(by paco)[ 知恵市場 Commiton]291 ヤマガラの森・Think Globaly, Act Locally

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★有料版からのサンプルとして転載しました。お楽しみください。

(by paco)環境問題に本格的に取り組み初めたのが2000年。僕自身のミレニアムプロジェクトでした。それ以前から知恵市場でも環境問題をテーマにしたMLをつくるなど、いろいろチャレンジはしていたのですが、自分の仕事のなかに位置づけたのがミレニアムのころから。

それから7年たち、いろいろチャレンジしたり、知識を深めるにつれて、考え方が少しずつ変わってきました。

最初の5年ぐらいは、企業の経営を環境に適応させることを考えてきました。そしてそれはある程度可能だという感触はつかめました。実際、トヨタやリコー、星野リゾート、他さまざまな日本企業が、経営に環境を組み込み、それをテコに使いならが経営を成功させてきたのですから、環境経営という方法論は十分以上に実質的な価値があることは確認できました。僕にとっては、企業を環境適応させるというアプローチが「正しい」ことが確認できたのは、研究の成果として満足のいくものでした。

そこで、企業の環境経営をコンサルティングか人材育成の面から支援することを自分の仕事にしていこうかと考えたのが、2?3年前です。環境報告書の制作の現場に入ってアドバイザとして関わり、なにをすべきかを提言したり、実際にそれにそった制作を行ったりする仕事をしてきました。また研修面でも、日本たばこ産業でマネジャー向けの研修を行うなど、いくつかの仕事もして、一定の成果を上げられたと思っています。

この仕事は、それ自体よかったのですが、問題もありました。まず、僕がめざすようなアプローチは、どの企業でも受け入れられるというものではなく、むしろ限られた企業でしか好まれないもののようでした。そもそもこういうタイプの研修を営業できる研修会社も限られ、僕自身がやりたいと思っても、コンスタントにやることは難しいことがわかってきました。

もうひとつは企業にアプローチした場合の効果です。企業の環境経営はまだ成熟度が低く、一定のメソッドに沿って深めるべきだという基本的な考え方ができあがっていません。そのため、ある企業では毎回研修の方法を変え、別の講師が別のカリキュラムで実施しする研修、というランダムな行動を続けたり、担当マネジャーが交代するとまったく違う方法論を実践することが目的になり、それ以前のマネジャーのやり方の善し悪しを検討することより、新任者の独自性を出すことの方が目的になっているかのような場合もありました。

さらにこのような研修を続けることで企業がはっきり、環境経営に向けて方向転換できるという実感も、こちらが持てないようなところもありました。これはおつきあいした企業が少なく、継続性もなかったので、よけいにそうなのだと思いますが、しかし、「この方法で環境は本当に良くなるのか?」という思いがいつもある感じだったのは事実です。

グロービスの受講生など、ビジネスの最前線にいる人に研修や勉強の機会を提供する試みも続けましたが、盛り上がったとはいえない状況で、このアプローチに未来があるのかというと、ちょっと違うと感じていました。

そんな中で、興味深い方向がふたつ出てきました。ひとつは、里山という日本独特の環境を題材にするおもしろさと、ふたつ目は東京のような大都市の企業より、地方都市や農村部に活動場所を求めた方がいいのではないかという思いです。

里山については、これまでもいろいろ書いてきたので、そちらも参照してもらいたいのですが、
http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/eco_society/070111_sonomama1/
http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/eco_society/070118_sonomama2/
http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/eco_society/070125_sonomama3/
http://www.chieichiba.net/2nd/weekly/072bonchikankaku.htm
http://www.chieichiba.net/2nd/weekly/080workshop1.htm
http://www.chieichiba.net/2nd/weekly/084workshop2.htm
特に、上記の日経BPサイトでの反響を見ていて感じたのは、現代人の「自然」に対する認識のズレ、というか喪失です。

