(by paco) Commiton271一歩を踏み出す人?クヌギさんのFavorite

| コメント(0) | トラックバック(0)

(by paco)有料版からの転載です。見本として、この記事のシリーズは公開しますので、ぜひお読みください?!

今週から、切り口を変えて再びライフデザインの話を中心にしばらく書きたいと思います。今週からしばらくは、僕のLife Design Dialogueに来てくれているクヌギーこと功刀貴子(くぬぎひさこ)さんのお話です。

彼女とは知り合ってすでに5年以上になるのですが、この8月に10年以上勤めた会社を辞めて、より自分らしい生き方に向けて、半歩踏み出したところです。「一歩」と言えればいいのですが、そしてその変化は「大きな一歩」と言えなくはないのですが、彼女の話を聞いていると、あえて「半歩」と言ったほうが良さそうな感じです。そんな彼女から、「会社を辞めたタイミングなので、私のことを取材して文章にしてください」という話をもらって、それはおもしろいと、先週ロングインタビューを行ってきました.

彼女とはこれまでいろいろな場で話をしてきたので、おおむね状況はわかっているのですが、改めて生い立ちから話を聞いてみると、なんともまったりとした生き方をしつつも、自分の大事な部分はきっちり獲得している独特のライフスタイルが浮かび上がってきます。

今回は、僕が著書「35歳からは好きなことでお金を稼ぐ」で提示した、Favorite×Style×Thanks×Moneyというフレームを使って、彼女のライフデザインのアプローチを書いていきたいと思います。

クヌギーと僕との出会いは、彼女がグロービスのロジカルコミュニケーションのクラスを(たしか2001年ごろ)受講してくれたときからなのですが、その時は特に優等生でも、特に劣等生でもない、どちらかというと目立たない受講生でした。けっこう考える力もあるし、仕事もできそうなのに、よくがない、という感じで、もうちょっとがんばればいい仕事ができるのにな?と思ったり。本人も「今の仕事で満足しているので、他の人みたいにこうなりたい!みたいなよくはないんです」といっていたように記憶しています。

グロービスにもたまに「間違えちゃった?」と感じさせるような、のんびりした人とか、現状満足度の高い人とかが来るので、そういう人だと思っていたのでした。そんな印象だったので、2004年に僕がライフデザインワークショップをやりますと案内したときに、彼女から参加の申し込みのメールもらったときには、へ???という戸惑いの方が大きく、現状満足度の高い彼女がなんでライフデザインなんだろう?と思ってワークショップに臨んだのと覚えています。実際ワークショップに来ても、「こういうことをやりたい!」と強い意思を持っているわけではなく、現状に不満だからなんとかしたいという思いがあるわけでもありませんでした。ただ、仕事環境は少しずつ彼女にとって不本意なものに変化しつつあるようで、今の延長線上に自分の未来があるのかという点については、気になり始めていたのです。

2004年、今から2年ぐらい前の段階で、会社での仕事より、もっと好きなことをやって生活したいという思いが強なってきた、ということで、今に続くひとつのターニングポイントになっていたのは事実です。でも、彼女の場合、それが誰かとの出会いとか、大きなきっかけがあって変ってきたのではありません。ろうそくがゆっくり溶けて短くなっていくように、会社への思いが減っていき、変って別の新しいろうそくが遠くに見えてきて、少しずつそっちに近づいてみたら、そちらの大きなろうそくに火がついてきた、というような感じでしょうか。釣り天秤に、100mgのおもりを1枚ずつ乗せていくような感じで、少しずつ、会社から別の道に気持ちが傾いていったのです。そのゆったりした流れは、見ている僕にとってはなんとももどかしい感じもあり、この2年間で何度もあったりメールをやりとりしていて、この人は本当はどうしたいんだろう?と思うこともたびたびだったのですが、そういうゆったりした変化が彼女のStyleなのですね、と次回の内容を先取りしておいて、今回はFavoriteの話です。

彼女の好きなことは、「本を読むこと」でした。

人と本の出会いは、けっこうさまざまです。子どものころから自然に好きだったという人もいれば、僕のように、小学校のころまでは本は大嫌い、図書館の時間は超苦痛で絵本でお茶を濁してきたけれど、今では人一倍本を読むという人もいます。

クヌギーの場合は、ごく普通に小さなころから絵本などが身近にあり、最初は童話を読み、その後、子ども向けの童話や小説を読むようになりました。でも何かをきっかけ日本が大好きになったというよりも、ひとつ読んだらまた次という感じで、熱中したというより、呼吸するように本を読んでいる少女だったのでしょう。もともと外で遊んだり、友だちと遊ぶより、家でひとりでいる方が好きな子どもで、家にいるから本を読む感じだったのですね。あるいは、本があるから家にいるということだったのかもしれませんが、いずれにせよ、「本がすごく好き」と一途に考えていたわけではありませんでした。

