(by クヌギー) 本読みが本を読まないとき 第4回 遠回りをすること

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(by クヌギー) 歩いているときと、考えごとをしているときは本を読みません(学生だった時分は本を読みながら歩いていたこともありますが、最近はさすがに……)。
そして、歩くときと考えるときは、あえて遠回りをしています。

はじめに断っておくと、私にとっての考えることとは“ものおもい”に近いです。物語的な、一種の妄想に近いこともあります。この場所で“考える”という言葉を安易に使うのはたいへん危険なことなので、念のため。

さてこの春、どうしてだか花粉症の症状が軽くなってきたので、春の日差しをたっぷりと楽しむことができました。10数年ぶりのことです。以前から歩くことは好きだったのですが、着るものが軽くなると足取りもいっそう軽くなって、歩くことがちょっとしたマイブームになりました。
ブックピックオーケストラのミーティングや友だちとの待ち合わせにも時間の許すかぎり徒歩で行きました。また、移動手段としてだけではなく、歩くこと自体を楽しむ機会も増えて、友だちとまたはひとりで、あちこちへ桜を見て歩きました。こんなに桜を眺めた春ははじめてというくらいに。

歩くときはたいてい地図を持っているのですが、それに載っていないような脇道、路地に出くわすとそちらへ足を向けます。人と人がやっとすれ違えるような細い道、突然の階段、くねくねと曲がりくねって方向感覚がおかしくなる裏道などは、とくに魅力的です。そのあと待ち合わせのためにタクシーを使うことになるとしても、迷わず寄り道や遠回りを選びます。

ふと気がつくと、歩いているときはいろいろなことを考えています。目に映る景色、耳に届く音、髪をなびかせる風、いろいろなことをきっかけにとりとめのない考えごとがはじまります。考えごとといっても、今書こうにもろくに憶えていないような些細なことばかりです。けれども、歩きながらの考えごとを切れ切れながら続けているうちに、このごろでは、何か考えたいとき、そのために散歩に出かけるようになりました。
そして、とりあえず歩いている間だけはそのことで頭の中をいっぱいにしてみます。

結論が出なければ考えたことにならない、効率が悪いと言う人もたくさんいるでしょう。しかし、私にとっては時間を費やしたという事実が大事で、それは少なくとも心を静めてくれます。また、いざ答えを出すために考えるときまでは、こんな遠回りをすることが下準備として必要なのです。

このように、歩くときと考えるときは遠回りを楽しんでいますが、効率を重視することもあります。
ものごとを効率的にこなせることは自分が“ちゃんとした人間”だと思わせてくれるので、それはそれで必要なことです。たとえば、洗濯機を回している間に朝食をすませ、部屋を片づけて、ちょうど洗濯機が止まるまでにどこまでできるか?ということにこだわります。また、食事の支度のときは、使った調理器具を片付けながら、食後の洗いものがなるべく少なくなるように手順を踏みます(不器用なので限界があるのですが)。

この効率に対する内なる二極化が最近わかってきて、それについてもつらつらと考えました。
なんとなくの答えは、のんびりしすぎた性分を短所として自覚しているために、ちゃんとすることに執着したり、逆にそればかりに耐えられず好きなように遠回りしたりして、全体でバランスをとっている、ということ。
そう、ものおもいとはいえ、こんなふうにそれっぽい答えが出ることもあるのです。

以前、論理思考の授業を受けて、効率的な考え方の鮮やかさに憧れたことがありました。でも今は、短時間で正解に到達しなければならない人と、そうでない人、考え方のスタイルが違っていても当たり前と割り切って、答えを出したいときは、遠回りをして集めたことがらを友だちに話して、解釈してもらったり、整理してもらったりしています。

ふだん使わない道具は借りてすます。これはこれで効率的でしょう。


(お知らせ)
第5回は6月10日です。毎月10日と25日になるべく投稿予定。

(参考)
今年は念願の千鳥ヶ淵でのお花見ができました。
図書室たき火通信「さくら、さくら。千鳥ヶ淵公園から九段下へ。」 →http://takibilib.exblog.jp/8309589/

(1冊)
歩く=考えるというのを刷り込んだのは、「それから」の主人公・代助だと思います。何度読んでもおもしろいです。


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クヌギー/功刀貴子

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