(by JIN)個人の尊厳

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(by JIN)

pacoさんの知恵市場有料記事において、「尊厳」について語られていたことに触発され、今回は「個人の尊厳」について、考えてみます。

「個人の尊厳」=「人権尊重」は、人として当然に守るべき原則であると学校で小学生の頃から叩き込まれてきました。しかしながら、最近、本当にそうなのか?という疑問も自分の中に芽生えつつあります。そこで、今回はその辺りの事情について記述します。

「個人の尊厳」とは、人がただ人であるとういだけで尊重される、ということです。「個人の尊厳」は、日本国憲法の最高価値、すなわち日本の法体系の最高価値とされています(憲法13条)。「個人の尊厳」という概念を用いれば、理屈としては、日本法をすべて説明し尽くせます。

「個人の尊厳」からは、原則として個人は何をするのも自由という「自由主義」が導かれます。しかし、他者も「個人の尊厳」を持っている以上は、「個人の尊厳」も、例外として他者に害を与える他者加害の場合はその行使を制限されます。

のみならず、他者加害でなく自己に対する加害であっても、それが自己の「個人の尊厳」を著しく傷付けるときは、自己加害行為は制限されます。被害者なき犯罪といわれる売春・薬物犯罪等がその例です。

以上のように、法はすべて「個人の尊厳」で説明がつきます。(もちろん、どこまでを処罰範囲とすべきか等について境界線については争いがあります)

ところが、「個人の尊厳」から導かれる「自由主義」は、どのような思想についても自由に持つ権利を保障します。ということは、「個人の尊厳」に反する思想を持つことも自由ということになります。「個人の尊厳」から派生したはずの自由主義が、大元の「個人の尊厳」を否定することになるのです。

そもそも、「個人の尊厳」も、人間社会に最初から存在していたわけではなく、歴史が生み出した思考法の1つに過ぎません。その起源には諸説ありますが、私が一番分かりやすいのは、ナポレオン戦争を起源とする説です。ナポレオンは、歴史上、一般市民を軍隊に仕立て上げた最初の将軍と言われ、軍隊で義務を果たした市民には権利を認めざるを得ませんでした。そして、市民による軍隊は、それまでの傭兵に比べて圧倒的に強かったため、ヨーロッパに瞬く間に広がり、それが市民の権利の強化につながり、「個人の尊厳」の概念が生じたのです。

このように「個人の尊厳」も、歴史上の産物に過ぎず、時代が変われば別の価値に取って変わられる可能性があります。そこで、今後の時代を考えるとき、「個人の尊厳」に代わる価値を考えるべきなのかが問題となります。

私は、自分自身が国家から個人として尊重されるという「個人の尊厳」には、今後の時代においても大きな魅力を感じます。その感覚の根っこにあるのは、人に認められたいという承認欲求です。承認欲求について、さらにその根源を探ると、有限である自分の肉体が滅びた後も、人の心の中には永遠に生き続けることで、生命の永遠性を確保できるということがあります。

ということで、「個人の尊厳」は1つの価値基準に過ぎないとは思いつつも、「個人の尊厳」に代替する優れた価値基準は見い出せないでいます。

ただ、大切なことは、「個人の尊厳」という言葉の前に、それが根源であるということで思考停止に陥るのではなくて、「個人の尊厳」も1つの価値に過ぎないと悟った上でその妥当性を検証する構えを常に失わないことだと思います。

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