(by paco)【pacoの目×ecoの芽】009 コミュニティなしには持続可能性はない

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(by paco)先日、横浜市内のとあるニュータウンというか、団地に行ってきました。開発されたのは今から40年ほど前。私鉄の駅からも歩けない丘陵地帯を切りひらき、計画的に造られた団地です。

団地全体はひとつの街として計画的に設計され、中層住宅が連続的に数10棟も連なると書くと、無味乾燥とした大団地を思いがちですが、実際には中層かした分、できた空地にふんだんに緑が配されているし、歩く動線とクルマの動線が立体交差で分離されているために、安全性も高く、快適な住空間です。そのぶん、欠点もあり、緑が多くて、棟と棟のあいだが離れているために、夜はかなり暗く、木々の下を歩かなければなりません。密集していない分だけ、歩く空間が長くなるわけです。古くからの住民が多いので、治安は良さそうでしたが、もし治安が悪化すれば、この空地は怖い空間になるだろうなと感じます。

来訪の目的は、団地の自治を担当するキーパースンとミーティングを行って、この街を持続可能にしていくために、何ができるのかヒアリングをすることでした。

1970年代あたりからつくられはじめた郊外のニュータウンは、次第に高齢化が進んでいて、子世帯はじょじょに都心に住むようになっているために、第一世代の高齢者が取り残され、生活の維持さえ難しくなっている場所が出ています。この団地では、幸いそこまでの問題は抱えていませんでしたが、進む高齢化と、それに伴う問題はあちこちにあるようです。

住民が減っていくことで、団地内にあったスーパーマーケットが撤退して、丘の下の幹線道路沿いに移ってしまったり、都市計画がはっきりしている分、コンビニさえ進出しにくいといった問題も抱えがちで、場所によっては日々の買い物にも困るところが出てきています。住民の高齢化率は日本全体の平均を上回る場合もあり、恒例の住民は下のスーパーマーケットまで買い物に行くのが難しくなります。

団地に空室が目立ちはじめ、住民同士の物理的な距離が空いてくると、かつては誰がどこに住んでいるかわかっていたのに、今はそれがわからなくなってくる。そんな中で、起きるのが孤独死です。同じ棟の中で孤独死が起き、死後数週間も発見されないとなると、やはり何とかしなければと考えはじめ、このままでは街として持続できずに、やむを得ず、都心に引っ越さざるを得ないひとが出始めるというのが、ニュータウンの人々の危機意識になっているのです。

山村では、限界集落という言葉ができて、生活を維持できないほど過疎化が進み、集落ごと消えていくという事態が起きていますが、これは山村だけの話ではなく、大都市の郊外でも起きているのです。

建物自体の持続可能性も低くなっていきます。築40年以上のマンションでは耐震性が弱く、補強や建て替えが必要ですが、一般的な補修以上の耐震補強や建て替えとなると、高齢者中心の住民には負担が重すぎます。エネルギー消費は、そもそもまったく考えずにつくられた時代なので、断熱性が低く、光熱費をかけてもちっとも冷えず、暖まりません。CO2排出量が多いという点でも、持続可能ではないのです。

こういった事態への解決策として重視されるようになってきたのが、「コミュニティの再生」です。住民同士の個人のつながりを再構築して、住民が日頃から誰が元気か、わかるようにするためには、買い物や散歩でよく顔を合わせ、あいさつを交わし、協働の仕事をいっしょにするというコミュニティが機能している必要があります。それがベースになって、耐震補強やCO2対策をどうするかといったことも、話し合う素地ができるのです。

都市も農村も、コミュニティをどうやって復興させるか、その延長に、災害に強い街や、環境によい街づくりがあります。単純にCO2削減を押しつけても、負担が増えるだけですが、住民が合意してアイディアを募れば、低コストでCO2対策を行う可能性も見えてきます。

遠回りなようですが、こういう基本的なことをやっていかないと、結局は持続可能な社会はできないのです。

道筋はかんたんではありませんが、問題の所在が次第に明らかになってきていて、回答の方向も見えてきたので、今後は誰がうまくやれるのかという、方法論の時代に入るでしょう。マンションの管理会社や家政婦の派遣会社、コンビニビジネスなども、こういった分野へのコミットメントが求められる時代になります。

環境をよくするには、まずコミュニティをしっかりさせること。今の日本では、こういう部分からやっていく必要があります。

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