(by paco)裁判員制度のウソ

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J-wave「東京Remix族」に弁護士であり、裁判員制度のエバンジェリストを自称する大澤孝征が登場して、裁判員制度について話していました。

裁判員制度については、「誠意と量刑」でも書いたので、そちらも見てほしいのですが、かなり危ない制度で、来年5月の実施以降、その危ない制度に、僕もあなたもかり出される可能性があるので、ちゃんと考えておく必要があります。

大澤の言い分によると、裁判員制度は裁判への市民参加とチェックが目的で、それは参政権と同じく、民主主義を支える「自明のこと」だと主張します。参政権がなければ民主主義が機能しないのと同じように、三権のうちの司法権にも市民が参加する必要があり、それが裁判員制度だというわけです。

といわれると、あなたは納得してしまいますか? だまされちゃいけません。

参政権は、立法に参加する「権利」です。一方、裁判員制度は、指名によって国民が刑事裁判に参加させられる「強制・義務」の制度です。ここが決定的に違います。

世界の参政権を見ると、ほとんどの民主国家で投票は「権利」であって、義務ではありません。投票してもいいししなくてもいいし、投票するにしても白票の権利があります。唯一、オーストラリアは投票は義務付けられていて、投票しないと罰金だそうです。もし日本が、投票も義務にするなら、裁判員も義務、というのもありかもしれませんが、今のところそういう動きはありません。

裁判員制度は問題だらけなのですが、特に問題なのは、呼び出しを受けたときに、良心に従って裁判員を拒否するという権利が認められていない点です。また、被告の側(加害者)、原告(被害者)から見たときに、裁判員にさばかれることを拒否することができません。

そのため、もしあなたが裁判員に呼ばれれば、特別な事情がない限り、裁判員を拒絶することはできないし、万が一裁かれる立場になった場合、法律のこともまったく知らない、とんちんかんな人に「死刑宣告!」されないとも限りません。裁判員が参加するのは一審のみなので、高裁、最高裁と行けば不適切なことが起こっても、適切な判断になると大澤は言いますが、一審でも判決が出れば、判例になりますから、軽々しく扱っていいわけはありません。

実際、裁判員の条件は義務教育を終えていること、だけです。日本では中学までは中退はありませんから、(あえて差別的に書きますが)実質読み書きもロクにできないヤンキーや、犯罪歴はないがやくざ上がりという人物も裁判員になります。論理思考の能力などまったく求められません。「悪いやつは人相が悪い」と水戸黄門のテレビドラマを見て思い込んでいる人も来ます。判決は多数決ですから、裁判員が思い込みで出した評決を、法律を学んだ裁判官が拒否することもできません。

また、自分のみになって考えると、裁判員になれば、裁判に呼ばれ、事件の事実を認定するために、殺人事件の残忍な現場写真や解剖写真を見せられたり、血塗られた衣類などの証拠を確認したり、ひどい目にあった被害者に直接尋問する権利もあります。性被害者に対して、どんなことがあったのか興味本位できくこともできるし、そういう尋問をされて苦しむ被害者を目の前で見ることにもなります。

さらに困ったことに、裁判員になった場合、なったという事実さえ、誰にも話してはいけないのです。家族にも、職場の上司や社長にも。にもかかわらず、黙って指示された日時に裁判所に行き、数日間、裁判に取り組まなければなりません。その一方で、裁判では被告(加害者)に顔をさらして裁判に出廷しますから、被告が有罪になってから刑期を終えてシャバに出てきてからは、「あいつがオレを有罪にした」と逆恨みされる可能性もゼロではありません。

こういう制度を、「民主主義の正義を実現するための国民の義務」であるかのように話す大澤という人物にはさすがにびびりました。

どうします? 来年5月以降、あなたも僕も、こんなとんでもない裁判員になるべしと呼び出しが来るかもしれない、のです。

尚、裁判員制度の詳細については、この本がよいかも。

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コメント(4)

1年半くらい前、映画「それでもボクはやってない」をみたときに思ったことがありました。当時、blogにこんなことを書きました。


■裁判員制度に対する印象
僕はもともと裁判員制度に悲観的な印象を持っていたのですが、なんとなく漠然とした不安というところが多かった。そこにこの映画を観たことで、不安に感じていたことが少しばかり具体的に見えてきました。


■裁判員制度では、状況は良くならない・・・?
いまの僕の頭にある裁判員制度のイメージでは、この映画にあるような「現状の問題点」を解決しないと思っています。どちらかというと、「現状の問題はしょうがない。ほら、みんなわかるでしょ?」といわれそうな感じ。

○裁判官の威厳は強まる・・・
裁判員として参加した場合、知識経験の不足から、プロである裁判官の意見に頼ってしまうと思う(特に、日本人の傾向として強いと思う)

