(by paco)【pacoの目×ecoの芽】025風力発電懐疑論への反論

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(by paco)温暖化対策に暗雲が広がっている印象があります。「クライミットゲート」と呼ばれる疑惑が出て、温暖化の「証拠」とされている気温のデータがねつ造されていたとか、いわゆる「温暖化懐疑論者」からの反論がいろいろ出ている状況です。

では本当に温暖化は「ない」のか、というような話はまた改めるとして、今日は温暖化対策の切り札と言われてきた風力発電の話。こちらも、いろいろ反論というか、ネガティブな情報が出てきています。

たとえばこちら

で、上記の本にあるようなことは、「本当なのか」ということですが、「本当なのか」と言うより、「問題なのか」という点です。

確かに、ここあるようなことは「ウソ」ではないと思います。ただ、「問題」なのか、「問題と言えるのはなぜか」という観点から考えると、背景が見えて来ます。

上記の本に繰り返し書かれていることの中で、以下のことは、「風車の問題」ではなく、「風車を設置する問題」です。

「地権者の同意がない」「アセスメントがいい加減」「騒音データをごまかす」「現金ばらまき」「自然公園内につくった」などは、すべてつくるまでのプロセスが民主的な合意に基づいていないことによって起きています。この問題は、従来からの日本の「公共事業」にはずっとついて回ってきたことで、それが風車でも起きてしまったということ。もちろん、プロセスを変えるべきなのですが、現状の問題も風車固有ではなく、まして原発などではもっとずっと問題の多いプロセスで進められているので、問題にすべきことが違う、というべきです。

あるべき姿としては、まずゾーニングをする必要があります。全国の風況を調べ、居住濃霧や国立公園、生態系などを考慮して、どこは風車を積極的に設置する地域、どこはやめる地域と決めていく。これは欧州では真っ先にやられていることです。

次に、風車に限らず、大型施設をつくるときの合意形成プロセスをしっかりつくる。これも北欧から起こった「コンセンサス会議」の手法が有効です。

こういった本来あるべきプロセスをとれば、上記の本にあるような問題の半分はクリアできます。

次に、それでも風車は「単純に善なるものではない」ということをよく理解するべきです。僕たちが「電力入らない、不要な生活をする」と決められるなら別ですが、文明の利便性も享受したいなら、何らかの発電設備が必要で、それはいずれにせよ、自然に影響を与えます。結果として経管や生態系に悪影響が出ることはやむを得ません。ただ、「原発や大型火力発電所」ができるのと、風車ができるのと、どちらが受け入れ可能なのか、という「どちらがましか」の議論をしなければなりません。「よくない」ことには違いがないという了解は、風車賛成派反対派双方が持つべきなのです(これをロジカルシンキングでは「イシュー合わせ」と言います)。

3つめとして、誤解もある、ということ。風車をつくっても火力発電所はなくならないと書いていますが、当然、すぐにはなくなりません。ただ、風車があれば、火力発電所の「稼働」は下げられます。火力発電はかなりリアルタイムで出力調整できるので、需要が減ったり、風車の電力が多くなれば、火力発電を絞ることになります。当然、CO2発生も減ります。つまり、設備としての火力発電所がなくならなくても、CO2発生は確実に抑制されるのです(でなければ、送電線に電力があふれて、故障してしまいます)。風車の量が十分できれば、火力発電所か、原子力発電所を順次休止、廃棄していくことになりますが、現状は、風車の量は、増えたとはいえ、ぜんぜん少ないので、発電所を廃棄することはできません。火力発電所がなくならないというのは、言われなき「中傷」です。

以上のように、大型風車懐疑論には、風車以前に解決しなければならない問題を指摘していたり、言われなき中傷も多いので、惑わされないことが重要です。もちろん問題はあるので、解決する努力は必要なのですが、風車を否定しても、意味がないのです。

環境問題にきちんと取り組むには論理思考が絶対に必要です。そのために、エコエグゼクティブ講座をやっています、ぜひご参加ください。

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