(by paco)経済学は「学問の王様」だったのか?

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(by paco)オトワさんからこんな記事を紹介してもらった。

おもしろい記事なので、一度読んでもらいたいのだが、主旨は以下の点。

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世界経済が順調に回っていた頃、経済学者たちの威信は着実に高まっていった。彼らはグローバル化の時代のグル(導師)だった。政府やコンサルティング会社、投資銀行などが、貴重なスキルや情報を握っていると思われていた経済学者を競って雇った。

 これとは対照的に、歴史学者はただの芸能人か講談師のような扱いだった。古文書ばかりあさっていて科学的な手法を使わない。テレビ映りは悪くないが、パワーポイントを持たせても何もできないし、政府や取締役会の役には立たない、というわけだ。
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要するに、いまや経済学が学問の王様で、歴史学や、まして哲学など、現実世界に対しては役に立たない「芸能人か漫談師」だということらしい。

ほほ?、そうなんだ。

そもそも僕には、経済学が学問の王様、という認識がまったくなかったので、それと比べて歴史学が漫談師あついされているというのもピンと来ていないのだけれど、もうちょっと枠を広げて、電気工学や化学工学が学問の王様で、人文科学(経済学も含めて)は漫談し扱い、というなら、それはそれでわからないでもない。

文科省の学術振興予算も圧倒的に技術系に傾斜しているので、技術や工学やサイエンス以外は、単なる物語を語る語り部、というような感じは、国家も推奨しているのだと思う。つまり、こういうわく組では、経済学も歴史学も、いずれにせよ道化師、ということなら納得がいく。

僕が大学に入ったとき、一般教養で政治学をとった。単に単位のコマ合わせだったのだけれど、けっこうおもしろかった。その時の教授が最初の回に言ったこと。

「政治というのは常に一回性で、同じ政治が行われることは世界を見渡しても歴史を見渡してもない。だから、過去の政治を研究して何か法則を見つけても、それが役に立つことはほとんどない。にもかかわらず、政治学はとても重要だ。ある考え方に基づく政治がどのような結果をもたらすかを検討し、抽出しておくことで、政治の劣化を防ぐことができ、政治の犠牲者を減らすことができる可能性がある。政治学の知見が直接役に立つことがないからといって、政治学を否定すれば、人間の精神活動のほとんどは意味がなくなる。政治学は、人間の限界をもっとも象徴的に持っている学問だ」

というような話だった。もうかなり前のことなので、本当にこういったのかはわからない。僕は彼の講義を通じて、政治学と人間の歴史の不思議な関係を理解し、こういう不確実な学問の重要性を理解した。

物理学は、それが発見した法則に則って、結果が確実に起こることを予測できる。しかし、結果の確実性が信じられたのは、ニュートン力学までだ。素粒子の概念が登場して以降、物理学の結果は、それ自体で決まるのではなく、観察者の存在によって変わることがわかった。すでに物理学でさえ、絶対的な未来を説明してくれない。

せいぜい、理論数学ぐらいが絶対的未来を説明できる領域なのだろうが、それが適用できる範囲は、理論数学の世界に限定される。

経済学が未来を予測できるなどと、いったい誰が信じているのだろう。無教養も甚だしい。人間に未来を正確に予測する力などない。そんな完璧さは原理的にアリエナイ。それは、カントが純粋理性批判によって18世紀にすでに圧倒的に証明してしまっている。

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