(Toshi)ペンギンは努力しても空を飛べない

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(Toshi) 最近、表題のようなことについて、いろいろ考えます。もちろんペンギンの話ではなく、人間の話。

たとえばKYな人、という表現がはやっていますが、空気を読めない人というのははきっと、努力が足りないのではなく、空気を読む能力が欠落しているのだと思うのです。だから本人が努力をしたとしてもKYであることは変わらないのではないか。黙ってしまうことで、目立たなくなることはできるかもしれないけど。

これまでトライしたことがなくて、初めて挑戦するなら、できる可能性はあります。たとえばスキーをやったことがない人が40過ぎてトライしたらめきめきできるようになった、というのはあるかもしれない。でも、何度もトライしてできなかったことが、努力で出来るようになることはないのではないか、と思うのです。

それじゃ出来ないことは一生出来ないのか、たとえば英語が話せない、散々学んでも出来なかったということは望みがないのかというと、もしそれまでなぜ出来ないのかが解明できたとしたら、できるようになる可能性はあります。でもそれは、単なる努力の賜物ではなく、できるようになるメカニズムをつかんだ結果です。

で、なんでこんなことを考えているかというと、次のようなシーンを見ていて疑問に思ったからです。

35歳過ぎくらいになると「そろそろリーダーシップを身につけないといけない」と言い出す人が特に男性に多くいます。それはまわりからのプレッシャーでもあり、本人の希望でもある。でも、それまであまり発揮していなかった人がそこからリーダーシップを身につけているのを見たことがありません。まわりも本人も失望したりしているけれども、もともとムチャな努力で、そんなことをやっているより得意な領域を伸ばすなり、それで活きる道を探した方がよいのでは。

あるいはKYな人とか責めたり揶揄することにも同じようなことを感じます。そういうことの多くは実は、目が見えない、といったことに近い一種の「障害」なのではないかと。そして○○が出来ない、という中には想像以上にそういうことが多くあり、「努力せよ」というのでは無理で、他の方法、たとえば目の見えない人のために盲導犬がいたり、点字があったり、聴覚を発達させたりするようなことが必要なのでは、と思うのです。

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