(by take)負の顔を持つフィリピン

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(by take)今回は個人的にショックな出来事があったので、その出来事と合わせて「フィリピンの負の一面」を書いていこうと思います。

娘の麻衣は現在「てんかん」の治療中です。病状は軽度で1才の時に発作を起こしてから、すぐ投薬を始めたので、それ以降は一度も発作を起こしていません。麻衣の場合はロナリンのお母さんの一番下の弟「ティオ」が重度のてんかんで、遺伝だと言われました。

ティオはロナリンのお母さんの実家があるミンダナオ島に住んでいました。農家だったロナリンのお婆ちゃんはマルコス政権時代に政府から農業政策の一環で大きな土地を与えられました。ロナリンのお母さんの多くの兄弟は農家を手伝って来たのですが、お母さんは若い頃にセブにメイドとして働きに出て、ティオも彼のお姉さんと隣町に住みお姉さんの働く会社で仕事をしていました

3年前にロナリンのお婆ちゃんが交通事故で亡くなり、土地の財産分与の話が具体性を帯びた時に、ロナリンのお母さんとティオは実家で農業を手伝って来なかったという理由から、財産分与でもめたそうです。又、てんかんの発作を持つティオは他の兄弟からも余り交流がなく、奥さんが浮気をして別居後は定職もなく孤独な状況になっていました。数年前に一緒に仕事をしていたお姉さんの会社が事業縮小になって、お姉さんがセブに移ってからは、仕事もなく、2人の子供を育てる収入もなくて苦労をしていました。

半年ほど前にそんなティオがセブにやってきました。ティオのお姉さんがセブで彼の2人の子供の面倒をみてくれていたからです。ひととき子供と楽しく過ごしたのですが、一方で経済的な理由から、てんかんの薬を飲んだり、飲まなかったりを繰り返していたので病状はかなり悪くなっていました。月に1?2回意識を失う発作を繰り返し、時には意識を失って倒れたときに洗濯紐が首に絡み付いて、あわや窒息事故を起こす寸前のこともありました。

そんなことの繰り返しの中、ティオは自分の老い先を悲観して「死ぬのはミンダナオの実家で迎えたい。母親のお墓に一緒に埋めて欲しい。」と繰り返し言うようになってしまいました。

そんな中10月の初めに ティオが僕たち夫婦に「実家のミンダナオに帰りたい。兄弟はあまり面倒を見てくれないのは分かるけど、セブで暮らすのは慣れなくて疲れる。」と相談されて、ミンダナオまでの旅費の工面をお願いされました。僕はセブの暮らしが合っているので大丈夫ですが、それでも慣れない土地で合わない暮らしをするのが辛いと言う部分が良く分かるだけにロナリンと相談して片道の船代約1,000ペソ(約2,000円)だけを工面してあげました。そして工面して2日後彼は子供をセブに残して、一人でミンダナオに帰っていきました。

時折ロナリンがミンダナオに連絡していたのですが、やはり兄弟は余り面倒を見ていない様子でした。これは予測していた事だけど残念でした。家族の絆が強い国なのに何処かちぐはぐな所があって、利害や偏見が絡むと特に自分中心の行動に走る人も多いと感じます。

そして、11月23日早朝、そのティオがトライスクル(3輪乗り合いオートバイ)のドライバー3人に胸や腹など8箇所を刺されて死んだとの連絡が入りました。酔っぱらって乗り合いオートバイで眠りこけ、実家に運ばれた時に、ティオのお兄さんは怒って「そんなやつ、何処かに捨ててこい!」とドライバーに言ったそうです。ドライバーは寝ているティオを起こそうとしたそうですが、酔っぱらって絡んでくるティオと喧嘩になり事件が起きました。

顔を知っていて、何度か一緒に食事をした人が殺されるというのは、やっぱりショックでした。しかも僕たちの支援でミンダナオに帰りそこで事件に巻き込まれたのは嫌な気分にさせられます。

彼は自暴自棄になり、こうなる事を望んでいたのかもしれません。でも改めて簡単に人は死んでしまうし、ここフィリピンでは日本の様に「誰でもよかった」という無差別殺人は少ないけど、「カラオケで歌っている時、笑われて腹がたった。」とか今回のティオのように「酔っぱらって太刀が悪かった。親戚も捨てられるのを望んでいた。」など馬鹿げた理由で簡単に人を殺してしまう現実をもっと身にしみて感じなければいけないと思いました。特に僕は日本人だから、本当にみんな日本人は金持ちだと勘違いしているので、金銭目的で麻衣や真佐人に悪いことが起きないとは限りません。親戚はいい人でもその情報を聞きつけた隣人までもがいい人とは限りません。又、僕自身は等身大で暮らしているつもりですが、日本人は全て金持ちだという誤解を流暢な現地語で説明することはまだまだ難しいです。

今回は僕たちと定職のあるロナリンの妹がお金を出して、ロナリンのお母さんとその妹、ティオの子供2人を実家に帰し、お葬式に参列してもらいました。ロナリンはティオが埋葬された昨日、僕たちが結婚式や洗礼式を受けた教会に子供達と出かけて、ミサに参加して彼の死を弔いました。彼は最後の望みだった、彼のお母さんの横に葬られたそうです。

今回は特にまとまりのない記事になってしまいましたが、今も薄幸だったティオの人生の意義、犯罪の痛みや被害に遭わない為にどうすべきか、家族の絆とねじれなど色々な事が今も頭を駆けめぐり、結論のでないまま浮かんでは消えています。

今朝も早起きをして、娘の麻衣を家の近くで遊びました。ひとしきり遊んで帰ってくると息子の真佐人が目を覚まし笑顔で迎えてくれました。全ての心の救いは彼らのあどけない笑顔から得られる、そんな気持ちで一杯になった11月最後の日曜日でした。(by take)

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コメント(2)

殺伐とした話で、気持ちが寒くなりますが、こういう現実も実際あるんですよね。もちろん、日本にも、形は変わっても、同じようなはなしはあるのだと思います。

この前、ミャンマーの軍事政権が自国民を激しく虐待しているというドキュメンタリーを見て、つらいなあと思ったのですが、その中で印象的だったのは、反政府活動をしている人たちが、潜入したフランス人ジャーナリストのインタビューに答えるシーンです。

「この取材を受けることは、あなたを危機に陥れるのではありませんか?」
「その可能性は十分あります。もしつかまれば、間違いなく刑務所行きで、今度は生きて戻れないかもしれません。でも、あなたのインタビューに答えられて幸せです。ミャンマーの現実を少しでも多くの世界の人々に伝えてほしいのです。私には、あなたのインタビューに答えることしか、その方法はない。だから、つかまる危険はあっても、こうしてインタビューに答えているのです」

現実が厳しくても、それをしっかり伝える人が求められているということもあります。ティオさんは残念な死でしたが、こうして日本の読者にふっと印象を残していくことは、少しは弔いになるのではないかという気がしました。

pacoさんコメントありがとうございます。

今回「よく聞く話」と「当事者になって聞く話」の違いを凄く感じましたが、もしこの話を読者の方が少しでも身近に感じてくれたら、もっと全ての面でフィリピンを正しく理解してくれることに繋がるかもしれませんね。

それはフィリピンに住む僕たちにとっても良いことだと感じます。彼の死が残した何かを大切に見ていきたいと思います

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