(by JIN)かみさまほとけさま

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日本人は、生まれると神社にお宮参りし、七五三でも神社、でも年に一度のお盆は仏教っぽいし、クリスマスはキリスト教・・・というように、多様な宗教を生活に取り入れていても矛盾を感じないと言われます。

最近、こうした宗教の多様性は、市民生活側からのことではなくて、宗教者自体がそうであることを知りました。また、そうした宗教の多様性を支える1つの考え方にも触れました。今回は、その辺りの事情について書いてみます。

■宗教者自体の持つ宗教の多様性

宗教者自身、自ら信仰する宗教に多様なものを取り込んでいる例を最近、2つ知りましたので、紹介します。

1つは、修善寺の歴史です。週に1度、フランス人の方が開催しているランチに参加しているのですが、そのフランス人の方は、伊豆にある修善寺のファンです。ただ、「修善寺の開祖である空海は真言宗なのに、なぜ、現在は禅寺になっているのか?」について、そのフランス人の方は疑問を持っておられました。修善寺にいたお坊さんに聞いても分からなかったといいます。

そこで、さっそくググってウィキペディアを参照すると、色々と寺の主を変えるうちに、当初の真言宗が禅宗(曹洞宗)に変わったとの歴史が書かれていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA

私は、まず、フランス人の方が、お寺の宗派を気にすることそのものが「なるほど?、そういうことが気になるんだ?」と思い、日本人の私はお寺の宗派はあまり気にしていないということに気付きました。

その上で調査の結果、お寺って、意外に適当に宗派が変わっても受け入れちゃうのかも・・・と感じ、意外にアバウトだな・・・という感じがしました。たしかに、外国の宗教で言えば、キリスト教の教会とイスラム教のモスクでは全く違いますし、同じキリスト教でも、カトリック教会とプロテスタント教会とではしきたりが違います。そうした西洋の宗教観からすれば、日本のお寺のあり方に違和感を感じるのも理解できます。

2つ目は、NHKで観た春日大社の儀式です。春日大社は、れっきとした神社であって、全国にある春日神社の総本山・・・年に一度は天皇の名代が来るような由緒ある神社です。

しかし・・・年に1度の行事として、近くにあるお寺の仏教の僧侶がお経を唱えに来る、というのがあるそうです!普段は日本古来の独特の音楽の音色が響いている神社で、念仏の声が聞こえるというのは、ちょっとびっくりでした。なんでも、神道も仏教も仲良くしていこう!ということの証としての行事、とのことでした。

なるほど・・・由緒ある神社であっても、仏教との間に、それほど高い垣根を設けている訳ではないようです。

■宗教の多様性を支える考え方

最近、佐藤優の宗教に関する本を読んでいて、宗教というのは、せんじ詰めれば、「見えない世界・・・たとえば死後の世界」に対する恐れへの救済だという定義に出会いました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4140883081

見えない世界に対する恐れへの救済、ということ言えば、日本人は、聖徳太子の時代から、神と言わず、仏と言わず、祈りを捧げてきました。そうした伝統があったがゆえに、安土桃山時代、同じく救済を目的とするキリスト教が、イエズス会によってもたらされ、無理なく根付いていったといいます。

なるほど・・・日本人は、昔から、宗教の形態がどれかということには余り頓着せずに、「見えない世界に対する恐れへの救済」という宗教の本質部分は必要とし、取り入れて来た、ということです。そのように考えれば、冒頭に挙げた例・・・1年に何度も宗教が変わる、という日本人の特性も理解できます。また、日本の宗教者が受け入れている多様な宗教観というのも頷けます。

もちろん、日本人の中にも、仏教・神道・キリスト教、その他個別の宗教を信仰している人もいますが、冒頭の例のようにいくつもの宗教をミックスして取り入れている人もたくさんいます。このミックス型は、「宗教心がない」ということではなくて、多様な宗教を取り入れてしまう、日本特有の宗教観と考えて良いのではないかと思います。

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