(by JIN)「ワイルド・レンジ」を観た(ネタばれ注意!)

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(by JIN)
2003年の西部劇映画「ワイルド・レンジ(原題:Open Range)」を観ました。ケビン・コスナーが監督・主演を務め、ロバート・デュバル、アネット・ベニングが助演として脇を固める配役です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Open_Range

ハリウッドの超豪華キャストが集い、セット・シーンの作り込み・画面編集の何れにも一流の技術を結集している跡がみられ、映画全体としての出来はなかなかのものだと思います。エンターテイメント作品として観るのに損はない作品だと思います。ただ、今回のブログでは、作品そのものの出来とは離れて、この作品の背景・・・アメリカのカウボーイ精神の変容に焦点を当ててみます。

なお、この先は、「ネタばれ」ですので、その点ご容赦ください。

■1950?60年代初頭の西部劇の隆盛

1950?60年代初頭、アメリカの西部開拓時代を描いた西部劇が隆盛を極めました。

パターンとしては、
・白人がアメリカ先住民族(インディアン)をやっつける
・白人の正義の味方(カウボーイ)による悪人懲らしめ
・西部での白人同士の縄張り争い
といった所がメインです。

いずれも、「正・悪」を二分し、「正」が勝つことに対する爽快感を「売り」とするものです。私も、子供の頃は、カウボーイ(ガンマン)たちの銃を抜く速さ等に夢中になったものでした。

しかし、特に「悪」とされたアメリカ先住民族の描き方は偏見に満ちたものでした。大体、「アワワワワワ?」等と訳の分からない嬌声を発しながら裸馬に跨って、白人の住宅を焼き討ちにするような役どころとして描かれていました。

1960年代中盤になると、ベトナム戦争・家族に対する価値観の変容等の影響もあり、西部劇は廃れていきました。

■西部劇の復権

1990年、ワイルド・レンジと同じケビン・コスナー監督の手になるダンス・ウィズ・ウルブスが久し振りの本格的西部劇として封切られました。

しかし、内容は、白人側からの視点ではなく、迫害される先住民族の立場から描かれたものでした。これは、メジャーな映画としては、これまでになかった視点です。西部開拓時代の白人の正当性は、そのままアメリカ開拓の正当性ともなっていたため、私は衝撃を受けました。

もっとも、当時の世情を振り返ると、映画プラトーン等でベトナム戦争の非合理性がかなり共感を呼ぶ状況になっており、宿敵とされたソ連も崩壊寸前でアメリカは戦う相手を失いつつある状況でした。そうした中で、単に世界の警察官を以って自任していたアメリカ人の価値観に変化の兆しが表れていたと考えられます。アメリカ人自らのアイデンティティの源泉であった白人絶対の西部開拓史に対する史観にも、微妙な変容が表れていた時期なのだと思います。ダンス・ウィズ・ウルブスは、そうした微妙な変容をうまく掴み、アカデミー賞を受賞したのだと考えます。

ただ、その後の「西部劇」のヒットは、かつての西部劇スターであるクリント・イーストウッドの「許されざる者」等、単発作品にとどまっています。かつて1950年代のような隆盛は訪れませんでした。

■ワイルド・レンジの登場

そして、2003年、ワイルド・レンジの登場です。

この映画は、カウボーイ最後の時代にカウボーイの暮らしを頑なに守り通してきた主人公が、町の暮らしに入っている悪人にキレて、最後の戦いを挑むというストーリーです。そして、戦いの後、最後には、主人公も「町の暮らし」に入って行くことになります。

私がこの映画で面白いと思ったのは、カウボーイを扱う西部劇の形式を取りながら、カウボーイの終焉・・・つまりは西部劇時代の終焉を描いている点です。1950年代には、正義があれば人殺しは完全に正当化されていました。しかし、この映画では、悪人を殺す場合であっても、人殺しが人の精神に与えるダメージを描いています。

かつて、ダンス・ウィズ・ウルブスで、白人至上主義に疑問を投げかけたケビン・コスナーが、今度は、西部劇のあり方そのもの、人殺しそのものを単純化し過ぎるストーリー構成について疑問を突き付けています。

アメリカは、今もなお、アフガニスタンその他の地域で、「悪」と決めつけた国の国民の殺害を正当化し続けています。

しかし、その裏で、少なくとも映画の世界では、1950年代の西部劇的なアメリカ至上主義に対する疑問の声が投げかけられ、それがアメリカ国民にも支持されるようになってきていることを感じました。
(by JIN)

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