(by Toshi) 次は食へ?

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(by Toshi) この暑い中、京都に行ってきました。直接の目的はgirl friendの実家が京都なので里帰りしていたんですが、その間に何人かの人に会って興味深い話ができました。

その中の一人が、同志社大学の今里滋教授。ご専門はソーシャル・イノベーションで、市民活動による社会の変化もその一つ。京都と福岡に活動拠点があり、学生たちと畑をやっていたり、いろいろな世界の人と町家で集まったり、そこで企画したイベントを市民対象にやっていたりしています。お会いするのは今回初めてで、友人が紹介してくれたのでした。

77うかがったのは江湖館と名づけられた町家。歴史を持った家の気持ちよさを持ちながら、古民家にありがちな暗さ、過ごしにくさは感じられなくて、いい感じ。そこが同志社大学のいわば寺子屋として使われています。

中を見るとなんか、人がたくさん(20人くらい)。実はお約束した時間の直前に、同志社大学食育懇談会というのがあり、京都を代表する料理人、農業生産者、行政、大学の方々が集まっていたのでした。懇談会は終わっていたのですが、ちょうど宴会の準備中。このメンバーなので当然、材料および料理は持ち寄り。実は僕は、宴会も含めて終わった後におじゃまするものだと思っていたので勝手が違ったのですが、これはこれでラッキー。期せずしてなかなかすごいポットラックパーティにご相伴できることになったのでした。

78で、料理に舌鼓を打ちながらいろいろな人と話していて思ったのは、「食というのは入りやすい、わかりやすい入り口なんだろうな」ということです。僕は2002年に世界旅行から帰ってきて、「日本人はもっと自然に触れる必要がある」と感じたので、農をなるべく自然なスタイルでやることを試してきました。そしてその中で、「これは学びの場としていいなあ」と感じてきました。野菜という命を育てていくのが学びになるのはもちろん、畑に生きているいろいろな生命に触れることが人の生命力を高める気がするんですね。人の中の自然を呼び覚ますというのか。

それはそれで今もそうだと思うのですが、経験したことがない人にとっては、あまりぴんと来ないかもしれません。わざわざ畑に行くのもめんどうだし、虫とか嫌いな人、不精な人にはなかなか難しい。つまrそこに人を引っ張り出すまでに少しかかりそう。

79これに対して「食」というのは、みんなにとって身近なもの、また基本的なものです。そこを入り口に、いろいろなところに話が持っていけます。たとえばちょっとでも食べることが好きな人と、あるいはこどもの健康を考えている人に、「元気な」素材を使った料理をそうでないものと食べ比べてもらえば、そこから「どうしてこの差が出るの?」「それは自分にどう関係あるの?」という話が出来るかもしれない。そしてそこに、農家の人や料理人が関わっていたりすると、より深いインパクトを与えられるかもしれない。

80実は僕は自分自身がそれほど食に関心なかったのでこれまでそういうことを考えたことがなかったので、これは一つの発見でした。でも、おもしろいのは、そのように考えてはいなかったけれども、行動では少しそういうことをしていたということ。たとえばこの季節になると、朝採ったキュウリやトマトを教室に持ち込んで、みんなに無理やり?食べさせていたりします。教室で火を使いたくないのでやっていませんが、本当はトウモロコシやエダマメなども出してみたいと思っていたりします。農薬も化学肥料も使っていなくて、採ったばかりの野菜は、ちゃんと野菜の味がするので、ぜひ多くの人にそれを実際に感じて欲しいなあと思っていたんですね。

というように、感覚的にやっていたことについて意義が見えてきたので、それをもっと意識して学びやアクションの場を組み立ててみようかと思い始めたところ。それがたとえば、冷房をかけて締め切った教室ではなく、外からの空気の流れを考慮して設計されたエコ建築の中で、ぬくもりと生命力を感じるような木の大きなテーブルについて、季節に合った手作りの食器を使って、とか。これらを多額のお金をかけてやるのではなく未来図に関わる人のネットワークを使って掘り出して...なんて考え出すと妄想?は止まりません。

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