(by yuki)国のイメージは個人から

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(by yuki)五年間の海外生活で、「他国から見た日本とは」「日本人のイメージとは」を考えさせられる場面が多くあって、今でも考え続けています。日本人として、やっぱり海外の人に日本や日本人を好意的に見てもらえたほうが嬉しい。ただ、“好き”か“嫌い”かの感情で言えば、私がずっと感じ続けているのは、“好き”ではなく、“嫌い”か“興味ない”のどちらかが圧倒的に多いなぁということです。

中国で生活するまで、日本人は中国人に嫌われていると思っていました。理由はすべて戦争であり、日本人はとにかく謝らなければいけない、それ以外に日中友好なんてないものだと思い込んでいました。

中国に来たばかりの頃は中国語が分からなくて、日本語に比べ語気が強い中国語を聞くと何か文句を言われているのかなじられているという気すらして、自分の考えを上手く伝えることもできなかった。言葉が分かるようになると、ただの会話だということも理解できたし、強気で自分の考えを言うこともできるようになりました。

中国人と中国語での会話に困らなくなると、私が生まれる前に起こったことについて、しかも一個人に文句言われても困る、と逆に憤りすら覚えることもあった。「日本の学校では昔日本が何をしたかなんて教えないだろう」と言われた時は「日本の学校の教科書見たことあるの!?中国こそ政府が選別した中国寄りの情報しかのせてないじゃん!」と言い返したこともあります。

中国生活三年目以降、ようやく少しだけ冷静に考えられるようになって、今はこう思います。日本は昔悪いことをして、それは反省していかなければいけないのと同時に、許してもらえるよう中国に歩み寄る姿勢を見せなきゃいけない。中国は昔の日本の行いに対して怒るのはもちろん理解できるけど、今の日本に関する情報から色眼鏡を外してちゃんと見ようとしなければいけない(国の仕組み上、これが一番難しいのかもしれませんが)。

国レベルのイメージは私にはどうにもできない。とはいえ、個人レベルではけっこう“イイ感じ”な気がしてしまうのです。
例えば今日、いつも行くスタバの店員さんが「最近、日本語の勉強始めたよ」と満面の笑顔で報告してくれました。広州で北京なまりの中国語を話す日本人が珍しいのか、彼女はいつもニコニコと私に話しかけてくれます。「日本人は丁寧だから好き」とも言ってくれます。その一言がとても嬉しくて、“調子にのらず、丁寧な日本人でいよう”と考えてしまったりしてしまいました。
中国やアメリカでの生活を通して、例えば中国人やアメリカ人や、あとイタリア人やロシア人や韓国人なんかは何十人と知り合ってきて、それだけの人数の一国の人は国籍とは関係なくて個人として認識しているつもりです。でも、例えばチリ人、スイス人、北朝鮮人の友達なんて一人か二人ずつしか知らなくて、そうすると彼ら個人のイメージが私の中ではそのまま国のイメージになっています。

スタバの彼女にとって、日本や日本人のイメージが私を含む日本人客のイメージそのもので、好意的に受け止めていてくれるのだとしたら、それが彼女の周りの人間にも波及してほしいと願ってやみません。小さいかもしれないけどそれを積み重ねていけば、広州の中国人のうち何十人、何百人かの日本と日本人のイメージを良くすることはできるかもしれない。こんなことを思うのはエゴかもしれないけど、自分の言動一つが、どこかで日中友好のカケラになってくれれば…今はそう思います。

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