


私がDay1を受講した感想としては、歴史に対する基本的スタンスはしっかりと前回2009年12月のコンセプトを引き継いだ上で、更に新しい知見が加わってバージョン・アップしていました。

OTOSHAの歴史に対する基本スタンスは、歴史を学ぶ意義を「IFを考える」点に求めるということです。ちまたでは、歴史を語ろうとすると、「歴史にIFはない」として、仮定を置いて歴史を語るのを避けることが多いです。しかし、仮定を置いて考えることこそが思考の訓練につながるのであり、そこに歴史を学ぶ意味があると考えるのがOTOSHAのスタンスです。

4回のうち、「昭和15年戦争」Day1では、1930?45年の15年戦争に向けて、日本を戦争に駆り立てていった諸要因についてディスカッションしました。そして、それらの諸要因は、大きく、次の3つに整理できます。
■社会情勢:国民意識・軍事情勢・経済情勢
■外交情勢:日英同盟
■国内情勢:背景思想・明治憲法の矛盾

以下、具体的に書きます。

■社会情勢:国民意識・軍事情勢・経済情勢

日本の「戦争」を語るにあたって、私は、これまで大きな誤解を2つしていたことにOTOSHAを受講したことで気付かされました。

1つは、戦争は、太平洋戦争の「4年」ではなくて、日中戦争の「15年」と捉えないと歴史認識を誤るということです。というのも、太平洋戦争開始の1941年に至っては、もはや開戦を避けるのは非常に難しくなっていたからです。歴史に「IF」を持ち込んで、戦争を回避できた可能性を探るOTOSHAとしては、まだ引き返せる可能性のあった1941年以前の状況を考察しないと意味がないのです。その点で、1941年の米国からの最後通牒ハル・ノート等について云々するのは、あまり実益の無い議論です。

もう1つは、戦前の日本は、1945年の終戦に向かって、一直線に戦意高揚を高めながら突っ走った訳ではない、ということです。実際には、好戦気分・厭戦気分を行きつ戻りつしながら、戦争に突き進んでいったのです。その辺りの状況を細かく見ていかないと、歴史からは学べません。具体的には、日露戦争に勝ち、一次大戦で漁夫の利を得た状況の下、戦争をオイシイものと甘く見るようになってしまった国民意識があります。また、軍事的には、第一次大戦後、米英からは軍縮を迫られ、自らの存在意義を強調するために軍拡したい軍事組織の思惑がありました。さらに、経済的には、1929年の大恐慌後、困窮を極める中で、軍隊は失業対策になりましたし、戦争経済に期待する気運も高まっていきました。

■外交情勢:日英同盟

太平洋戦争の直接の原因は、1941年7月の日本軍による南部仏印進駐に米国が激怒した点にあります。しかし、その点だけに目を向けてみても、歴史をまだ「現象」として見ているに過ぎません。当時の国際情勢を考える上では、裏から表から世界の覇権を握っていた英国の思惑を見ていかなければなりません。

さかのぼって日露戦争をみると、日本が勝利できた1つの大きな要因は、1902年に締結された日英同盟があったからです。日本は、英国から戦費調達等の大きな後ろ盾を得ました。しかし、日英同盟は、第一次大戦後、1923年に失効しています。英国と手を切った事が、その後の戦争、そして敗戦に向けての1つの大きな要因となっています。

■国内情勢:背景思想・明治憲法の矛盾

戦争に向けて、実は大きな影響力を与えているのが、思想家による思想です。今回OTOSHAで取り上げたのは、吉田松陰の「大日本主義」です。吉田松陰は、明治維新の立役者たちのバックボーンとなる思想を打ち立てた人ですが、その根本思想が、日本が海外に羽ばたいていくことで国力を増強しようとする「大日本主義」です。明治維新の立役者たちは、この大日本主義を精神的支柱に据えており、昭和の指導者たちもその思想を受け継いでいます。

また、軍部の独走の大きなきっかけとなっているのが、明治憲法が抱えていた根本的矛盾です。それは、天皇の地位を曖昧にしていたことです。具体的には、天皇に陸海軍を統帥する権限を与えておきながら、陸海軍大臣に天皇を輔弼する権限を与えていた点です。天皇は、陸海軍のすべてについて命令を下すことはできませんので、実質的には、陸海軍が軍事の決定権を担う事になります。そこに政治的判断のプロセスがなかったのが問題で、軍部は、本来天皇が持っている統帥権を自分たちが振りかざす「統帥権干犯」という理屈をひねり出しました。この「統帥権干犯」という理屈の繰り返しが、軍部の独走をエスカレートさせていくことになります。その辺りの事情については、Day2以降に明らかにされてくることと思います。

(by JIN)

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