(by ショウコ.i)好きの本質

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(by ショウコ.i)
披露宴に出席してくれる姪っ子たちに何かプレゼントできたらな、ということで編ぐるみのブタさんを制作開始しました。間に合うかどうかはわからないけれど、どっちにしろ前から作りたかったモノなので久しぶりに編針を手に。

一時は編み物教室でもやろうかしら?というくらいに没頭していた編み物、遠ざかっている間に忘れちゃったかなぁ?と心配でしたが道具を手にすると自然に手が動きます。
これはなんだか嬉しい。
そして今回は初挑戦・英語のパターンを読解しながらの制作なので新たなワクワクもあります。

さて
好きじゃない人には「なんであんな面倒くさいことを!?」といわれがちな編み物。
元来几帳面ではまったくなく、細かいことも苦手な私がどうしてハマってるのかなぁ?と自分でも不思議なのですが、「針を動かして毛糸をひっかけ、編み目をつくる」という行為そのものが私にとって面白いのだ、という説明が最もぴったりくるような気がしています。
きれいな編み目、編む姿勢(フォーム)、リズム、スピード、というところにこだわって次、もっと上手に次、、と繰り返しているうちに完成してしまう感じ。
あとは、マフラーみたいな形に変化のないものだとイマイチ食指が動かないことも考えると、増目とか減目とか、適度に変化が訪れるのも飽き性の私にとっては良いのでしょう。

編み物をつくるのが好き、なんじゃなくて 編むのが好き、なんですね。

編み物以外では「絵を描く」ということにも同じことがいえて、「何もないところに線を重ねていく」のが何より好きみたいです。暇さえあれば絵を描いているような子どもだった割にぬり絵は大嫌いだったし(自分の描きたいところに誰か他の人が先に描いちゃったよ!みたいなストレスを感じます。)白い紙と鉛筆を手にすると何を描くかなどと考える以前に手が動き出します。クロッキーなんかも面でなく、線で描くタイプですね。


こんなふうに好きを分解してみると自分の志向性とか、そこからつながる今後の可能性とかを考えるヒントになるのではないでしょうか。


例えば、私はギターを弾けるようになりたいな、と昔から憧れています。だけど「ギターを弾けるようになりたい」のと「ギターを弾きたい」は全然違う→きっと練習を開始しても他のことを優先してしまい、やがてフェードアウトしてしまう・・と思うので、今のところ時間とお金を投資をしてまでのギターへの挑戦は見送っています。

こういった「好きの本質は何か?」という問は、そのクオリティにも影響するように思います。「とにかくギターが弾きたい」から繰り返している人と「ギターをうまく弾ける自分」を目指して練習する人とではきっと身につくものが違うと思うんですね。

もちろん何かを成し遂げるにあたって、少し遠いところにあるゴールのイメージは不可欠。けれどそこに至るプロセスが自分にフィットするものかどうか、あるいは自分にフィットするようアレンジできるか、は見落としてはいけないポイントのように思います。

自分の可能性を必要以上に狭めてしまうというリスクは避けなければなりませんが、ある程度の経験を積んできた大人にとって、毎日の生活と仕事、また時間やお金の制約もある中で将来を豊かにイメージし、実現していくにあたっては、こういうアプローチを丁寧に繰り返してみるのは良いのではないかな?と思います。

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