以前から、「現代人は自然に手を触れること自体をよくないことと考える」という指摘はあり、それ自体納得がいく指摘だったのですが、最近、この点がとても気になりだし、放置的内問題ではないかと思い始めました。自然に対する理解が不足すれば、そもそも自然とともに人間が生きていくという考え方自体がずれていき、最終的には崩壊してしまう可能性があります。

大きな話で言えば、自然を守り、自然と共に生きていくという環境問題の本質は、自然をどうやって自然のままにしておくかということではなく(そういう要素も一部分ありますが)、自然を人間の都合のいいように改造しながら、それによって自然を豊かにして、その豊かな恵みの一部を受け取って人間が生きていくということを意味しています。

人間は自然環境の一部であるということは、言葉としてはみなわかっているはずですが、その本質的に意味するところが誤解されてつつあるという感じですね。

人間が自然をいじったり、都合のいいように自然を変えたり、自然に働きかけながら生活するということ自体が、「環境に悪いこと」「人間の傲慢」ととらえている人がとても多くなっていると言うことに、最近僕は愕然としてしまっていて、これは単に「環境保護」という意味で問題ということではなく、人間のあり方そのものに関わる問題として考える必要があるのではないかと思えてきました。

里山という環境は、人と自然が一体になって、というより、人間が自然を都合のいいように変えながら、しかも自然も豊かになってきたという、自然と人間のかかわりがもっともよく見えている場所です。田畑や林業の森ほど人間の活動が優位ではなく、原生林や深海ほど自然が優位ではない、ちょうどバランスがとれている場所が、里山です。だからこそ、人間と自然のどちらがどのように役割を果たせばいいのか、相互の会話が成り立つ場所であり、かかわり方によって自然が豊かになり、人も豊かになり、共生することができる場所として、とても貴重です。

里山に人が係わる機会をつくることは、こういった自然と人間のかかわり方を再発見(というよりは、その人にとっては、新しく発見)する機会をつくることであり、この発見ができた人は、自然と人の付き合い方について、適切な理解を持つことができると考えるようになりました。

経営を環境適応させたいと考える経営者やビジネスパースンは確実に増える傾向にありますが、「適応」とはなんなのか、そのイメージや具体的な方向性が見えていないのが現状です。だからこそ、経営者が代わったり、マネジャーが代わったりするたびにコロコロ方針が変わってしまうことも起こるし、目に見えやすい「環境マネジメントシステム」や抽象的に過ぎる「社会的責任」という言葉でお茶を濁すことが増えてしまうのでしょう。

里山に関わる人が増えることは、単に自然に親しむ人が増えると言うことではなく、自然と人とのかかわりについて、深い理解を持つ人が増えると言うことを意味していて、そういう意味で、数ある環境についての活動の中で今一番意味が大きなものだというのが、今僕が持っている結論なのです。

今回、六兼屋のすぐ裏山を「Present Tree in 南八ヶ岳 "ヤマガラの森"」として整備することにしたのは、単に山の保全という意味ではなく、むしろ「人の保全」の意味のほうが大きいのかもしれない、と僕自身考えているというわけです。

環境経営というフレームで考えているときには今ひとつ抽象的だった僕の活動ですが、里山という場を設定することで、具体的になり、何をめざすのかも明確になってきました。「Think Globaly, Act Locally」という言葉は、昔から環境問題の行動指針として語られてきた言葉ですが、僕の場合はこれまで「Think Globaly」「Think Logically」のほうを中心にやってきて、今、「Act Locally」のフィールドをつくろうとしているというフェーズなのだと思います。

ということで、「Present Tree in 南八ヶ岳 "ヤマガラの森"」という活動は、参加する、あるいは寄付をする皆さん自身にとって、大きな学びのある場になると思います。まずは寄付という形を通じて、最初の関わりを持ってみてください。それだけで森が近くなり、森ってどういうところなんだろう?と考えることから、自然と人との本来のかかわり方を見つける第一歩を踏み出すことになるのです。

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