(by paco)[知恵市場Commiton見本版]443知識とロジックのセットが「見通し力」をつくる

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今週も「おとなの社会科」の内容についてです。ちょっとしつこいモードですが、僕自身の最大のテーマなので、おつきあいくださいませ。

「おとなの社会科」というネーミングについては、いろんな人に聞いて回っているのですが、わかりやすいという人と、もうちょっと違う感じがいいかも、という人がいて、まあ、どんなものでも賛否はあるものですが、もうちょっと錬りたいところです。

そこで、ひとつ思いついたのが「見通し力」ということば。「見通し力養成講座」というネーミングなら、僕が伝えたいことが伝わるでしょうか。同じコンセプトのネーミングとしては、「視界良好セミナー」というのもあるのですが、こちらはどうでしょうか?

今回は「見通し力」という言い回しで、僕が今伝えていきたいことを再整理してみます。

●誇りの持てる仕事は、社会に役立つ仕事

前回のコミトン442号では、「判断し、選択するためには、「社会科」が必要」という言い方をしました。

ビジネス上の判断が必要になったとき、「儲かるからやる」と説明するか、「社会に役に立つからやる」と説明するか。「役に立つ」という説明をするためには、「社会が何を求めているのか、どうなっていくのか」の見通しが必要です。その見通しを持つ力が「見通し力」というわけです。

もうちょっと中身を考えてみましょう。

まず、「あるビジネスを行なって儲かるかどうか」については、ふたつの場合が考えられます。ひとつは、一過性の評価を受ける場合で、流行の商品や5年後には存在すら忘れられているような商品がそれに当たります。具体例としては……最近のものでなくて申し訳ないのですが、カスピ海ヨーグルトとか、寿司ネタのUSBメモリ、USB電源のミニ扇風機などがそれにあたるでしょうか。軽自動車の中にもそういう車種がありそうです。

こういうビジネスはやめた方がいいよね、というつもりはありませんが、人生を賭けてやることではないでしょう。また、儲けが出そうなら、それだけの理由でGOが出る会社もあると思います。

しかし、こういう仕事ばかりを続けていると、やはり仕事に向かうこころが薄っぺらになるし、すさんできます。自分は何をやっているんだろうという感じです。

誰にでも手軽にできる仕事ではなく、「それができればすごいよね」とか「そんなやり方があったのか」というものの中で、本当に役に立つ仕事ができれば、誇りが持てる仕事になります。さらに、それによって儲けが出ることがビジネスとしては重要でしょう。もちろん必ずしも「儲け」が出る必要はないかもしれません。個人的にやる活動なら儲けなくてもいいのですが、かといって経済的に困窮していくような状態では、続きません。「社会に役立つこと」であればあるほど、お金を動かし、持続可能なことが重要になるのです。

誇りが持てるような仕事をするためには、お金は重要ですが、それは前提条件に過ぎません。やはり社会の役に立つこと、求められることであることが要件になります。

●社会に役立つかどうかを見通す

では、ある仕事が社会の中でどのような意味があるのかは、どのように判断できるのでしょうか。特に、その仕事を始める前、まだ世の中にその仕事が存在しないか、社会の必要性が潜在的で、はっきりしない場合は、どう判断すればいいのでしょうか。

たとえば、ここ数年、カメラ=写真ブームです。いわゆるポラロイド写真(撮ったその場でプリントが見られる、インスタント写真)も見直され、古いポラロイドカメラをオークションで買って撮る若い人も増えています。なぜオークションで買うのか? 古い機種のほうがそれっぽいデザインでかっこいい、おしゃれ、というのもありますが、もうひとつの理由は新品が売っていないからです。デジタルカメラに押されて消費が停滞し、ポラロイド社は2008年にカメラ・フィルムの事業から撤退し、倒産したからです。つまり、今オークションで古いポラロイド社のカメラを買っている人は、2008年までに生産された在庫をあてにして、買っているのです。

