(by クヌギー) 本読みが本を読まないとき 第0回 私は本読みです。

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(by クヌギー) かばんの中にはいつも本が入っています。うっかり持たずに出かけたら、途中で何か買ってでも1冊は入れていないと落ち着きません。そんな体質ですが、「趣味は読書です」と言うことには違和感があります。

その理由はふたつあって、ひとつには言葉の持つ印象です。人から「趣味は読書です」と言われたら、親しみよりもけむたい感じを受けるだろうと思います。「本が好きです」だったら、「どんな?」と自然に返せますが。また、「読書家だね」などと言われては、「いえ、ただの本読みです」と訂正したくなります。
そんなふうに「読書」にはうっすらと高尚さを訴える雰囲気がただよっていて、「読書家」には近寄りがたい印象があります。それで「本が好き」とか「本読み」という言葉を使っています。

もうひとつは、そもそも本を読むことが趣味と言えるかが怪しいことです。

今は週4日事務のアルバイトをして、残りの3日は本にまつわるあれこれに費やしています。本を読んだり、本の情報を集めたり、book pick orchestraのミーティングでアイデアを絞ったり。本に接するときはいつも一生懸命なので、本にまつわるあれこれは「心の本業」です。
本のことでいやになることは今のところありません。それはおそらく3度の食事のようなものになっているからです。「好きなもの、質のよいものをバランスよく」と心がけているところはまさにそう。食べた(読んだ)あとの後片付けにちょっと気が重くなるところも似ています。
その本業だったり、日常だったりするものを趣味というのにもいささか抵抗があるこのごろなのです。

では、「趣味はなんですか?」と聞かれたらなんて答えよう。
そんな疑問から、本を置いて向かっていくこと、本が手につかなくなることについて考えてみることにしました。だから「本読みが本を読まないとき」です。
そして本題の「読まないとき」の話は次回以降として、今回は、どうして本のことが日常の多くを占める心の本業になったのかを書きます。

1年半ほど前までは正社員として働いていました。そのときは、季節によっては残業もしていて、本を読むことは気分転換の手段でした。そのためか、知識や教養を得るためではない純粋な娯楽としての読書は、学生の頃よりも働きはじめてからのほうが増えました。
親元で生活していたころは、部屋の掃除と食事の時間以外、ずっと本を読んで過ごすのがふつうの週末でした。部屋は南と西に窓があり、夏はどうしようもないのですが、それ以外の季節は日差しの暖かさが部屋に満ちて、真冬でさえも日中は暖房がいらないほどでした。そこでのんびりと本を読み、ふと気がつくと日が傾いていて、薄暗さと肌寒さを感じて驚くと夕飯の時間になっている、それが当たり前でした。
親元を離れて暮らすようになってからの変化は、通勤時間が短くなり、家事の時間が増えて、本を読む時間が減ったことです。家事はきらいではないので、うっかりするとそればかりになってしまいます。でも読みたい。それまで時間的には読みたいだけ読んでいたので、本を読むために時間をやりくりすることは新鮮でした。
今思うと、自覚して時間を費やすようになったことが「本を読むこと」に焦点がしぼられるきっかけだったと思います。何かを諦めても読みたいと思う本があって、それを読むことの優先順位の高さがわかったのですから。

こんな経緯をたどって「やっぱり私には本のことだ」と気づき、会社を辞めました。辞めてすぐは七転八倒紆余曲折がありましたが、この1年は穏やかな生活と楽しい試みが両立できています。
本に関わることで生計を立てる方法が見えてくるには、まだ時間がかかりそうです。でも、これまでどおり本読みの道を歩いているうちに、なにかしらが見えてくると思っています。
そして、本以外の暮らしの要素を見つめ直すことは、その歩みの何歩かになると楽しみにしています。


(お知らせ)
第1回は4月10日です。今後、毎月10日と25日に投稿する予定。がんばりまーす。

(参考)
先日、本を読むようになったきっかけ(衝撃の事実?)についてブログに書きました。
図書室たき火通信「本読み誕生の瞬間」 →http://takibilib.exblog.jp/8158321/

(1冊)
友だちにすすめられた「読書の歴史あるいは読者の歴史」はたぶん名著です。たぶん、というのはまだ1/4しか読んでいないから。それでも名著と言うのは、その1/4にバサバサいうほど付箋をつけてしまったから。


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クヌギー/功刀貴子

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