○裁判官的な振る舞いをしたくなる・・・
一般人が現実の裁判に参加しても、「世間一般的な見方に基づく判断(浮世離れしていない感覚)」で判決をだすことは難しい気がする。
むしろ、不安な中で判決を求められたら、過去の事例に頼りすぎてしまうかもしれない。ひょっとしたら、今の裁判官以上に、(悪い意味で)裁判官ぽい判決を下すかもしれない。

○判決を下すことの強烈なプレッシャー・・・
自分の考えで判決を下すというのは、ものすごくハードルが高い行為だと思う。判決をすることで、人の一生を左右するかもしれない。そんな中で「裁判員は責任をもって判決する」といわれても、ためらいたくなると思う。
となると、自分以外の誰かに決めてもらったほうがいい、と思ったり・・・。できれば「同じ立場の裁判員同士による総意」よりも「判決を生業にしている裁判官」にやってもらった方が、気分的には楽になりそう。


書いた当時は、まだ導入まで期間がある印象をもっていましたが、ずいぶんと目の前にまで差し迫ってきたことにあらためて気づきました。

米国在住の者です。米国で陪審員制度がまがりなりにも機能するのは、宗教心に支えられて、神のために真実を追求しようとする人が少なからずいるからだと思います。ひるがえって、日本では、裁判員に「当たった」ら、貧乏くじを引いたようなもんで、さっさと終わらせようとしようという人が圧倒的多数になるのではないかと危惧します。すると、さっさと終わるために、検察の言うことを優先して採用し、結局のところ検察有利に裁判が進むだけじゃないでしょうか?今より悪くなるような気がします。

やはりネガティブな意見の人が多そうですね。
せめて、多少なりとも研修を行うとかして、一定以上の能力をつけた人がやるべきじゃないかという気がするんですが。それと、やらないという選択肢をちゃんと示す。裁判員であることを公表してもいいという要件の緩和と、さらに、裁判員は被告(容疑者)に対して、顔をさらさなくて済むというぐらいの制度にしないと、とても回らないのではないかと思います。

米国の場合、宗教心ももちろんあると思います。もうひとつは、もともと広大な大陸に数少ない人が入植した農業国で、ほとんどの土地で法律を学んだ人などいない状態の中で、荒くれ者もいて(西部劇みたいな)、裁かなければ治安が保てない、という事情があり、限られた裁判官、弁護士にだけは任せておけない、という中では機能してきた制度ではないかと思います。寄らば大樹で上からの支配になれてきた日本人とは、自治意識が違いますから、その点を考慮した制度にしないと、機能しないと思います。

ま、みなが実質的に拒否して、逃げ回るとか、判断を結局裁判官任せにするとか、つい裁判の内容をしゃべってしまう人が続出して、しゃべったことを訴追しているとたくさん逮捕者が出るとか、そういう状況になれば、短期間で制度廃止になるのではないでしょうか。

そもそも、裁判員になったことを誰にも話せず、墓場までしゃべらずに持っていくなどということが、普通の人のできるのか、疑問過ぎ。絶対しゃべりたくなります。

評議でまとまらなかったときの多数決(評決)について


>判決は多数決ですから、裁判員が思い込みで出した評決を、
>法律を学んだ裁判官が拒否することもできません。


と、本文中にありますが、その一文だけだと誤解を招かないでしょうか?


裁判員制度 Q&A 日弁連
http://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/about/qa.html#A10
裁判員法は、裁判員が関与する判断について、
「構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む」合議体の員数の
過半数で決定することとしていますので、
被告人を有罪にする場合には、裁判員と裁判官のそれぞれ1人以上が
有罪の意見であることが必要とされます。
つまり、裁判官だけ、または裁判員だけの意見によって
被告人を有罪にすることはできないのです。


これに従えば、すべての裁判員(6人)が適当な判断で評決したとしても、
裁判官たち全員(3人)がその判断を否定すれば評決は不成立ということになります。
あまりにも常識に欠ける裁判員(一般人)の判断を
プロである裁判官が支持するとも思えませんので
そういった意味で安全弁になっているのではないでしょうか。

ただ、これはいいことばかりではなくて、
すべての一般人がおかしいと感じるような事件であっても、
司法の立場にいる人間(裁判官)が最低でも1人は支持してくれないと
評決に結びつかないというパターンもありえます。

ちなみに、わたしは裁判員制度は早期に崩壊すると予想しております。
刑事事件の立証過程において見るべき証拠は
とてもではありませんが、一般人が堪えられるものではないはずです。
また、本文中にあるように裁判員への危険について
法務省の考えはあまりにも楽観的すぎます。
残念なことですが、おそらく情報流出などを頻発させ、
制度そのものへの不信感が強くなるでしょう。

また、よりによって刑事事件だけに限定したのは何故なのか。
経済団体からの強い反対で裁判員の対象から労働訴訟を除外したくせに、
国民の義務だと言われても賛成できません。

思想信条で拒否したい人への配慮もなく、
西欧諸国のように登録制、任期制を検討もしていません。
「義務」という一言でなし崩しに進めようとしても
これだけ穴の多い制度では長くは持たないでしょう。

以上、長々と失礼しました。

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