(by paco)【pacoの目×ecoの芽】015 GNHを等身大で捉える視点

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(by paco)先週木曜日、環境リレーションズ研究所で、いつもの「AIRミーティング エコエクゼクティブ講座」を行いました。初参加の方も含めて、6人の方に集まっていただき、Gross National Happinessという考え方についてレクチャー&議論しました。

最初に、GNHですが、これはブータンというチベットの小国が、自分の国の方針として打ち出しているもので、GDPに代わる自国の発展の方向として、国民の奏功服をあげていくのだという考え方をとっていることに始まります。

このGNHに、特に先進国の環境問題などに取り組む人たちの一部が反応し、これからはGDPからGNHへ、というように、ちょっと礼賛モードになっているところもあり、果たして、これをどう考えればいいのか、ということを学んでいこうと思ったのです。

はじめに、GNHの考え方について、ふたつの資料を読んでもらいました。
http://suizockanbunko.com/up/butan_gnh1.pdf
http://suizockanbunko.com/up/butan_gnh2.pdf

■GNHの基本は、あくまでブータンのものである

今世界から注目されるGNHですが、その概念を決めていくコアは、ブータンにあるということを忘れてはいけません。ブータンはチベットの小国で、経済的には貧しい国です。物質的な豊かさは乏しく、携帯電話の普及率も10%前後。電気のない生活をしている人もたくさんいます。

そういう国情の中での幸せとは何か。たとえば、病気になれば、日本ではすぐに病院に連れて行けますが、こういう国では医療も不十分で、日本では死ななくて済む病気で死んでしまう可能性もあります。医療は国の予算で無料ですが、質と量は十分ではない。

日本の医療なら助かる命が、助からないとすれば、それを幸せというのか、不幸というのかというかがひとつのポイントになります。

彼らにとっては、死は身近な存在で、人は必ず死ぬもの、道半ばの死は防ぎようがないものという諦観(あきらめ、達観)があります。たとえ医者にかかれなくて死んでも、それを不幸と考えず、受け入れるようなマインドがあるのです。日本のような先進国では、最新医療で助かるのに、できずに死ぬことは「不幸」です。だから、たとえば重度の心臓病の人が、臓器移植を求めて海外にいったりする(その行為自体を非難するつもりはまったくありませんが、どう受け止めるべきか、という話です)。移植が受けられないと、不幸だと考えてしまいがちになる。ブータンの人々にとっての幸福とは、自分や家族の死を納得する形で受け入れることであって、最先端の治療が受けられるかではないのだと思います。

人は、いずれにせよ死ぬ存在で、どのような先端医療を受けようと、死は避けられない。結局はどこまで医療を受ければ、死はやむを得なかったと納得できるかの問題で、必ずしも医療水準だけで決まるわけではありません。

ブータンのHappinessとは、こういう部分も含めてのHappinessであって、僕らが考えるそれとは、ずいぶん形が違う可能性があるということです。

■学校教育が伝統を破壊する

もうひとつの観点として、教育水準があります。ブータンは教育に力を入れていて、遊牧民の子供たちも学校に入り、英語で世界のことを勉強しています。そのこと自体は、Happiness(豊かさ)に通じるのでしょうが、その一方で、GNHには伝統生活を守るという要件がある。遊牧民の子供たちが学校に入れば、遊牧生活をする親とは、離れて暮らさなければなりません(季節に応じて)。すると、親から子に受け継がれる伝統が途絶えがちになり、親への尊敬も薄れ、情報として入ってくるアメリカのヒップホップ文化などの影響も大きくなる。もちろん、このメカニズムは単純ではありませんが、伝統消失の方向に働く傾向はあります。となると、教育と伝統とのバランスをどうとるのかがGNHの根幹にあることがわかります。

日本でも明治期に全国に学校をつくり、東京帝国大学を頂点として、頭のいい子供を中央に集めるしくみによって発展しました。しかし地方には優秀な人が残りにくくなり、地方の活力と伝統は大きく失われました。このような歴史を持つ日本人が、もしGNHについてブータンにアドバイスすることがあるとすれば、どのようなことなのでしょうか? 教育は大事だといえばいいのか、教育はほどほどにせよというべきなのか、第三の道があるのか。

ブータンのGNHという概念は、物質文明にどっぷり浸かった先進国から見れば、シンプルでたましいが活性化しているように見え、魅力的です。しかし、その構成要素とメカニズムをしっかり見ていかないと、誤ったあこがれだけを幻想として描くことになります。

何を見ていけばいいのか、何を学んでいけばいいのか、そして何か支援できることがあるとすればなんなのか。

そんな点をいくつか具体的に議論した、エコエグ講座でした。

なお、エコエグ講座の来年の企画がまだかたまっていません。学んでみたいテーマがあれば、ぜひpaco@suizockanbunko.comあて教えてください。

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