(by クヌギー) 本読みが本を読まないとき 第2回 料理をすること

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(by クヌギー) 先日読んだ料理のレシピとエッセイの本に、「つまり、料理というのはメランコリーの妙薬であり、美しい思い出であり、楽しい理科の実験でもある。」という一文があり、大いに共感しました。
前回書いたパン作りも料理の一種ですが、“楽しい理科の実験”の要素が強いです。配合、温度、どれをいじると、どんな結果になるかを観察することが楽しいです。
そこで今回は、日々の食事の支度を中心とした、料理の“メランコリーの妙薬”としての効用について書きます。

まず、少なくとも私にとっての料理は、義務としての家事ではなく、好きなものが食べたいという、食いしん坊な性格の延長線上にある趣味です。プロセスが楽しくて、やっている間は夢中になれて、うまくできると人に自慢できるので、いろいろな習い事や、スポーツなどと似ています。そう考えると”メランコリーの妙薬”となりうることが想像しやすいと思います。

料理を家事としてだけで考えると、できなくては恥ずかしいことになりますが、習い事やスポーツといっしょと考えれば、好きか嫌いか、必要どうか、それだけのことです。好きならするし、好きでなければしなくていい、必要ならけっきょくするようになるし、不必要ならしないまま一生を終えるのもあり。そういうものです。

毎日午後になると、早い時間から「今日の夕飯は何にしよう」と考えます。エレベーターを乗り逃したり、ちょっとした忘れ物をしたり、心ない言葉や行為に接したりして、なんとなくついていないような、ものごとのめぐりあわせが悪いときは、とくにそうです。

スーパーマーケットで食材をそろえ、早足で家路を急ぎます。うまくいかないことがあっても、運が悪くても、自分はちゃんと自炊しているまっとうな人なのだと思うと、だんだん気が晴れてきます。
台所に立ってしばらくの間、火や刃物を使うことに集中していると、小さな悩みも大きなへこみも、とりあえずは横においておくことができます。くよくよと考える余裕をなくすことがポイントなのです。
洗って、切って、煮て、炒めて、盛りつけて、いそいそと食卓に運びます。あとは食べるだけ。とりあえず洗いもののことは忘れて食べるだけ。おいしければ、遠慮なく自分をほめます。これでまたいちだんと機嫌がよくなるというわけです。
そんなこんなですっかり満腹になるころには、さっき横においておいたものが入り込む隙はどこにもないくらい、心も満ち足りています。横においておいたもののいくつかについては「まぁ、いいか」です。

と、調子のいいことを並べてみても、自分で作った食事を食べるだけで気が晴れるというのは、あまりにも単純です。みんなこうすればいいのにと、人にすすめるつもりもありません。なぜなら、今はその程度の悩みしか抱えていないということに過ぎないからです。たくさんの仕事を抱えて、多くの人々に関わっている人などとはたぶん違います。
でも、料理で解消できるくらいの悩みしか抱えずにすませる暮らしが、ひとつの選択肢としてあっていいはずです。

会社を辞めてもう少しで2年になりますが、最近気がついたことがあります。それは、生計を立てるだけの収入と、本と、いっしょに楽しい時間過ごす仲間、というシンプルで小さな生活がしたかったのだということです。
大きな組織でたくさんのことに気を配って、遠くまで目を届かせることも、それなりにおもしろかったけれど、実際は身の丈に合っていなかったのだと今は思っています。それを認めることは悔しいことでもあったし、会社で働いた間についた自信が全部なくなりそうで時間がかかりました。けれどもそれに気づいて一度納得してしまえば、とても気持ちが軽く、伸びやかになりました。

料理が“メランコリーの妙薬”として効きつづけること。つまり、三度の食事の支度を楽しんで機嫌よく日々を過ごせること。それが今の暮らしの基本です。


(お知らせ)
第3回は5月10日です。今後、毎月10日と25日に投稿する予定。今回は間に合いませんでした。反省です。

(参考)
自分のことはきっと一生わかりません。でも少しずつわかってくることもあります。
図書室たき火通信「自分自身のことを知るのって、刷毛で砂をはらって発掘するような作業です」 →http://takibilib.exblog.jp/8283170

(1冊)
今回の引用は「煮たり焼いたり炒めたり」から。翻訳家が洋書で見つけた料理を自分で再現させたレシピと、それにまつわるエッセイを集めたものです。


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クヌギー/功刀貴子

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コメント(2)

「生計を立てるだけの収入と、本と、いっしょに楽しい時間過ごす仲間、というシンプルで小さな生活がしたかった」……いい言葉だね。
今の時代のように、男女みなが会社というものに所属し、競争し、毎年収入を増やし、四半期ごとに成長し、次々に新しい仕事をするという生活は、人間の暮らしとしては、どちらかというとかなり特殊な生き方なんだよね。
もっと小さな世界でそっと生きていていられたはずなのに、だんだんそういう世界がなくなってしまいました。多くの人が正々堂々、シンプルで小さな生活ができていいと思うんだよね。それもまた、Life Design。

pacoさん、コメントありがとうございます。
特殊な生き方が自分には「実は」合わなかったことは、会社を辞めて、ちょっとつまづいて、そのあと「とりあえず」やってみて、やっと気がついたことです。これでよかったかどうかはまだわかりません。
でも、もしも不幸に(?)なったとしてもやむをえないし、やりたいようにやったという気持ちはちゃんと残って、それがささやかな自信になるのだと思います。

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