(by paco)「向日葵の咲かない夏」「憑依」で、<犯罪>心理を知る

| コメント(0) | トラックバック(0)

(by paco)「憑依‐HYOU・I」と「向日葵の咲かない夏」を読みました。どちらも、本ではなく携帯ブックですが。

携帯で本を買って読むのは、なかなかいいです。携帯ならどんな外出の時にもまず持っているから余分な持ち物が増えないし、電車の中で片手で読めるので、混んでいても退屈しません。

という話ではなく、この2冊。ホラーやミステリーのカテゴリでくくられて、たしかにそうなんですが、これを犯罪心理の本として読むと、実はかなりリアリティがあります。

最近、理解しがたいような気味の悪い犯罪が増えています。遠くは少女連続殺人の宮崎努、最近では酒鬼薔薇聖斗や秋葉原連続殺人など、「なんで?」という犯罪が多く、その中の一部は精神鑑定によって責任能力が問われ、無罪や減刑になっている例もあります。

もし、犯人が、この2冊にあるように、何らかの「妄想」にとりつかれるようにして犯行を行っていたとしたら。現実の「妙な」事件の犯人が見ている地平は、この本にあるようなものだったら。だとしたら、犯人を罪に問えるのか、非常に難しいことが少しわかります。現実を理解する能力は充分にありながら、現実を非現実的解釈しようとしてしまう脳を持っている、という感じです。

たとえば、「向日葵の咲かない夏」で、主人公の中学生は、以前、嘘をついて自宅の玄関が萌えていると叫び、それを聞きつけた母親が会談を滑り落ちて、母親は妊娠していた「妹」を流産してしまうというシーンが描かれます。その結果として、母親はぬいぐるみを娘として扱うようになり、主人公の中学生男子はトカゲを飼い、そのトカゲを妹として会話するようになります。

精神異常といえばその通りですが、ちょっとした嘘やふざけの結果が、流産という重大な結果を招いたことを、母も息子も受け入れることができず、架空の「妹=娘」を創造して、その空想の中に現実をあわせようとするという精神構造は、多くの精神医学者が発見してきた多重人格症そのものです(「五番目のサリー」など)。

ゲームをやり続けると、現実と仮想の区別が付かなくなるとよく言われますが、ゲームをやらなくても、現実が受け入れがたいほど過酷だと、その過酷さを受け流す方法として、自分ではない自分をつくったり、現実の方をねじ曲げて理解することで、過酷な現実を受け入れまいとする心理が働くのです。そういう観点でこの2冊を読むと、犯罪に至る犯人が、どのように世界をねじれてみていくか、その一例(二例)が描かれていると読み解くこともできます。そのような観点からの書評がないのがちょっと残念でしたが。

背筋が寒くなるこわーい本ですが、単なるホラーやミステリーとして読むのではなく、社会現象とのセットで読んでみると、また違った本に読めます。

と思っていたら、さらに怖い話がAERAに出ていました。『事故米より怖い「国産」』と題された記事は、日本での農薬中毒の一面が描かれているのですが、農薬の影響で、かっとなりやすく、自分でも『わけがわからない』状態になる症状を抱える患者が増えているという記事です。一部を引用します。

-------------------------------------
とりわけ気持ちを暗くさせられるのはメールに「異常行動」と記されている患者の暴力衝動だ。小児に多いがそれだけに限らないようで、特段理由もなくすぐかっとなる。暴力の相手も選ばない。男友だちを突然殴ったが、自分でもわけがわからないという若い女性の患者もいた。やはり急に食器を壊したり、一見普通の患者なのに内ポケットにナイフをしのばせてくる来院者もいた。発症の機序は異なるが、人の人格を変える点は有機燐と同じで、青山医師は、「有機燐との掛け算になる」と、みる。人の体質によって違いは大きいものの、すでに有機燐によって大きな影響を受けている日本人はアセタミプリドが加わることにより、相乗効果を受けるのだ。
-------------------------------------

農薬の影響で脳が衝動的になり、自分でも思っていなかったような感情や行動に説明をつけるために、世界のあり方の理解の方をねじ曲げていく……そんな人が増えつつあり、その極端な例が、『理解しがたい犯罪者』になっている、という可能性も否定できない気がします。

まだ情報が整理されていないのですが、農薬と多重人格、学習障害や多動、境界性人格障害などは実は密接な関係にあるのかもしれません。

このテーマ、引き続き追いかけてみます。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://w0.chieichiba.net/mt/mt-tb.cgi/650

コメントする