(by paco)【pacoの目×ecoの芽】011お金が無くても豊かな生活

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(by paco)知恵市場で書いてくれている環の花さん。今日も水曜日なので、宅急便で毎週の野菜と卵が届きました。おいしそうなジャガイモだったので、さっそく煮っ転がしにして食べちゃいました。美味なり、美味なり。

その環の花さんご夫妻、ちょうどこの秋で就農1周年ということで、こんな要旨のメッセージを送ってくれました。

「最近、出かけるときにも財布を忘れて出てしまうことがある。ふだんお金を使わないので、お金を持ち歩く習慣がこの1年でなくなった。東京にいたときは、何をするにもお金。一歩出れば電車バスに乗るのにお金、コンビニでお金。だからこそ、お金を稼ぐことに必死になるけれど、今の生活はお金の価値の比重がすごく低い」

リアリティがあって、なるほどなあと思わせるメッセージです。すばらしい。

自分たちがもともとこういう生活を望んで東京の会社勤めをやめ、農的な生活、自給自足的に作物と卵を作り、余った物を売ってなにがしかのお金を得る生活を始めた環の花さん夫妻。それをたった1年で現実のものにした努力もすごいけれど、そういう生活が今の時代の中でもちゃんと成立することを見せているということも、社会的な価値として大きいと思います。

先日、地方の行政関係者と話していて、東京や大阪のような大都市より、地方の農村のほうが豊かだと思うんだよね、少なくとも、豊かになる基盤は大きい、と。

都会にいると、地震や災害がすごく不安だけれど、農村ならそれはかなり軽い不安ですむ。土砂崩れとかにあたりそうな場所は別にして、古い民家にいればまずいけれど、それ以外なら、なんとか生き延びられそう。

都会にいて日々仕事をしていても、もし失業したら、会社がつぶれたら、生活はどうなるんだろうと思うけれど、田舎ならしばらくは大丈夫な気がする。食べ物を自分でつくれる安心感があるし、野菜や米なら、分けてくれる人がいる。会社がつぶれたら支えてくれそうな友だちがいるのかなあ。田舎で生活していれば、そういう友人も作れそう。やさいも分けてもらえそうだし。

高齢になって介護が必要になったときに、都会は介護保険とかのシステムにしか頼れないけど、田舎なら、それに加えて、近所の人の助け合いも少しは期待できそう。(特に介護システムについては、僕自身、老母の介護が目前に来ているので、システムだけでは不足、というのはよくわかる)。

これらはGDPに現れる豊かさではないないけれど、暮らしそのものの豊かさには直結しているわけです。GDPは大きいけれど、すぐに折れてしまいそうな暮らしと、GDPはちいさくても簡単には壊れない暮らし。

たぶん、「簡単に壊れない暮らし」がどのようなものか、どうしてお金ではないつながりが感じられるのか、ということそのものを、僕らは忘れてしまったというか、伝えられていないし、知る機会がなくなってしまったのだと思います。改めて、こういうお金ではない価値とは何かを再定義し、伝え、示すことが重要なのかもしれません。

環境問題は、暮らしを守る問題です。温暖化で干ばつが増えれば、食べ物が値上がりして手に入りにくくなったりする。そんなときに、暮らしが崩壊しないようにする生活基盤は、同時に、温暖化になりにくい生活基盤につながるのではないかと思います。

もちろん、そんなに単純なものではない側面もあり、たとえば、いなか暮らしに不可欠なクルマからのCO2問題、田舎の活性化に不可欠な人の移動を支えるクルマとCO2の問題。それらに答えを出しつつも、(本当の)豊かさと環境適応を改めて再定義することは重要です。というような仕事を、これから少しずつやっていきたいと思うpacoでした。

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