(by yuki) 2008年6月28日の北京

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(by yuki) 北京は私にとって第二の故郷です。2002年から2006年まで、途中一年間を除き大学時代をどっぷりと過ごした大好きな場所です。その北京へ2年ぶりに遊びに行ってきました。

【オリンピック村】フェンスで囲まれており敷地内へ入ることはできないため、車で横を通ることしかできません。鳥の巣は今でも工事をしているようでまだ屋根にはクレーンが見えました。夜になると赤と青にライトアップされ、その横に屋内プールの建物が隣接しています。道路をはさんでオリンピック会場の向かいには選手村の建物らしきものがあります。外観はできているのですが、近くで見てみるとまだ内装がまったくできていません。工事をしている人が100人はいたし、彼らの寝泊まりするプレハブもまだオリンピック村の敷地内にあります。工事を終えプレハブ撤去をあと1カ月でできるのか?と疑問が残ります。オリンピック村から200mほどの場所には取り壊し中の建物。汚いものを隠せと言わんばかりで、むき出しのコンクリートの塊がポツンとあり、その様子が何とも寂しいのです。

【前門】天安門広場から続く場所に前門があり、そこから前門大街という通りがありました。前門大街の両側にはお店がぎっしりと並んでいて、小汚い食堂やチベット雑貨の店、怪しげなお店もいっぱいありました。今、その通り自体がなくなっています。通りの改修工事をするため全ての店がなくなっています。工事中の柵があって、更にビニールシートがかけられていて、その向こう側に前門だけがわずかに見えました。柵には新しい前門大街の完成予想図がかかっていて、ショッピングモールのような通りをオールド上海にありそうな路面電車が走っている図でした。

たった2年しか経っていないのに、北京の変わり様があまりに大きいのです。地下鉄の線が何本も増えている。首都空港のターミナルが3つに分かれている。自転車人口が減っている。クラクションを鳴らす車が減っている。週末ごとに遊びに行っていた五道口という学生街も何だかひっそりとしていて、当時各国の留学生でにぎわっていた居酒屋もびっくりするくらい客がいない。市内にあるどの建物の壁もペンキを塗ったのか、昔あった黒いよごれが全く見えません。道端でもくもくと煙をあげて焼いていた小汚い串焼きの屋台と、その前で食事を楽しむ人の風景もありません。深夜に花を売り歩いている子供も、道端の物乞いも全くいなくなっていました。

新しい建物が増えて近代化の雰囲気を出し、生活も便利になって北京の人にとっては望ましいことなのかもしれませんが、私は何だか寂しくなってしまいました。古き良き風景はなくなっているし、かといってオリンピックに向かって街が盛り上がっている様子もあまりない。2008年6月28日の北京は、あまりにも静かでひっそりとしていました。

留学していた数年間、SARSや反日デモや鳥インフルエンザなど予期しない出来事がたくさん起こり、全く中国語が分からない時からずーっと、北京は私が“必死に生きてきた場所”だったのです。街も人も生活も、背伸びすることなくそのままの姿だったような気がしていたから自分自身も一番自分らしくいられた場所でもありました。だからこそ大学を卒業して日本へ帰国した後も、中国の広州という場所にいる今も、北京へ行けば何だかパワーをもらえるような気がしていただけに、あんなに元気のない北京を見るのは寂しくて悲しくてショックでした。私が大好きだった北京とは全く別の北京になっていました。オリンピックが終わったら、また昔の北京の姿を見ることができるかな…。

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