( by JIN ) プロフェッショナル考

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( by JIN )
「プロフェッショナル」には、様々な定義がありますが、今回のブログでは、次のように定義して「プロフェッショナル」について考えてみたいと思います。

プロフェッショナル=最高レベルの技術水準を維持・向上を図るために妥協しない人

今回この定義を用いるのは、私自身がどうしても妥協する傾向があるため(笑)、日頃みずからを戒めるための「よすが」にしたいというのが1点です。もう1点は、この観点からプロフェッショナルをとらえたときに思い浮かぶことについて読者の皆さんと会話してみたいということがあります。

今回のブログでは、最近私が上記定義の意味での「プロフェッショナル」概念に出会った場面を3つ紹介します。

・・・本当は、「プロフェッショナル」になるべく鍛えるにはどうするか?についても考えてみたかったのですが、少し分量が多くなりそうなので、それは別の機会に譲ります。

最近私が「プロフェッショナルに出会った場面」は、次の3つです。
・自己否定も辞さない
・技術の「実際の活用」に徹底的にこだわる
・「見えない所」に徹底的にこだわる

■自己否定も辞さない

最近、下記の本を読みました。
秋山賢三「裁判官はなぜ誤るのか」 (岩波新書、2002年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4004308097

筆者の秋山賢三氏は、司法試験合格後、20数年間にわたって刑事裁判も含めた裁判官を勤めています。その後、弁護士として刑事弁護も含めた弁護活動に従事しています。

本書には、冤罪が発生してしまう責任の大きな原因は裁判官にあるとすると共に、日本の裁判制度が冤罪を生じさせてしまうメカニズムを鋭くえぐりだしています。

そもそも日本の裁判官の業務量は極めて大量である所に、検察官が起訴すれば99%は有罪という実態があります。無罪判決を出そうとすれば大変な労力を必要とするため、裁判官としては、起訴されてきたものは「とりあえず有罪」とする判断にどうしても傾いてしまいます。

また、裁判官は、法務の高級官僚という側面を持っています。そのため、勤務評定は「効率的な業務処理能力」に対して下されがちで、そうすると、あえて膨大な業務量を伴う無罪判決に向かおうとする意志がくじかれることになってしまいます。

さらには、法曹界には、青年法律家協会という人権派・左翼系の思想集団があります。裁判官の場合、この集団に属していると出世できないという不文律があります。この不文律とないまぜになって、あえて検察官と対峙していく思想を持つということが、裁判官社会で白眼視されがちな風潮を醸し出しています。

私は裁判官業界に身を置いたことがないので、本書の指摘事項が事実かどうかは分かりません。しかし、私が心を打たれたのは、筆者が、実際に無罪判決が少ない中で、無罪判決を書くことを率先して実行し、みずからキャリアを積んできた人生の母体とも言える裁判官社会に対して警鐘を鳴らしていることです。

これは、自己否定という側面を持った行為です。それでも、そもそも裁判官の役割は「疑わしきは被告人の利益」の原則にあることに立ち返り、何とか裁判官の実態をそこに近付けたいとの思いから、本書執筆に至っているのです。

本書を読んで感じたのは、まず、徹底的に突き詰めて仕事をした人でないと、自己批判にまでは至れない、ということです。自己批判は、与えられたルールの中での仕事については十二分にこなせるという前提の上で行うのでなければ説得力を持ち得ないからです。本書を読むと、筆者が真剣に刑事裁判に取り組んでいた姿勢が伝わってきて、そこに「プロフェッショナル」を感じました。

もう1つ感じたのが、仕事を究極まで突き詰めると、自己批判に至るのではないか、ということです。大思想家等も、1度は思想の究極まで突き詰めた末に矛盾に気づき、その後、世に残るような大発見に至るようなケースが多いと思います。ここにも、「プロフェッショナル」を感じました。

