(by JIN)3歳からのPCリテラシー

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(by JIN)
私の3歳の娘が、マイクロソフトのWordで、「❤」と描けるようになりました。今回は、その様子と、そのことに関連して考えたことを書きます。

■娘がPCで「❤」を描けるようになった

娘は、半年ほど前から、私がパソコン操作をするのに非常に興味を持っていました。このブログも、たまに、娘を膝の上に乗せて、一緒に書いたこともあります(笑)。そのときは、私がキーボードを叩く手の平の上に指を添えていただけですが。

そのうちに、私が打つがままにしているのに強制的に手を合わせているだけの状態に、娘は飽きてきました。自分が思うままに操作してくなってきたのです。しかし、勝手にメールを打たれたりしては困ってしまいます。そこで、通信機能をすべて取り外して、Wordを立ち上げた状態で、思うがままにキーボードを叩かせていました。娘は、喜んで、両手でバンバンとキーボードを叩き始めました。自分のキーボード操作に画面が反応するのが面白かったようです。

一方で、少し前まで、曲がりくねった「○」しか手描きで書けなかった娘は、少しずつ、複雑な線を不器用ながらもなぞれるようになって来ました。簡単な「?」とか「い」とかです。そんな中で、以前から服の模様などで気に入っていた「♡」を不格好ながらも、面白がって、なぞるようになっていました。

そんな状況の中で、パソコンのWord画面で、キーボードをバンバン叩いている最中に「❤を描きたい!」と言い始めたのです。言い始めると聞かないので、「H」「A」「?」「T」「O」「Space」と、「❤」を手順を教えました。そうしたら、すぐにその順番を覚えてしまい、自分で叩けるようになってしまいました。「もっと大きくしたい」というので、フォント拡大の手順を教えたら、それも覚えました。

これならExcelでもいけるかも・・・と思い、Excel画面を出しても、まあ当然ですが、Wordと同じように「❤」を出せます。また、彼女のお気に入りの使用後携帯電話でも、「❤」を出せるようになりました。

実は、娘は、まだおむつが取れていないのですが、「❤」の表現については、Word、Excel、携帯、手書きのいずれでも出来るようになったことになります。

■Wordでの「❤」が意味すること

言うまでもないことですが、私が3歳の頃は、PCで「❤」を描くなど、不可能でした。そもそも、PC自体、世の中に存在していなかったので。また、今のように、小さな子供向けの「ひらがな練習帳」のようなものもなかったので、3歳から字を練習するといった習慣もありませんでした。

文字表現のアウトプットは、まず、小学校入学前くらいから「あいうえお」をたどたどしく書き始め、次に、「アイウエオ」、その後、漢字、と進みます。「❤」を「H」「A」「?」「T」「O」「Space」で初めて表現したのは、ワープロが広く普及し始めた大学時代でした。

私自身は、大学生になって初めて、今3歳の娘の「❤」表現リテラシーを習得したことになります。ですから、文字表現の習得プロセスについて、娘の世代に関しては全く違った発想をしてあげないといけないことになります。

娘の場合、まず、「❤を出したい」という欲求があり、それは、PC、携帯、手書きと色々な手段で実現できる、という環境にあり、そうした環境の元でリテラシーを習得しています。これは、私が受けた教育環境・・・まずはリテラシーそのものである「あいうえお」から入って、その上でアウトプットに進んでいくというのと順序が逆になっています。娘は、アウトプットへの欲求が先にあって、そこからリテラシーを選択しているからです。

娘にとって、「H」「A」「?」「T」「O」「Space」も、「はあと」も、「ハート」も、「❤」というアウトプットを出す手段という意味では、すべて同じです。その意味で、ローマ字もひらがなもカタカナも、すべて手段としては同列、ということになります。

■娘への教育のあり方を考える

このように、リテラシー習得の順序が昔とは全くことなった娘に対して、教育はどうあるべきなのか・・・?

まず、娘に対する教育の目的を考えました。それは、世の中で食っていけるようになるためのスキルを身につけてもらい、社会貢献できるようになるため、ということです。

ということは、同世代の人たちとの競争に勝っていかなければなりません。そして、同世代の人たちは、リテラシーの技術環境としては、娘と同じ状況にあります。

そうだとすれば、まずは、表現の一番最初に来る「アウトプットの欲求」の部分を鍛えていくことが必要になります。そもそも、「こういうことを表現したい!」ということがなければ、何も始まりません。そして、その欲求を持った瞬間に、その表現手段は、昔と違って様々に用意されているということです。

でも、「アウトプットの欲求」の部分を鍛える、というのはどういうことなのでしょう・・・?私は、この欲求にも「質」があると思っています。広く言えば、世の中に受け入れられ、役立っていくような、そういう欲求が求められます。この部分は、教条的に教育すると、反発されますし、表面的な理解になってしまいます。親自身がアウトプットの質を高める努力をしている背中を子供に見せる、といったことが、回り道ではありますが、長期的には有効な方法なのではないかと考えます。

次に、多様な表現方法の習得です。具体的には、電子的表現(PC、携帯等)、「書く」表現、「描く」表現、です。ここでは、どの表現方法を取るのがもっとも効果的なのかを選択する能力が最初に問われます。その上で、それぞれの表現方法のスキル向上です。

おそらく、上記の表現リテラシー習得のプロセスで、一番困難で、なおかつキーになるのは、「アウトプットの欲求を鍛える」部分です。今は幼児段階の娘について考えると、この段階では、とにかく体全体を使って自然の中で友達と遊ばせることが大切に思えてきます。そうした環境の中で、今しか体験できない、素朴で純粋な発見や驚きをドンドンと味わって欲しいです。

そして、その発見や驚きを表現する環境については、できるだけPC等を含めて用意してあげておけば、押し付けではなくて、自分からドンドンと情報発信していくようになりそうな気がします。

近未来を考えると、子供たちが、小さいうちから情報発信の市場に続々と参加してくる光景が目に浮かんできます。

そうした中で、もしも機械的に「あいうえお」を黙々とやらせるだけのような学校教育が温存されるのだとすれば、日本の教育は、世界から取り残されていくことになりそうに思います。

(by JIN)

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