(by Hideki - かりん) 体への罰、心への罰

| コメント(2) | トラックバック(0)

ここ数日のニュースで、こんな見出しをよくみかけました
「体罰は教育か?戸塚ヨットスクール校長出所」
厳しいスパルタ教育…ま、端的にいえば体罰による矯正教育で死者2名・行方不明2者
をだして、傷害致死で実刑判決がおりた戸塚氏の刑期が満了し、出所したことに関する
記事でした。インタビューで「体罰は教育(の一部)です」と、相変わらず自説を説き
変わらぬ姿勢を示す姿がTVでながれていました。

ニュースというのは時代の流れを映す鏡という側面をもつので、なぜここで戸塚ヨット
スクールがこうも取り上げられるのか?ということを考えてみても、学級崩壊・不登校
・いじめなどの問題を、教育のあり方がいろいろ問われている中で、ひとつの問題定義
として、「体罰」を考えてみようということなんだろうなと思っています。

あらかじめ申し上げておきますが、私は「体罰はあくまでも暴力による罰を与えるもの」
と考えています。それを「教育」という言葉で包み隠して正当化してしまうのは、一番
まずい。そう思っています。


確かに、体罰によって矯正(というのもイヤな言葉ですが)された、良くなった子ども
もいるかもしれませんが、それはそんな暴力を上手く受け止め、処理できる力をその子
がたまたま持ち合わせていただけで、いつでも誰でもそれができるとは思えない。

つまり、私は基本的に体罰については全否定です。勿論、緊急事態というのはありうる。
だから、本当に緊急措置として止むに止まれぬ場合を除き、体罰はやっちゃいけない。
体罰は、該当する子に対して、「一生に一回だけ」は行っていい。だけど二回はダメだ。
私はそう考えています。

ただ、このあたりの体罰を含めた教育のあり方に関しては、最近いろんな先生のブログ
とかを拝見してても、様々な考え方があり、上の私の考え方についても賛否が分かれる
ものと思います。そして、今回はその是非について論じようというのじゃありません。

気になったのは、とあるニュース番組でこんなことをキャスターが言ってたのです。

「戸塚ヨットスクールには、実は自閉症の方もいたんです。当時は、自閉症についての
認知も理解もほとんどなく、問題児として入所したわけですが、自閉症は後天的なもの
ではないことを考えると、そこでの体罰は非常にまずいことだと思われる」

この話をきいて、その情景が目に浮かび、とても暗鬱な気持ちになりました。
自閉症児が、ヨットスクールで叱咤され、体罰をうけている姿を。そして、その後に、
その人がどうなったんだろう?と。

だから、「体罰は場合によっては行っても良い」と考える、世の中の先生方、親御さん、
その他の大人の方々に、ぜひお願いしたいことがあります。体罰の是非についてのお考
えについて、いまはどうこういうものではありません。ただ、こと自閉症という障害を
もっている子どもへの体罰がどういう意味をもつのか?という点だけは、理解して頂き
たいなと思うのです。

席に着かない、好き勝手に大声で話して落ち着かない、言うことを聞かない…

これら集団行動をする上での「問題行為」は、自閉症児によくみかけられるものです。
もちろん、全ての問題児が自閉症なわけはありません。ただ、その問題行動をおこす子
ども達の中には、自閉症児も少なからず含まれると思われるのです。特に、障害の軽い
子は一見普通の子どもと同じにみえるので、一番多く時間を共にすごしているであろう
親ですら、なかなか気がつかないといいます。

だから、体罰を与える事が可能な方(学校の先生とか)は、体罰を与えようとする前に、
少しだけでいいから自閉症の可能性を考えてみて欲しいのです。そして、自閉症とはど
んなものなのか?どう対処すればよいのか?ということを、しっかりと勉強・理解して
欲しいのです。

・自閉症は後天的なものではありません。
 …育て方が悪いから、そうなったわけではありません。

・自閉症は生まれつき、人との関わりが上手にできない人です。
 …だから、そんな人に暴力で締め付けても、ますます関わりが持てなくなります

・自閉症の方の多くは、「フラッシュバック」というものに悩まされます。
 …何年も、何十年も前にうけた記憶を、あたかもつい今あったことのように、鮮明に
  記憶しています。体の痛み、心の痛みを含め、自分自身にうけた傷を忘れることが
  できません。普通の人が忘れてしまう「痛み」を、延々と浴び続ける事になります。
  そんな子に、体罰を与えたらどうなるか…


根本的には、自閉症児にはNGで健常児にはOKというものではないし、そもそも体罰
そのものに私自身は反対なのは冒頭に述べたとおりです。ただ、少なくとも個々の子どもの状況
とその強さ・弱さを本当にしっかりみていくべきだということは、誰しも異存がない点
でしょうし、その意味でも自閉症をはじめとした「障害」への知識と理解を、きちんと
しておくべきだと思うのです。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://w0.chieichiba.net/mt/mt-tb.cgi/217

コメント(2)

戸塚ヨットスクールの戸塚氏が「シャバ」に出てきたということで、わずかな発言の引用を目にする限り、いや?な気持ちになります。

僕自身はHidekiさんと同様、体罰は完全に否定する立場です。で、その根本にある考え方は、体罰に何かしら肯定的な価値があるかどうか、ということ以前に、体罰という方法で一を育てるという考え方は方法そのものが、絶望的に低レベルだからです。そんな方法を採らなくても、人間はちゃんと育てることができる。体罰を行ってもうまく育つ子もいるでしょうが、そういう子どもも体罰なしにもちゃんと育つ。それが信じられない人間は、人間を信じられない人物であって、そういう人物が人を育てる仕事に就くことの次元の低さに、情けない思いです。

教育に関わるものが体罰が行うのは、それを容認する大人が周囲にいるからです。もし読者のあなたが体罰を容認する立場なら、体罰「にも」いいことがある、という考えではなく、体罰「なしに」育てる方法があるということを、調べたり学んだりしてもらいたいと思っています。

ほんとにpacoさんのおっしゃるとおりですね。ただ、TVとかの討論だとか、ブログだとかを拝見していると、体罰を教育と思ってる方の中には、それを「信念」として、もう聞く耳をもたない感じの方がいらっしゃいます。戸塚校長は、その最たる例なんでしょうね。

かれらが、pacoさんのような方ときちんと話す姿勢をみせてくれればいいのですが…

かれらは、「自分はその子その子をよくみて叩いてる」というようなことを発言しています。「いつでもどこでも暴力をふるっているわけではない」ということの主張なんでしょうね。だから、それをいうなら、子どもの障害の可能性や、その障害へのきちんとした理解を本当にしているかどうかを問いたいのです。それを理解してもなお、体罰をふるえるのか?

ちなみに、自閉症をはじめとした、認知系の障害児に関わってきてる方…先生方で、体罰を積極的に肯定している人に、私は会った事がありません。

コメントする