(by クヌギー) 本読みが本を読まないとき 第1回 パンを焼くこと

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(by クヌギー) 2年ほど前から、週に1回の頻度でパンを焼いています。
家に友だちが集まることが多く、その献立に、みんなが「わーっ」と言うようなものを取り入れたいと考えるうちに、「焼きたてのパンを出せたらどうだろう」と思い立ったのがきっかけでした。

子どものころ、母が手作りパンを焼いていました。近所にパン屋さんがなかったこともありますが、第一には子どもがよろこぶから作ってくれたのだと思います。
パンが焼きあがるときは家中に香ばしい空気が満ちて、期待と幸福感をいっぱいにしてオーブンの中を見つめていました。そんな焼きたてパンのよろこびがきっと記憶に染みついていて、これを友だちにも教えてあげたいと思いました。

母は手先が器用なのですが、その子どものほうは生来の不器用です。パン作りも母と同じようにはできないと思い、最初は実家に電話をかけて「私にもできるかなぁ」と聞いてみました。すると、私の実力をよく知る母から「平気よぉ」という案外気楽な返事がもらえて、ひと安心しました。

手持ちのレシピ本の写真を見ながら作ったら、まあまあ食べられるものを焼き上げることができました。その話をすると、人によっては本を読んだだけでいきなり作ったことに驚きますが、本人はそれほど冒険をしたつもりはありません。
しかし、そうは思わない人が多いようです。パンを作るにはまず教室に通うのが一般的なのでしょう。もし、そういう人との違いがあるとしたら、母が家でパンを焼いていたのを見ていたことと、楽観的な性格だと思います。

こんなふうにはじまったパン作りですが、友だちにふるまうまでは長い道のりでした。
料理に添えるテーブルロールより、朝食用の食パンに興味を持ってしまったのが運のつき。小麦粉の種類、より口当たりのいい配合、釜伸び(オーブンで焼きはじめてからのふくらみ)がいい発酵の進み具合など、気になることがたくさん出てきたことで、なかなか夕飯の献立に登場するまでには至りません。
1年以上は好奇心と探究心を優先して、自分の朝食のためだけにパンを焼く日々が続きました。でも、なかなか「これだ」という食パンは焼きあがりません。

食パンの改良に行き詰まりを感じていたときに作ったのがベーグルです。アルバイト先に元パン屋さんの同僚がいて、ベーグルをすすめられたのがきっかけでした。彼女の話を聞いて、ベーグルは作るのが面倒くさいと思っていたことが偏見だったと知ったのです。
ベーグルは何度か作るうちに、食パンよりも先に満足な品質に仕上げられるようになったので、アルバイトのときのお弁当に持っていって(人目に触れる可能性あり)、自信をつけていきました。

そしてついに昨年のクリスマスパーティで、友だち全員にベーグルをプレゼント!このときはプレーンとクランベリー入りの2種類を作ったのでたいへんでしたが、それ以上に楽しかったです。夜遅くに焼き上げて、翌日パーティの準備のために早起きしても、まだうきうきしていました。
この、食パンを焼くときにはないうきうき感はなんでしょう。

あらためて考えてみると、そのうきうき加減が、すばらしい本を読み終わったときに似ています。
本を読むことはひとりでする行為ですが、読み終わったとき、その瞬間に心に広がる快哉、充足感、安堵を伝えに走り出したい欲望にかられます。思い浮かべる顔があります。
12月23日の晩にひとりで焼きあげたベーグルは、そんな読後感が形になったようなものでした。そして、それを誰かに渡すことは気持ちを伝えることと同じだったのです。

本とパン。その向こう側に人がいるともっと楽しい、もっとうれしい。

ずっと試行錯誤を重ねているわりになかなか満足な仕上がりにならない食パン作りに、このうきうき感を取り入れたら、目覚しい変化がありそうな気がします。
しかし、純粋に探究心を発揮して“実験”を重ねることも、別の楽しみとして捨てがたいのです。


(お知らせ)
第2回は4月25日です。毎月10日と25日に投稿予定。今回はちょっとギリでした。

(参考)
ベーグルをクリスマスプレゼントにしたことついてはこちら
図書室たき火通信「昨日のがんばり報告。」 →http://takibilib.exblog.jp/7857169

(1冊)
「パンの百科」(中公文庫)。昭和55年発行ですが、目次に見つけた“おしゃれパン”という言葉がかわいくて衝動買い。神保町の均一だったからできたこと。


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クヌギー/功刀貴子

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