(by まつおっち)
福岡生まれの私にとって、プロ野球の旧ライオンズ(西武ライオンズとなって埼玉に移る前)は
特別の思い入れがあります。小さい頃から毎年1-2回は、福岡の平和台球場にライオンズの
試合を見に行っていたからです。
当時は、すでに弱小チームとなっており、まともに勝ったゲームを見た覚えがないのですが(⌒o⌒;
それでも、球場で食べるおいしい「丸天うどん」が楽しみでした。
(丸天うどんは、どんぶりが隠れるくらいの大きさの丸いさつま揚げを乗せたうどんです)
さて、私が知らない黄金時代のライオンズで、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた鉄腕ピッチャー、
稲尾和久さんは、最初から大きな注目を浴びてプロ野球界に入ったわけではないことは、
私くらいの年代ならだいたいご存知かと思います。
(確か、数年前に日経新聞の「私の履歴書」に登場されましたよね)
稲尾さんの西鉄ライオンズ入団時の契約金は50万円、月給は3万5千円。
当時の大卒の初任給が8000円くらいだったそうですから、すごい高給ですね。
猟師をしていた実家は貧乏でしたので、契約金をみたお母さんは失神したそうです。
ところが、甲子園で活躍し、鳴り物入りで入団した同期の畑隆幸投手の契約金は
800万円だったそうですから、稲尾さんに対する期待度はそれほどでなかったことが
わかります。
そんな稲尾さんが入団してからやらされたことは、来る日も来る日も打撃投手。
打撃練習のためにひたすらボールを投げ続ける仕事です。
先輩からは、「おい、手動式練習機!」と呼ばれる始末。
(当時は、そもそも機械式の打撃マシンはなかったんですが)
打撃投手は、バッターの練習のために投げますから、自分の練習にはならない。
そう最初は思っていたので全然面白くない。やりがいを感じるはずもない。
でも稲尾さんは、この状況からなんとか這い上がることを考えました。
そして、稲尾さんはあることに気づいたのです。
打撃投手が2球連続でボールを投げると怒られます。
でも、ストライクばかりを投げてもやはり怒られる。
なぜなら、ストライクばかりだと、打ち続けなければならず、疲れてしまうから。
たまにボールが来てくれた方が、バッターも適度に休めるのです。
だから、一番バッターに喜ばれるのが、3球ストライク、1球ボールのパターン。
そこで、稲尾さんは、こう考えたそうです。
「4球に1球、自分の練習ができる」
それから、3球は、バッターが打ちやすいど真ん中のストライク。
残り1球は、外角低めギリギリ、内角高め、とコントロールを
磨く練習にしたのです。
打撃投手は、毎日480球も投げるそうですから、4球に1球としても、
120球は、自分の練習になる。
これでも、ほぼ1試合分の投球数に匹敵する数です。
おかげで、高校時代はノーコンだったのに、
プロのピッチャーとしては、
「針の穴をも通すコントロールの持ち主」
と呼ばれる制球力を身につけ、
以降ライオンズの黄金時代の最大の立役者となっていくのです。