(by take)育ちの違いと子の思い

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(by take)前回の記事にも書きましたが、4月に両親が息子真佐人の誕生日をお祝いしてくれるために、初めてセブに来てくれました。そこで僕はロナリンの家族のマナーの違いをひしひしと体験することになったのです。日本人のスタンダードとフィリピンの貧困地域に育った人の違い、それは躾の大切さや親の役割を考えさせられるものになりました。

今回キーになるのは、私の会社のオーナー夫婦です。オーナー夫婦は日本人の社長にフィリピン人の奥さんです。オーナーは苦労人です。一人単身でオーストラリアに渡って牧場で雇われ経営者として働き一代で今の旅行業や多くのビジネスを成功させた実力の持ち主です。ビジネスだけでなく日本の非行少年を預かり更正させる為に色々な活動をされたり、フィリピン人の孤児を預かり彼らの教育を熱心にサポートしたりもした経緯を持っています。でも表だった舞台が嫌いでメディアの舞台に躍り出ることはしない方なのです。

奥さんはそんなオーナーを尊敬する明るいフィリピン人です。彼女のお母さんは彼女が小さい頃貧しくて魚の干物しかおかずが無い時に、ご主人のおかずだけは無理してチキンを買って、子供だったオーナーの奥さんに「お父さんはみんなの為に一生懸命働いてくださるのですよ。健康でいてもらう為にお父さんだけは美味しいチキンを食べてもらいます。」という教育を徹底してされました。

そんなオーナー夫婦は僕によく「お前の嫁のお母さんはマナーが良くないな。俺も色々な経験をしてきたから同じようなケースも経験しているんだ。育ちの違いを克服するのは大変だぞ。同じ人間だから話せばきっと分かるはずだと若い頃は俺も努力したが、何度も裏切られた経験がある。決して無視しろとか無下に扱えと言っているのではない。お前の子供にちゃんとした躾をするのは、親としてもお前の役割だから、そう言ったこともしっかり理解して、子供がちゃんと躾が出来るように考えて接していかなければだめだぞ!」とアドバイスして下さいました。オーナーは大切だと信じることは、歯に衣着せぬ言い方をされる方なので僕にとっては堪えました。

今回両親と叔母さんがセブに来てくれたのですが、余計な出費がかさまないようにオーナーがご自分の家にある来客用のゲストルームに両親を泊めてくださいました。オーナーの家の敷地内に社宅があり、僕たち夫婦も住んでいるのでどんなに夜遅くても、朝早くても気軽に行き来出来る最良の宿泊先です。それに加えて両親が滞在している9日間、毎日朝食を用意してくださり一緒に朝食を食べてくださいました。その時に自分の経験談やフィリピンの習慣など良いことも悪いことも包み隠さずお話してくれたのです。そして最初の夜と最後の夜は僕たち夫婦も交えて夕食もご一緒させていただきました。ちなみに僕は一従業員です。もちろん少ない日本人ではありますが、オーナーの親戚でも、更正を依頼した依頼主でもありません。でも僕たち夫婦の為に親身になっていつも力を貸してくださいます。

一方ロナリンのお母さんですが、オーナーが自分の事を貧しいから馬鹿にしている、嫌っていると思っているようです。オーナー夫婦がいる所に同席するのをひどく嫌います。でも今回は僕たちの子供真佐人の誕生日を祝うホスト側なのです。社宅内でお誕生会をさせてもらいオーナー夫婦を始め会社の皆さんを招待してもてなさなければいけないのに、準備にも積極的ではなく、挙げ句の果てに誕生会のパーティを「高血圧で目眩がする。」と出席しませんでした。これは恐らく仮病です。これには本当にがっかりでした。僕の両親もロナリンも恥ずかしい思いでした。ホストの立場を考えず、自分が嫌なことは何とか理由をつけてやらないようにするのは、躾前の子供のすることです。厳しい言い方ですが、他人のオーナー夫婦が中心となって色々と協力してくれているのに、それに報わない行動は顔向けできない出来事になります。そこを分かってくれないことに憤りを感じてしまいました。

