(by paco)渋谷 妹バラバラ殺人事件裁判記録から

| コメント(0) | トラックバック(0)

(by paco)「普通の子ども」の犯罪についての記事を書いていたら、同じく「普通の子どもの理解できない犯罪」について詳細な記録がありました。産経新聞が掲載したもので、公判の記録です。サイト上の記事の場合、リンクがすぐに切れてしまうので、テキストに落としておいたので、このリンクが切れている場合は、こちらをご覧ください。そのままクリックすると表示上読みにくいので、右クリックでダウンロード(保存)してから開いてください。

渋谷妹バラバラ殺人事件裁判記録

この事件の犯人はすでに成人している浪人生ですが、成人したばかりなのと、浪人生ということで、実質的には高校生程度と道東と考えています。実際、公判記録を読むと、子どもっぽいというか、どうも何を考えているのか、よくわからない感じ。

妹を殺していたいをバラバラにして自室に隠し、しかもそのあと受験勉強の合宿に出かけて普通に勉強しているという行状を見ると、どれほど心が凍り付いたやつなのかと思うのだけれど、犯行時点での記憶がどこかあいまいというか、夢を見ているような感じというか、本当に妹をバットで殴ったり、首を絞めたり、遺体を切断したりというとんでもない行状の記憶をもっているのか、うまく理解できません。同じ犯罪でも、秋田で娘と娘の友だちの男の子を殺した母親が娘を殺したとされる場面では、橋の上から突き飛ばしたというか、つかまってきた手を振り払ったというか、一瞬のできごとだったとのことなので、実感が湧かないということもあるのかもし得れませんが、渋谷の浪人生は、妹との口論の末、バットで殴ってから妹と話し、その後、首を絞めているわけで、意図的な行動です。それでも、実際に葦毛をと殺すという瞬間のことをどこまで覚えているのか、公判記録を読む限り、よくわかっていないような印象です。

もちろん、これにはいくつか仮説があって、本当に兄が精神的な病の状態で、自分の行動を覚えていないような状況だったという可能性と、裁判を有利に運ぶために、あとから精神病のふりをしているという可能性もあります。実際、精神鑑定で精神病と鑑定されるための方法を詳しく書いたネットサイトなどもあるようで、「こうすれば、人を殺してもすぐにシャバに戻ってこれる」と豪語しているような人物もいるようです。真偽のほどはわかりませんが。

このふたつの可能性をとりあえず排除するとして、改めて公判記録を読むと、この兄がどことなく現実を生きていないような、宙に浮くような生を送っていたのではないかという印象を持ちます。浪人していても、大学に受かるとは思っていないし、それなのにいつまで浪人するか、もっと容易な大学に切り替えるか、といったことはほとんど考えていないし、考えていないことを問題にも感じていない。その点を質問されると「考えるべきでしたね」というような、他人に判断をゆだねているような答えが多い。それでも妹が生きていればどんなに良かったか、と言うようなことはいう。

この、他人の意志に従うように生きている感覚が、僕は今とても問題なのではないかと感じていて、最近の凶悪犯罪に対して人々が漠然と感じる不安なのではないかと思うのですね。以前なら、恨みだとか、社会への反発だとか、強い衝動があって犯罪に走った。いまは、自分以外の誰かに導かれているような感じで凶悪犯罪に走る。神戸の「酒鬼薔薇聖斗」は、「自分だけの神」の声が頭のなかで聞こえ始め、その声に従って男児を殺しているのですが、このように明確な、あたまの中の第三者がいなくても、自分の行動を自分で決めていない感じ、自分以外の何かが自分を動かしていたような感じの状態で犯罪を犯しているという点が共通しているような気がします。

このような「自分以外の誰かが自分を動かす」感覚は、こういった犯罪者に特有のものではなく、実は「普通の大人」にも共通のものなのではないか。どうでしょう、あなたは自分の意思をきちんと持ち、それに従って生きているという実感がありますか? 仕事に追われ、生活に追われ、消費することに追われ、自分で決めているのか、周囲に決めさせられているのか、わからない状況だと感じたことはありませんか?

少年犯罪の犯人を、「普通の少年・少女」と形容する感覚は、犯行の時の心理状態が、大人にもどこか共通点を感じ、自分が普通なら、犯人の少年少女も普通だろう、という意識が働いているからではないのか。

もうだいぶ前になりますが、少女を連続して殺してバラバラにした犯人、ミヤザキは、部屋に大量のホラービデオなどを補完していたということで、一気に異様なやつと呼ばれましたが、その裏で、同世代のオタク代表の大塚英志などは、「ホラービデオが大量にあることが異様なことなら、僕の部屋はとっくに犯罪者の部屋だ」と書いています。ホラービデオが積んであることが犯罪をおこすのではなく、別のメカニズム(第三因子)が犯罪につながるのだということを証明するために、大塚英志はミヤザキの弁護人になっていますが、その別のメカニズムとは何か、僕はずっと気になっていました。

もしかしたら、この「現実を生きていない感覚、誰かに突き動かされている感覚」があるかどうかが、大きな分かれ道になるのではないかという仮説を、最近もっています。この「誰かに動かされている」感覚がひどくなれば、それは分裂病だとか、境界性なんたらという精神疾患に該当するのでしょうが、むしろ重要なのは、この「動かされている感覚、自分の生を生きていない感覚」は、いまの多くの大人、子どもに共通する感覚なのではないかという気がするのです。その、広汎な感覚が犯罪の原因になっていることに、人々は漠然と「他人事じゃない」気持ちを覚え、犯人を「普通の子ども」と呼んでしまうのではないか。

だからなんなのか、については僕もまだよくわからないのですが、「普通の自分」「普通の誰か」という理解の仕方に、何かしら問題の本質が隠れているような気がしてなりません。

もう少し考えてみますね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://w0.chieichiba.net/mt/mt-tb.cgi/482

コメントする