■技術の「実際の活用」に徹底的にこだわる

「プロフェッショナル」というと、ともすれば技術レベルの高さと勘違いしてしまって、ユーザーのニーズに合わないマニアックな技術開発等を行ってしまいがちです。

このテーマに関して、最近私がハッとさせられたのは、福祉業務を行う会社の社長の言葉です。

その会社では、事業所ごとに目標を立てさせているといいます。そして、ちゃんと事業所の目標をメンバー全員で共有できていれば、その事業所は放っておいても大丈夫というのです。面白いのは、その目標の内容です。たとえば、「蛍光灯の無駄遣いをしない」という目標であったとしても、それが事業所のメンバーが共有していればOKというのです。

人事制度の目標管理制度における「目標」は、講学的にいえば、「経営目標」と結び付いたものでなくてはなりません。「蛍光灯のオン・オフ」は、コスト削減という目的に向けた目標ではあるものの、それだけを事業所の目標としてしまうには余りにも瑣末すぎてしまい、一般論から言えば「×」です。

しかしながら、そもそも、福祉の現場の仕事に携わっている人たちは、「経営目標」といった冷たい感じのする概念には全く馴染まない性格を持っています。そういう利潤追求型の組織が嫌で、あえて給料は低くてもやりがいの感じられるアットホームな空間を求めて福祉の現場にいます。そして、顧客に対しては、精神的な安定感を持って接することが重要で、そのためには職場に連帯感が醸成されていることが必要です。どんな目標であっても、「目標が共有されていること」そのものが重要な要素なのです。

こうした福祉を業とする会社の従業員の特性を踏まえれば、一般には「ノー」と評価されてしまう瑣末な目標であっても、共有されているものであれば十二分に価値がある、ということになります。

私は、この会社の社長に「プロフェッショナル」を見ました。「目標」というツールを教科書的なセオリーにとらわれることなく、実態の必要性に即して効果的に使いこなしています。こうした応用・活用能力こそ、プロのプロたる由縁であると思うのです。

■「見えない所」に徹底的にこだわる

最近、私の業務上、エクセルのビジュアル・ベーシック(VBA)に、はまっています。

エクセルのVBAは、本来、手作業で行わなければいけない表計算を自動化するためにプログラミングを行うものです。ただ、手作業から自動化へ向かうプロセスには、レベルが何段階かあります。

もっとも初歩的な第1段階は、手作業で行った処理をコンピュータに記憶させておいて、同じ処理をコンピュータに繰り返して行わせる方法で、「マクロ」と言われています。マクロも繰り返し処理を省けるようになる点では効率的です。しかし、コンピュータに形式的に記憶させるため、マクロのプログラムに無駄な記載が多くなり、処理スピードの低下を招きます。

第2段階に進むと、マクロで記載されたプログラムに修正を加え、定数や変数を使うことで、応用可能なプログラムを作成できるようになります。マクロプログラムの無駄を省けると共に、プログラムの汎用性が高まります。

さらに第3段階に進むと、プログラムの高度化を図っていきます。高度化の内容は、高速化、後で読み返して理解しやすいロジック化、汎用化、等です。

エクセルのVBAも極め始めると切りがなくて、世の中には、超達人がたくさん存在していることも承知しているのですが、私も、(自称)第3段階に足を踏み入れ始めました。

この段階に入って気付いたのが、プロは「見えない所に徹底的にこだわる」ということです。素人のユーザーからみれば、エクセルの裏でどんなプログラムが動いているのか等、分かりません。「高速化」は実感できますが、それも、「この処理は時間がかかるんです・・・」と製作者に説明されてしまえば、「そういうものか」となって、そのままです。ましてや、ロジックの合理性や汎用性等、ユーザーには全く見えません。

しかしながら、もちろん納期・コストに留意をしながらも、こうした見えない部分にこそこだわって良いものを作り上げていくのが「プロ」だと思います。

以上、3点、最近「プロフェッショナル」について感じたことを書いてみました。

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