(by nana)休職した時のこと

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(by nana) 新年初めての投稿ですが、ずっと書こうと思っていた休職した時のことを書きたいと思います。

私が休職したのは2003年の2月から2ヶ月間。1月に休職する決意をしましたが、手帳を見直しても記載が少なくて空白の期間になっています。

当時は、自分の担当した新商品が世にでて半年ほどたち、まわりも更なる成長を求めて追い込みが厳しくなってきた頃。プライベートでは、グロービスのクラスをとり、論理思考も勉強し、グロービスでのいろんなコミュニティに顔を出し、趣味では茶道に打ち込み・・と、相変わらず、対外的には精力的に活動していました。その前の3ヶ月間はグロービスのクラスを2科目取っていましたし。そのくせ、うつで投薬を受けており、薬の量も全然減ってはいませんでした。

そんな感じで、対外的には「精力的」に暮らしていましたが、その前の1?2年間の勢いがあった頃と同じペースを躍起になってキープしようとしていました。体と心は疲弊していたのに、「どうしてあの頃のようにエネルギーが出ないんだろう」と自分を責めて追い込んでいた感じ。

実際、うつの典型的な症状として、朝きつくて、ひつはテンションがあがって、夕方からまた落ちる・・・というサイクルは変わっていませんでした。そんなある日の帰り道、ボロボロと涙が溢れてきて「もう疲れた、もう頑張れない」・・・と力尽きた、と感じた時がありました。(よく帰り道には泣きながら帰っていましたが)

そこから、休職を検討し始めました。うつの本を読んで、休職という選択肢が頭にありましたので。「仕事をやめたい」というのが本音でしたが、”うつの時は大きな決断をしてはいけない”というのが鉄則なので、それなら休職するしかないかな、と。週末に一人暮らしの家に母が来てくれた時に、ボロボロ泣きながら「休職する」と言ったのを覚えています。

実は、そこからが大変でした。

休職する、と言っても、いつどうするのか?手続きは?など、自分から調べて動かなければいけないことが意外とあります。何ヶ月休職するのか?とか、会社が受け入れてくれるのか、とか。

エネルギーが枯渇した人には、これはかなりな大仕事。でも、自分が楽になるためにはやるしかないんですね。

まずは、通っていた精神科医に相談しました。私としては大決断だったので、意気込んで「休職しようと思います」と言ったところ、「あ、そう。そうね、そうした方がいいですね」とあっさり。ちょっと拍子抜けしましたが、「それほどたいしたことではないのかも」とホッとしたところもありました。で、「どれくらい休めばいいんでしょうか?」と聞いたところ、「それは、医者からは指示できないんですよ」とのこと。

怪我などとは違って、うつの場合は完治する期間が人それぞれのため、○ヶ月という風には言い切れないようです。確かに、どのレベルまでいくと完治とするのかも非常に難しい。その時その時の症状で、働けるかどうか、というのは判断できるけど、期間はなんともいえないとのこと。なので、「こちらからはまずは1ヶ月、その後場合によっては期間を延ばしてくださいとしか言えない」といわれました。逆に、期間は私から言ってもらえば、その期間を診断書に書くとのこと。

少し考えて、1ヶ月では自信がないので、2ヶ月としてください、と言いました。

医者は、「上司は受け入れてくれそうですか?」と心配してくれましたが、「外資系なのでそういうところは大丈夫だと思います、投薬のことも話していますし、理解してサポートしてくれていますから・・・」と答えました。(よく考えたら外資系だからって根拠ないんですけどね・・・)

そうはいっても、上司に話すのは、とても勇気が要りました。これが最大の難関でした。いない間の仕事のことも心配でしたし、忙しい中、上司に私の仕事がまるまる行くわけですから。
反対されるかも、とか、冷たくされるかも、とかいいようのない不安もありましたし。

でも、ここで「休職をしたい」と自分の要求を通すために行動した、というのが、うつの回復に向けての第一歩だったんだな、と、今となっては思います。

真面目で責任感のかたまりみたいな私からしてみると、会社に迷惑をかけるというのは、一番避けたかったところ。仕事を成功させるために、自分を高めて、変えていく、というのがスタンスだったので、仕事以外のところで自分を大切にする、ということは、意識したことはあっても、なかなかできませんでした(そんなことできる資格がないと思っていたのもあります)。なので、うつでここまでこないと、自分を大切にするために、周りに迷惑をかける、という行動には出られなかったんだと思います。まさしく、この時が、初めて、自分を大切にするために、周りに積極的に働きかけた第一歩だったんですね。迷惑をかけてでも、自分を大切にしないと、もう立ち行かない、という心境まで追い込まれる必要があったんですね。

上司に話した時は、とても緊張しました。うつでひどい状態だと話すだけでも、涙が出てくるほど。自分では抑えられていると思っていたつらさが、こらえられずに溢れていく感じ。
平気で話せると思っていましたが、実際はダメでしたね。

上司はあっさりと、「そういうこともあるかと思っていた」と言っていました。最近つらそうだったし、一度、ゆっくり休んでもいいのでは、と思っていた、と。仕事の方はなんとかなると思うし、できるだけ早く休めるように手続きをする、といってくださいました。

この時は、大きいものに守られているような、安心感を感じました。

その上の上司の方々もすぐに理解してくださり、スムーズに進みました。私としては、上司の方々があまり深刻にならずに対応してくださったのが、本当にありがたかったですね。

その結果、話して2週間もたたないうちに、休職に入ることができました。

まさしく、案ずるよりも産むが安し、という感じで、自分が思っているより、周りは暖かいんだな、と感じた大きな出来事となりました。

実は、その後にも、考え方をかえる出来事がありました。いない2ヶ月間の間に、きっと上司と同僚が仕事も進めてくれていて、戻ったら新しいことが始まっているかな?と期待していました。というのも、普段から「何か新しい施策を考えろ!」と追い込まれていたので、それから逃げたかったというのもあったので。正直なところ、「いない間にアイディアを考えてくれてれば、進めるだけで済むかもしれないしラッキー」という淡い期待も。

実際戻ってみたら、2ヶ月前と同じ状態で、そのまま引き続きやることになりました(笑)。引継ぎ、あんまり必要なかったよな、なんて(笑)。「君が戻ってくるまで、仕事とっておいたから!」なんていわれてしまいました。

なんか、「私ががちがちに頑張らなくても、仕事って回るんだよなぁ」という気持ちと、「会社の要求にしゃかりきになって常に応えようしてたけど、そこまでしなくてもよかったのか?」っていう、肩の力が抜ける気持ちを味わいました・・・。

実はこれがかなり大きかった。これがきっかけになって、「肩の力を抜く」という感じが身についてきたんだと思います。

2ヶ月間はホントにゆっくりできて、かなり回復できました。好きな英会話を地道にやってみたり。追い立てられずに無心でコツコツと自分のペースでやるのって、ある意味、子供の頃の遊びに似ていますね。やはり休職をしてみて、確かにうつには良かったと感じています。

とはいえ、本格的に回復軌道に乗るのはまだまだ先だったのですが・・・(^_^;)

あらためてこうやって書いてみると、なんでそこまで自分を追い詰めていたかなぁ?・・・・、と不思議な気がしたりします。そう思えるのが回復した印なんでしょうけど。。

とにかく、“I'm not enough"という気持ちが強くて、ものすごく焦っていたというのは事実。

また今度、その辺についても書きたいと思っています。

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