又、些細なことなのですが、誕生会の料理を仕込んでいたお昼に、僕の両親は夜の誕生会の仕込みには一切手をつけず、そうめんだけ湯がいて質素に昼食を取ったのに、ロナリンのお母さんは誰の断りもなく夜に出す予定のフライドチキンを料理して食べていました。もちろん僅か3本程度のことですから、それで困ってしまうと言うことはありませんが、そのフライドチキンは僕の両親がお金を出して買ったもの。僕の両親が手をつける前になにも言わず料理するのは、やっぱり納得出来ない気持ちになってしまいました。

ロナリンのお母さんは、幼い頃貧しいミンダナオの実家で高校も行けずにメイドとして一生懸命働いてきました。若くして結婚して7人もの子供を産んだのですが、旦那は浮気して家を出て行き、その後はなりふり構わず働いてきた苦労人です。その事は僕も充分知っています。でも躾を学ぶ機会や余裕が無かったとも感じます。お母さんは決して怠け者ではありません。僕の家に寝泊まりしたときも、朝6時前には起きて掃除、洗濯、朝食の準備をしてくれるのです。こちらからお願いなどしなくても。そういった部分を見ているだけに余計今回のマナーの悪さに憤りを感じてしまいました。反面教師で麻衣や真佐人には躾については、誰からも後ろ指さされるような事のない様にしなければと思います。

躾は貧しさや忙しさには関係なく、親が唯一子供に教えることが出来る、教えてやらなければいけない義務のようなものですね。

又、ロナリンも色々な理由で結婚するまでお母さんとは上手くつきあえなかった経験があります。でもフィリピン人の家族の絆に憧れて、お母さんを慕う気持ちを感じます。僕は100%僕の両親を尊敬して自慢出来るのに、ロナリンはどうなのかな?と思うと少し切ない気持ちになります。それでも良い母親であろうが、ダメな母親であろうが関係なく慕い敬うのがフィリピンの文化です。ここはある意味で素晴らしい文化で大きな日本との違いを感じます。フィリピンで僕も暮らす以上は、こういった文化に敬意を持たなければいけないのかもしれません。それと日本人であることのアイデンティティとして「日本文化の良い躾」を子供に伝える義務も感じた出来事でした。(by take)

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コメント(1)

リアルなレポート、ありがとうございます。
ロナリンさんのお母さんの話、「しつけ」というより「育ちの違い(悪さ)」なのでしょうね。しつけにはいろいろな意味合いがあって、今回の話のキモは、自分の周りの人間関係に対して敬意を払うことや、払い方、どのような行為が敬意を感じさせないのか、といったことなのでしょう。

こういうこともしつけという言葉の意味なのでしょうが、しつけというと、「人のものに勝手に手を出してはいけない」というような「ルール」を思い出させます。そうではなくて、「この鶏肉は誰のもので、何のためにここにあるのか」「これを自分が食べてしまうと、誰がどう感じるのか」という、人とのかかわり方や、人の気持ちを考える習慣なのかなと思いました。自分がぎりぎりの生活をしていると、人のことを考える余裕がなくなりがちですが、自分に余裕がないときでも、人がどう感じ、考えるかを考えて行動する余裕を持つ、ということが、ここでは「子供たちに伝えること」なのかな、と思います。それが、人の品格をつくり、品格のある人は、貧しくても、敬意を集められる。そういうことかもしれません。

でも、こういう「敬意」「尊敬」といった言葉や概念がこれほど一般の市民に周知されているのは、日本文化の特殊性、独特の良さなのかもしれないと思うこともあります。儒教の伝統とか言われたりしますが、こういう「矜持(きんじ=プライド)の保ち方」を、古代ユダヤの伝統だという人も居ます。いずれにせよ、世界の中では特殊なことなのかもしれない、と感じたり、それ故に、「お母さん」のことをどう理解するかは、難しいのだなあと思います。

またのレポートを楽しみにしています。
(takeさんのフィリピンレポートは、知恵市場を僕が紹介するときにからならず例に挙げています、異文化理解にもとても価値があるし、何より、おもしろいです。ありがとう)

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