(by paco)【pacoの目×ecoの芽】004 環境問題はライフスタイルの変革で解決する?

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(by paco)先日、とある交通関係のNPOが主催する会に参加して、ミニレクチャーを行い、参加者と質疑応答する機会がありました。

その中で、ふたつ、興味深い、というより、わりとよくある質問があったので、今週と来週で、書いてみます。

ひとつ目の質問は、「環境問題の解決は、ライフスタイルの変革を通じて行うものではないか?」と言うものです。この質問には、たとえばクルマを使うことを前提にした環境問題の解決策ではダメだ、という趣旨が含まれていて、エコカーへの買い換え促進を図るより、クルマを使わずに、ときにはガマンするぐらいのことが必要ではないか、と言うものです。その背景には、環境問題は人間の欲望が際限ないことの結果であって、欲望そのものをコントロールしなければ、環境問題の本質的な解決策はない、という思想が横たわっています。

あなたはこういう考え方について、どう思いますか?

このタイプの思想は、比較てい以前から環境問題に取り組んでいる人、環境悪化のひどさに真剣に憂えている人に多いように思います。コアな人である分だけ、根が深い発想です。

これに対する僕の考えは、「そういう考え方では、環境問題は解決できない」というものです。

理由はふたつあります。

ひとつは、もしこの方が言うように、人間の欲望のコントロールが可能だとしたら、それはどういう社会を意味しているのか、という点です。際限ない欲望を自ら抑えることは、禁欲的で、確かに美しいことですが、そういうことができる人ばかりではありません。現実を見れば、コントロールできる人をどれだけ増やせたとしても、コントロールできない人は一定数(それも、少なくない比率)残るでしょう。コントロールできない人が少なめなら、がんばってコントロールしている人は、できない人を非難しはじめ、強制的に欲望を打ち砕くことを考えるでしょう。多数による少数派の弾圧です。逆に、コントロールして禁欲的な人が少数派なら、それでも禁欲的に生きるべしというなら、少数による多数の支配になるでしょう。禁欲的な少数派が支配階級になり、多数派を管理するしかありません。確かに物欲の面では禁欲的な社会になるかもしれませんが、少数の支配階級は自らの「禁欲社会の実現」という欲望を満たしたことになります。

いずれにせよ、これはファシズムそのものです。環境問題は、確かに人類の存亡に関わる一大事かもしれませんが、だからといって、それを理由にファシズムを許容するなら、本末転倒です。

人はパンのみに生きるものにあらず。生き残れさえすればいいと言うものではありません。人類は意外にしぶとい生き物なので、たいていの環境変化には生き残れます。生き残れないかもしれないのは、文明的な生活です。文明生活には、自由や人権や寛容さが不可欠です。これらを残しながら、多くの人の欲望を抑制するような方法が可能なのか。またそれがこの方のいうライフスタイルの変革を意味しているのか。めざすものが、少なくとも僕には今ひとつ見えてきません。

この問いに対する僕の答えは、欲望をコントロールするのではなく、欲望の方向を環境負荷の低い方向へと変えることです。クルマを持つという欲望をコントロールするのではなく、クルマを使っても環境負荷が高くないようにする(低炭素車)。クルマより、もっと楽しくて楽ちんで便利な移動を提供する。欲望は満たすけれど、環境負荷が下がる道は、あるはずです。

ふたつ目の理由は、ライフスタイルの変革とは、少なくとも社会全体について語るときは、狙って行うものというより、ここの選択の結果の総体を示す言葉だろうということです。いろいろな人や企業が、新しいライフスタイルの提示を行いつつも、一般大衆はそれぞれの欲望のもとに気に入ったものを選びとっていく。その選びとり方が変化した結果、社会のライフスタイルが変わっていく。

たとえば、1960-70年代ごろ、日本ではニュータウン開発が進み、都心から少し離れた閑静な場所に庭付き一戸建てを建てて、妻子はそこで生活するという「ライフスタイル」が広がりました。これを考案したのは政府や不動産開発業者などですが、それを選びとったのは個々の個人です。強制されたわけでもないし、ほかに選択肢がなかったわけでもない。実際、当時も都心にマンションが建てられたわけですが、それより郊外のライフスタイルが選択されました。一方、今は、どちらかというと郊外より都心の高層マンションのライフスタイルが選ばれていて、郊外の戸建てスタイルはやや人気がありません。行政や大企業の思惑はそれとしてあるとしても、ライフスタイルというのは、思惑通りにいくこともあれば、行かないこともあり、結果として選ばれたものなのです。

ということで、上記質問の問題は、現実をどう捉えるか、リアリティの問題だと僕は思います。誰かがライフスタイルを強制できたり、誘導できたりと考えることそのものが間違いであり、もしライフスタイルが変わればいいなと思う人は、ライフスタイルを変えることを訴えるのではなく、魅力的な、かつ環境的にも持続可能なライフスタイルを、具体的に提示すること以上のことはできない、という態度こそ、「真に禁欲的な」態度なのです。

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