(by Toshi)人のための国、人のための人

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(by Toshi) 先日、教育基本法が衆議院を通った後、方々で懸念の声が聞かれています。その懸念には僕も非常に同感なので、ここに書いておきたいと思います。

懸念を感じるのは「国のために人がある」という傾向が見られるところ。たとえば改定法案は「公共の精神」などを新たに盛り込んでいます。また、「教育の目標」に「我が国と郷土を愛する……態度を養う」と入れています。

しかしこれだけを見ると「別にそれはそれでいいんじゃないの?」と言う人もあるかもしれません。でも問題はあえてこれらをなぜ入れるのかというところ。現行法にも、社会に対する意識について記した部分は下のようにあります。

前文:
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

第1条 (教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

これにあえて上のような文言を加えようというのは、「国」や「公」を強調する方向への動きを感じてしまうのです。「国」とか「公」といった抽象的なものを強調した時に恐いのは、「人」が不在になってしまいかねないことです。たとえば、多くの人にとってプラスにならないのに「国」が負けないために戦いが行われるとか、GNPは上がったが潤ったのは企業と一部の権力者だけで多くの人は生活の質の向上を感じられないとか。

これに対して、「個人主義的な傾向が強まっているので、そこに手を打つ必要がある」という反論があるかもしれません。しかし、それならばやるべきなのは、「人」を気遣える人を育てること、そして人が生きる社会作りに「参加」していく人を育てることだと思います。

そしてそのためにまず必要かつ一番有効なのは、社会をリードしている(はずの)人たちがそれを実行することでしょう。汚職、不祥事、利益至上の企業運営、足の引っ張り合いばかりの議会運営ではなく、人を気遣い、人が生きる社会作りを自らしていく。もちろん僕らにもその責任はあります。そこに人のための国、人のための人を感じられれば、こどもたちは自然に学んでいく種や芽を得られると思いませんか? 

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