実際のところ、在庫は比較的豊富らしく、すでに消費期限切れになっているものの、手に入れるのはそれほど難しくありません。しかし、いずれなくなってしまい、カメラは「使えなくなる」のに、今、なかなかの人気なのです。

では、ポラロイド(現在は日本、米国それぞれで別の会社が商標権や営業権を持っている)が、この伝統あるインスタントカメラとフィルムの事業を再開しようと思ったら、どのようなメッセージを考えるべきでしょうか。

「日本では若い人の間にはやっているので、この商機をつかみましょう」

といえば、そのロジックは「流行に乗る」ということが根拠になります。しかし「流行」とはしょせん一過性のものですから、あっという間にしぼんでしまうかもしれません。準備をして販売にこぎつけたころには流行は終わっている可能性もあるし、うまく流行に乗れても、「ただ乗っかって儲けた」だけです。

次の説明はどうでしょうか。

「すでに市場にあるフィルムの在庫はあと1?2年程度になっており、もっと早まる可能性もあります。長年のポラロイドの伝統と信頼に応えるために、在庫が切れる前に販売を再開すべき」

といえば、「伝統と信頼」がロジックを支えることになります。さらに、こんな説明もあります。

「そもそもインスタント写真が今受けているのはなぜか。デジタル写真はクリアで正確な描写をしますが、インスタント写真は比べれば不正確で、抽象画のような写りしかしません。しかし、<うつりすぎる>デジタル写真より、<絵画のような>ポラロイド写真のほうが、被写体が美しく、感動的に見えるのです。写真が誕生した150年前、絵画と比べて圧倒的に正確な描写ができるために、<絵画はなくなる>といわれました。しかし写真が出て以降の絵画は、リアルな絵こそ下火になったものの、絵画そのものは下火になっていません。正確でないからこそ、魅力的で感動的な絵があるのです。デジタル化が進み、高画質になればなるほど、ポラロイド写真の魅力が増すのは、歴史が証明しています。今だからこそ、インスタント写真を復活させましょう」

とプレゼンすれば、150年前の歴史のロジック(実際に起きたメカニズム)を使った論理展開になり、「流行」「伝統・信頼」「おしゃれ」を超えたより奥行きと厚みのある説得が可能になります。

今の時代、写真は、いつも持ち歩いている携帯電話で十分以上のものが撮れる時代ですから、流行や伝統では説得力がありません。今の時代の中でポラロイド写真が再評価されている理由や、それが一過性ではない普遍的な理由を探すことができれば、説得力が出るし、実際にはそれが「今おしゃれと感じるユーザーが多い」その理由なのだと思います。

こういったプレゼンを行うと、写真と絵画の関係を持ってきたことについて「発想やアイディアがプレゼンには重要なんですね」という人がいます。しかしこれは浅い理解です。こういった説明ができるためには、広く文化や芸術、娯楽などについての知識や関心があり、膨大な知識の中から、今のプレゼンに必要な「絵画と写真の歴史や関係」をピックアップしているのであって、ピンポイントで「絵画と写真の歴史や関係」を材料にすればいいと思いついているわけではありません。

「儲け」「流行」「信頼と伝統」「ブランド価値」などの、ビジネスでよく使う論理展開以外の、独自の論理展開や、本当の意味、価値を発見しようとすると、ビジネスでよく使われる説明とは別の、文化や歴史や社会構造や芸術や、といった、社会で起きているさまざまな事象をバックグラウンドとして知っておく必要があります。これらの知識を「教養」」と呼びます。広く教養がないと、ビジネスでよく使う論理展開を超えることができないのです。

さらに、この「教養」の特徴として、「歩留まりの悪さ」があります。10この知識群(教養)を持っていたとして、それがビジネスや生活の場面ですべて使い切れるわけではありません。実際には、100個あるうちに使えるのは2?3個ぐらいでしょうか。たくさん吸収しても、実際に使えるのはわずかで、それも狙い撃ちはできません。運良く、教養ストックの中で使えるものが見つかるのです。