子ども向けの童話を一通り読んでしまった彼女は子ども向けの推理小説、たとえばエラリー・クイーンやエドガー・アラン・ポーの作品を子ども向けに翻訳した本を読んでいました。世界の七不思議シリーズや小さなモモちゃんのシリーズや、年齢相応の本という感じでしょうか。

中学にはいると「大泥棒ホッツェントロップ」「小さなスプーンおばさん」あたりから、新井素子、氷室冴子、さらに村上春樹ということで、読書体験としてはごく標準的というか、本が好きな人のわりにはませた選択はしていなかったといえそうです。

僕の友人の娘さんは、本が大好きなのですが、今中学生の彼女は、小学校5年生ぐらいから、おとなの小説を読んでいました。「世界チュー(世界の中心で愛をさけぶ)」とか、「いまあい」とか、同時代の流行小説から江戸川乱歩まで、手当たり次第読んでいて、図書館でめいっぱいの冊数をかいてきても、家まで待ちきれずに途中の公園で読み始めてしまい、家に帰るまでに何冊も終わってしまったというすさまじい読書欲の持ち主です。「そんなにはやく読んで中身を覚えてるの?」と聞いたことがあるのですが、聞いてみると、けっこうよく覚えていて、「ちゃんと」読んでいるのにはびっくり。まだ恋愛のことなどピンと来ないだろうという年齢でも、セカチューを読んで涙したりして、本の世界にちゃんとのめり込んでいるのでした。

そういう子どもと比べると、本が好きといってもクヌギーの読書体験は決定的に大きいとは言えず、それよりも「いつも身近に、そして切れ目なく、いつも読んでいる自分が普通の姿」というかかわり方だったのだと思います。

その後、私立高校に進んだものの、同じく学校の友達にはそれほどなじめず、とはいえ、孤立していたわけでもなく、わりとまったりと本を呼吸しつつ3年間を過ごしたといいます。この頃はどちらかというと現代小説というよりは古典小説、夏目漱石、太宰治、中原中也、芥川龍之介などを一通り読み、マンガも当時流行の浦沢直樹「MASTERキートン」など、ゆっくり味わいつつの読書人生でした。

「作家になろうとは思わなかったの?」と聞いてみると、「そういうつもりはなかった、読めれば十分」という、ある意味、夢のないタイプ。中高と部活にはいることもなく、まじめな学校生活と家での本が彼女の人生の中心でした。

僕は、中学の半ば頃から本に目ざめ、高校に入るころには小説を書くか、文章を書いて生計を立てたいと思うようになりました。高校では文芸部に入って年に何本か小説を書き、生徒会の広報誌ではコラムを書いていたので、「読む」と「書く」は直結していたのですが、クヌギーの場合は、まったくちがうの道を歩んでいたのでした。

そして、こういう本に対する姿勢が、今彼女がやろうとしていることに、完全にリンクしてつながって行くことになります。

ここで注目してほしいのは、本が好きという「Favorite」が、「小説を書く」とか「本を売る」「本を作る(編集する)」というような、既存の職業に直結していかなかったという点です。この点に、彼女が自分自身に対してとても素直に、率直に生きてきた姿勢が現れています。多くの人は、自分が関心のある分野があると、それに類する「職業」を探して、めざすようになります。それはわかりやすい「夢」だし、人にも話しやすく、自分も目標にしやすい。でも、既存の職業が自分の好きなことの領域に近いからといって、それが「本当にやりたいこと」だとは限らないのですね。そしてそのことにわりと多くの人が気がつかない。気づかずに「好きなことに近いけれど、ちょっと違う<職業>」に向かって進んでしまうと、それが実現に近づくほど、なんだか憂鬱になってしまいます。これでよかったんだろうか? 既存の職業にぴったり当てはまらないことは、職業として人に伝えにくいので、自分でも自信が持ちにくいのですが、それが自分のやりたいことなら、そこにフォーカスを当てていくことが重要です。

クヌギーの姿勢は、自分らしさを徹底的に守るという点で、頑固ですが、それ故に「これが本当の私の好きなこと」という強さを持っています。これが、Favoriteなのです。

さて、次回はFavoriteからStyleを見つけていくあたりの話を書いていきます。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://w0.chieichiba.net/mt/mt-tb.cgi/352

コメントする