(by JIN)法律学者の社会的影響力

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(by JIN)
立花隆著「天皇と東大」を少しずつ読み進めています。上下巻それぞれ700ページある大著ですが、ようやく下巻の200ページほどまでたどり着きました。
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その中で、東大の憲法学者であった美濃部達吉が戦前唱えた「天皇機関説」が、当時いかに影響力を持ったかを知りました。それは、かつて私が法学を専攻していた頃の法律学者に対する思いを覆すものでした。今回は、その辺りの事情について書き記します。

■天皇機関説の社会的影響力

戦前、美濃部達吉東大教授によって唱えられた「天皇機関説」は、天皇を万世一系の君主と認めながらも、天皇は国家機関であって、明治憲法の定めに従って国会の定めた法律や内閣によって権力が制限される、という学説です。これは、当時、イギリス等で支配的な学説であった立憲君主説の立場に立つものです。

明治憲法をつくった伊藤博文も、天皇の位置付けについては、「天皇機関説」に近い立場を取っていました。また、官僚も東大で「天皇機関説」を学んできていたため、「天皇機関説」は、満州事変の起こる1931年頃までは天皇のあり方についての支配的な学説でした。

ところが、専制的な天皇制を唱える憲法学者であった上杉慎吉東大教授に師事し、1920年頃まで隆盛を誇っていた共産党勢力煮え湯を飲まされて、過激な右翼的発言を繰り返していた蓑田胸喜慶應大学予科教授に、美濃部達吉は格好のターゲットにされてしまいます。

蓑田胸喜は、天皇を「機関」と称することそのものに対して反発する論文を発表します。天皇は国家そのものと考える天皇専制的主権主義に基づく反論です。

これに対して、美濃部達吉は、天皇専制主義によってしまうと、天皇の代が代わる際に前天皇の権限が引き継がれることの説明が苦しくなることや、前代の天皇の負の遺産もすべて相続することになってしまう等、理論的な反論を加えました。こうした美濃部達吉の反論に対して、蓑田胸喜は、理論的には、効果的な再反論を返すことはできませんでした。

ところが、美濃部達吉は、天皇機関説の主張以外に、治安維持法に対する批判や統帥権干犯理論に対する批判等を行っており、軍部に快く思われていませんでした。そうした感情を持つ軍部は、蓑田胸喜が唱えたとおり、天皇を機関と捉える事自体を天皇に対する不敬と解釈し、天皇機関説に対する反発を強めていきました。

そして、「反天皇機関説」は、特に天皇の専制を理想とする陸軍の皇道派の合言葉となり、後の226事件を引き起こす1つの原動力となっていくのです。

私は、これまで、戦前の右傾化思想は、軍部の扇動によるものと思い込んでいました。たしかに、軍部の扇動による部分もありますが、その切っ掛けは、憲法の法律学者であった美濃部達吉の唱えた天皇機関説に対する反発にあったと知りました。このことは、私にとって、法律学者が世の中の世論に大きな影響力を持ちうるだと知る大きな機会になりました。

■私が学生の時のキャリア選択

私は、大学1?2年生の時、学外教授として刑法の講義を持っておられた前田雅英先生に学びました。そして、すっかり「前田刑法」にのめり込み、大学1年の時に出版された初版の前田雅英著「刑法総論講義」は、文字通りしゃぶり尽くしました。前田先生には講義の度に毎回質問に行っていたのですが、教科書の何ページにどんな事が書かれているのかほとんど記憶してしまっていて、「○ページの△の記述は・・・」と、空で会話が出来る位のレベルになっていました。

そうした「のめり込み型」の私の性格を見て、周囲の友人は、私に、学者になる道を勧めました。しかし、学者は「向いている」のかも知れませんが、私の「やりたいこと」ではない、というのが学生であった私の判断でした。

その判断の根拠は、僭越過ぎて、当時あまり口外できなかったのですが、こういうことです。私は、将来の仕事は、何か世の中に良い影響を及ぼすことをしたい、と考えていました。その観点で、法律学者という職業をみると、社会的影響力があるとすれば、それは、裁判において自分の学説が採用され、それが世の中を良くする方向に働く場合、と考えました。しかし、戦後40年ほど経過していた当時、裁判実務家(裁判官、検察官、弁護士)と法律学者との間には実践の理論との間の溝がありました。そして、私のみたところ、法律学者の持説が裁判を動かすケースというのは、戦後40年でほんの数例でした。そうした数例を目指して法律学者という道に人生を捧げるのだろうか・・・? その結果として、判例が変わったとして、それにどれだけの喜びを感じるだろうか・・・? と考えた時に、法律学者というのは、自分のやりたいことではない、という結論に達したのです。

そうした法律学者よりは、実際の裁判の現場で当事者を支援する立場に立って、当事者からその専門知識を感謝される立場に立つ弁護士という職業の方が、「自分のやりたい仕事」でした。結局、司法試験という壁を乗り越えることができず、弁護士にはなれませんでしたが、人事コンサルティングという今の仕事も、専門知識を感謝される立場にあるという点では、弁護士を目指した動機につながっています。

「天皇と東大」を読む前までは、このような自分自身のキャリア観に納得していました。しかし、「天皇と東大」を読んで、法律学者であった美濃部達吉が社会的に大きな影響力を持っていた事実を知った時、法律学者という地位を過小評価していたことに気付きました。

考えてみれば、「ルールを作る側に立つ」というのは、社会を動かす上で大きな影響力を発揮することになります。ですから、「ルール」である法律を解釈する法律学者は、ときとして大きな社会的影響力を発揮するのです。

思えば、元々、刑事政策的なデータを重視しながら刑法理論を構築された前田雅英先生は、法律学者としての立場から犯罪防止を啓蒙する新書を出版される等、まさに社会的影響力を発揮する仕事をされています。

また、指導教授であった平良木登規男先生は、裁判員制度立案の際に、制度成立を積極的に推進する立場で法案作成に携われました。(私は裁判員制度には反対ですが、社会的影響力は大きかったと思います)

法律学者も、やり方次第で、社会的影響力を及ぼし得ることに今更のように気付かされました。(もちろん、たまたま私が師事した上記2人の先生は、法律学者として非常に優秀であって、であるがゆえに、社会的影響力を及ぼせるのですが)

もっとも、私には、「世の中全体を○○したい」等とだいそれたことよりも、「今目の前にいるクライアントに尽くす」という方が実感が得やすいので、人事コンサルタントという今の職業には満足はしています。ただ、法律学者の社会的影響力をあまりにも過小評価していたことは事実です。

■法律学者の道を目指す方へ

このブログを読んでくださっている方の中には、法学部の学生さんで法律学者への進路を検討している方や、そうした学生さんが身近にいる方もいらっしゃるかと思います。

そんな方へのアドバイスとしては、上記のとおり、法律学者は社会的に大きな影響力を持ち得る存在であることを是非、知っていただきたいと思います。であるが故に、学者として間違った方向に法を解釈してしまう場合には、そのマイナスの影響力も非常に大きいということです。ただ、それだけにやりがいのある仕事なのでないかと思います。
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