確率は悪いのですが、しかし教養がなければ、歴史や文化に根ざした論理展開はできず、シンの価値を伝えることはできません。考えも深まらない。教養というのは、ビジネスが深化すればするほど、必要になってくるものなのです。

「流行」「信頼と伝統」「ブランド価値」といった説明は、流行は去るだろう、と指摘されれば妥当性を失います。しかし「写真と絵画の歴史」に基づく説明は、ポラロイドを求める流行が「一過性の流行ではなく、これからも続くトレンド」として説明できます。それによって「インスタント写真事業を再開しても、事業は継続的に利益を上げられる」説明の下支えになるのです。「一過性ではなく、継続性がある」ことを提示できるのが教養の力で、それ故に先を「見通す力」の源泉になるのです。

●見通し力は、知識とロジックのセット群から生まれる

見通しの力を付けるには、「写真と絵画の歴史」という事実情報=知識と、それがなぜ起こったのかを説明できる「ロジック=因果関係」がセットになってはじめて力を持ちます。

僕たちは小学校?高校でたくさんの知識を学びますが、日本では、多くの知識が単なる暗記として処理するように求められます。歴史も政治経済も倫理もみんな暗記科目と呼ばれます。しかし、知識を「使う」には、なぜその出来事が起きるのかを説明するロジック=因果関係がセットでなければなりません。ロジックは普遍的なので、過去に起きた事実と今の事実は違っても、ロジックがおなじだとわかれば、過去のできごとを今のできごとに適用することができます。これが「予測」であり、先見力、見通し力になるのです。

日本の教育の最大の欠陥は、ロジックを屁理屈と称して軽視し、知識を単なる暗記として扱うことで、教養が現実を分析し、理解するためのツールとして機能しないようにしている点にあります。

見通し力をつけるには、ロジックを組み立て、理解する力と、実際に起きた出来事や知識をセットで身につけることが重要です。

さらに、このセットを複数、可能な限りたくさん持つことも重要です。「写真と絵画の歴史」が説明に使えたのは、実はほかに多くの知識とロジックを持っている中から選ばれています。狙い撃ちではありません。ひとつの適切な説明を可能にするには、裾野に幅広く膨大な知識とロジックのセット(教養)が必要なのです。

歩留まりが悪いという特徴があるので、教養は幅広く、深く、さまざまなカテゴリーに渡って、かたっぱしから吸収するのがよい、ということになります。効率の悪い世界です。

しかし、どれが「使える」かわからないだけに、逆に言えば「これとこれとこれがあれば十分」ということがないので、「どんな知識領域であっても、かまわない」ということでもあります。歴史や文化でなくても、スポーツであってもギャンブルであっても、男女の性愛であっても、病気や麻薬の知識であっても、ポラロイドのインスタント写真事業を説明する論理展開が見つかる可能性があります。教養を歴史や文化など、「高尚」なものに限定する必要はないのです。

領域は何でもいいのですが、知識とロジックがセットになっていることはとても重要です。知識の羅列だけでは、見通し力は生まれません。ビジネスと異なる領域の知識と、ビジネス上の見通しをつなぎ、可能性を見せるものが、ロジックなのです。

what?セミナー3で、僕は受講者に「歴史のifを考えましょう」と話しました。歴史にifを持ち込んで考えることは、歴史上のfactsにロジックをかぶせることです。これによって、歴史は単なる暗記科目から、いきいきと現在に通用する教養になるのです。

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教養は、一見ビジネスのような実務には無関係の、ムダな知識、脳の埋め草のように思う人が多いのですが、大きな誤解です。本当にクリエイティブな仕事をしようとすると、ムダに見える教養があるかどうかが、結果を左右します。

大学から教養科目がどんどん減ったことが、ビジネスの想像力を失わせる原因になったのではないかと僕は考えています。先を見通し、時代を切りひらく創造を起こすには、知識とロジックの総量を増やすことが、結局は近道なのです。

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