(by paco)【pacoの目×ecoの芽】005 環境問題の解決策は、縦割り? 横断型?

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(by paco)縦割り批判があります。僕が関わってきた横浜市の温暖化政策では、交通に関する政策も議論されました。しかし、交通は交通で専門の部局があり、専門家を集めた審議会が開かれて、これからの志の交通政策がどうあるべきかを議論しています。

温暖化対策の審議会が交通政策について提言を出し、一方で交通関係の審議会も提言を出す。両方が矛盾する場合も出てきます。たとえば、渋滞がひどい交差点を公共事業で改修して、渋滞が解消されたら、交通政策としては成功かもしれませんが、温暖化対策ではどうか? 道がスムーズに流れればクルマが便利になってしまい、公共交通を利用する人が減ってしまうので、温暖化の面ではマイナスになります。むしろ交差点はそのままにして、クルマでの移動を公共交通に誘導する政策をとり、結果として交通量が減って、渋滞も解消するわけですから、政策としては、交差点改修は正しくないのではないか、という批判が出ます。これが「縦割り行政の弊害」です。

確かにこういう問題が起こっているのは事実で、縦割り行政の弊害そのものは、解消する必要があります。

しかし、どうやって解消するのについて、安易な発言をする人が多いのもまた事実です。温暖化の審議会でもっと交通政策に口を出すべきだ、出さないことが問題だ、というような批判です。

行政は、一定のルールで動いています。このルールを「硬直化したルール」と批判することは簡単ですが、もしルールが簡単に崩れることになると、行政のスタビリティが失われて、いわゆる朝令暮改の状態になったり、特定の個人の思いは趣味嗜好によって全体が傾いていく可能性もあります。ころころ変わるのもやむを得ないと皆が思ってくれればいいのですが、日本人は「きちんとやってくれ、始めたら変えるな、間違いは犯すな」というマインドも強く、簡単にルールを崩すわけにはいきません。もちろん硬直化した部分を変える努力は必要ですが、硬直化だからといってすぐに破壊したときの混乱について考えない人が多いのです。

かといって、今ある交通と温暖化のふたつの審議会の両方を統合するというのも無理があります。温暖化対策は、交通の他にも街づくりや産業政策など、あらゆるところと関係があるので、交通と統合するなら、街づくりや産業政策の審議会とも統合、ということになり、テーマが拡散して、議論になりません。ある程度絞って、縦割り型の議論をせざるを得ないのです(人間の専門性と総合力のバランス範囲はごく狭く、全体をきちんと見渡した議論をすることは、口でいうほど容易ではないのです。ロジカルシンキングを教えている僕にはこの点はよくわかります)。

ではどうするのか。

やるべきことは3つあります。

ひとつは、統合した議論を、上位概念、戦略として議論する場です。ただし、これは市の審議会のような役割ではなく、シンクタンクのような中立的な機関が提言を行い、市長が複数の機関の提言の中からもっとも合理的だと思われるものを選んで、これを方針とする、と決めるようなやり方がいいでしょう。ここではあくまでも方向性を示すだけで、各論は含めません。日本では、こういう上位概念の提言に対しては、すぐに「実現可能性が低い」「財源をどうするのか」といった批判が出ますが、上位概念ですから、実現可能性についての詳細な検討は不要で、どうやってどの程度実現するかは、各論の審議会が提言すればいいのです。総論と各論をいっしょにやろうとするからスタックしてしまう。

ふたつ目は、総論、上位概念をもとに、各分野に審議会を置き、そこで上位概念から外れないように、各論を議論する。上位概念は「理想」ですから、それをどの程度実際に実現可能なのか、どの程度のスピードで実現可能なのかを議論し、財源の可能性も含めて、具体的なわく組を議論して、実現可能なプランとして提言します。

上記の矛盾であれば、上位概念の方で、「個人の移動手段として自家用車の優先順位を落とし、利用を20%程度にする。交通分野からのCO2排出は30%削減できる」というような方針をだし、これを受けて、道路政策をどうするか、交差点の改修は勧めるべきなのかを議論します。個人の移動について、クルマの利用が20%まで削減されても、交差点が渋滞すると予測されるなら、改修する必要があります。渋滞が解消されるようなら、改修は不要です。現状では、街の中での移動をどうやって確保、保証するかについて、上位概念がないので、交通の利便性とCO2削減が対立したり、一緒に議論することができないのです。

3つ目は、行政改革です。現在の縦割り審議会オンリーの意思決定システムを変えて、相互相乗り機能を持たせる。縦割り審議会自体は否定せずに、関係する審議会からオブザーバーとして参加するようにして、参考意見を述べる権限を与えます。提言の意思決定は、それぞれの審議会の委員のみが行い、オブザーバーからの意見を否定する場合は、合理的な否定の論拠を提示することにします。上位概念からの理想像の提供と、隣の審議会からの具体的な矛盾解消のための意見で上と横を固めた上で、それぞれの分野の専門家が議論して提言を決定すれば、ずっと総合性を出すことができるでしょう。これは審議会の改革が必要です。

他にも、なぜかいつも入っているわけのわからない審議委員の存在とか、不必要な審議会の存在とか、審議会からの答申をサボタージュで無視する役人の恣意性とかを排除する必要があるのですが、これも、含めて行政のマネジメントシステムを改革する必要があります。

というようなことをやらなければ、縦割りの弊害を減らすことはできません。にもかかわらず、簡単に縦割りの弊害を認めている、それではダメだ、というような反論をする人には閉口するし、子供だなあと思わざるを得ません。

社会を動かしてくためには、社会を破壊せずに、改良していくためには、したたかさとしぶとさが必要です。よくないんだからとにかくぶっ壊して作り直せ、という主張は、ぶっこわす過程で多くの混乱や犠牲者が出ることをあまりに安易に考えています(たとえば、上記の例では、いずれ交通量が減る政策をとるので、交差点は改修しないとなると、交差点周辺の住民だけが排ガス公害の犠牲になることを容認していることになりかねません。緊急避難的な改修を進める必要もあるのです)。

われわれがこの社会をよくしていくために、何をすべきなのか、あまりにも方法を知らなさすぎます。めんどうでもしっかり学んでいかなければ、改革より、犠牲者が増えてしまう可能性もあるのです。

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