(by Toshi)自然との共創、自然の中の共創

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(by Toshi)今回は少しタイプの違う共創について書いてみたいと思います。タイトルを見て「自分は自然派じゃないから関係ないや」と思った人も、読んでみると自分の領域でも活用できるかもしれません。

ちょうど今の時期のように日に日に暖かくなってくると僕は家の中に落ち着いていられなくなってきます。庭や畑に行きたくてしょうがなくなってくるんですね。:-)と聞くと、いわゆる「ガーデニング」や「畑仕事」をイメージする人がいるかもしれません。「Toshiさんってそういうのに興味があったんだ..」と意外かも。でも、一目現場を見てもらうと、僕がやっていることはこれらとはだいぶ違うことがわかると思います。

黒々とした土の上に花や作物がきれいに並んでいるという風景はありません。まず、この時期でも雑草や枯れ草で地面はほとんど見えません。作物はというと、あちこちに「棲息」しているという感じ。テレビで見るアフリカの草原みたいですね。集まって生えているものはなんとなくわかりますが、あちこちに点在しているものは普通の人だと見つけられないかも。どれが雑草でどれが野菜か区別がつかないんですね。「ここにシュンギク、こっちはルッコラ、そこにニンニク、葉ネギがあって、これはニラの芽、その向こうはホウレンソウとイチゴで...」と説明すると、この「原っぱ」の中にそんなに野菜がいろいろ「生えて」いるんだと、びっくりされます。

で、それの何がおもしろいかというと、まずとにかく美しい。野菜はもちろん、草も、虫も美しい。美しいものは見ているとエネルギーを受け取れる感じがします。次に、この「世界」を育てていくのがおもしろい。もちろん野菜を収穫するためにやっているんですが、野菜だけを育てるというより、野菜が健康に育つ環境を徐々につくっているという感じ。去年よりミミズが増えたとか、小さなクモがたくさん走っているとか、草が増えたとか、そういうのを見て喜んでいます。その中で循環を起こしながら、徐々に豊かな方向に向かっていくのを見るのが楽しいわけです。

ここまでを読んで「うーん、わけわからん」と思っている人も多いかもしれません。普通の畑では雑草は敵で、それが増えて喜んでいるなんてのはありえない。農薬を使って虫や雑草を駆除する慣行農業はもちろん、有機農業であっても草は抜きます。それを人間が手作業でやるから有機は大変だと言われます。

ところが僕がやっている自然農というやり方では、農薬や化学肥料を使わないのはもちろん、草は抜かない、土を(なるべく)耕さない、水もやらない、虫もあまりとることをしません。だから上のような風景になるわけです。でも、どうしてそんなふうにするのか。そんなんで収穫があるのか。

ここに共創が出てきます。野菜は生長するために、
 栄養、水分、光があること
 気温、水はけ、pHなどが適切なこと
 外敵にやられないこと
という三つの要素が必要です。慣行農業はこの多くを人工的に保っています。肥料や水をやり、ハウスで温度調節し、農薬で守るわけです。しかし、本来、野の草はそんなことを受けなくとも生きています。耕さなくとも、肥料をやらなくとも、農薬をかけなくとも、だいじょうぶ。ならば野菜も同じなんじゃないの?と。

たとえば草がどんどん生え、やがて枯れて微生物に分解されたり、虫たちがそれを食べ、排泄物にしていくことにより、土に栄養が供給されます。ミミズがいることで土が肥えて来るのはよく知られている話ですね。また、うちでは今はまだ始めたばかりなので生ゴミやヌカなどを堆肥化して施しているのですが、これも基本は畑や田んぼから取って来たものを返しているわけです。外敵、つまり虫については、その天敵が働いてくれます。カマキリ、テントウムシ、クモなどは、その例。また、害虫は野菜を食べると思うと害虫ですが、雑草も食べているわけで、それを分解して養分を増やしたり、野菜の間引きをしてくれていると思えば、悪いやつというばかりではありません。

つまり、そこに何も新たなものを入れない(=コストをかけない)一方で、野菜や土の養分をそこに住むものたちと分け合う(=独占しない)。すると、そこに棲むいろんなプレイヤーがそれぞれの役割を果たして、作物が育つための条件が整えられ、ちゃんと野菜が出来るようになる。しかも、その環境は、循環(生物→排泄物・死体→養分→野菜を含む生物の生長)を繰り返すほど、よくなっていくと。

そうやって出来た野菜は、水っぽくなく、野菜の味がきちんとします。そして、化学肥料や農薬のコストもかからず、草を抜いたり耕す手間もかかりません。

なんか、うそみたいな話ですが、自然が働いているのを見ているだけで何もしないのかというと、少しやっていることがあります。一つはちょうどよいタイミングに、よい組み合わせを考えて種まきや植え付けをすることです。たとえば根の張り方や光を求める度合いが違う野菜を組み合わせて、よいタイミングで植えます。またネギやニンニクなど草食の虫を遠ざける作物を組み合わせて植える手もあります。もう一つには、草をよいタイミングでちょうどよい量、刈ります。草はあった方が表土が乾かず、虫も分散するし、天敵の住処になったりもするのですが、背が高くなりすぎると作物が負けてしまいます。そこでよいタイミングで刈って(抜かない)やります。刈った草はやがて分解されて養分の供給源になります。

なんかあまりに話がうますぎる、信じられない、という人もいるかもしれません。でも、この冬、ちまたでは高いと言われていた葉物を、うちでは買わずに済んでしまいました。
これがどう他の世界に応用できるか? それはまたの機会に:-)。もう上のことだけで見えた人もいると思いますが。

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コメント(3)

Toshiさんの自然農は、とってもおもしろいんですよ(^-^)、現物を見たものとしては、なるほどなーと思わざるを得ないものがあります。

ではそれがなぜ成立しているかというと、たぶん、圧倒的に手をかけている、ということなのではないかな。要するに、畑に行く回数が、一般的な農法より圧倒的に多い。植物の個体ひとつひとつを観察し、最適な手を入れている。そういう知恵と手の投入が、Toshiさんの野菜作りを支えているのではないかなと。

一般的な農法では、知恵と手間は、農薬の開発やたい肥造り(普通は畑以外の場所にたい肥場をつくる)にかけ、農地では相対的に手をかけない、その方が、収穫が「読める」(必ずしも最大化することではないにせよ)のだよね、たぶん。

たとえば、Toshiさんは草や野菜くずを土にすき込んで(混ぜて)土に戻しているんだけど、普通これをやると、土に戻すために微生物が過剰に活動し、かえってバランスを崩してしまうと説明されいるよね。僕も野菜くずはいったんバケツで微生物発酵させてから土に入れているわけで、こういう手間をかけないと、いきなり土に入れると植物には負担になる、という話なんだけど、たぶん、野菜の生育を見ながら入れる量をかなりまめに調整しているので、バランスが保てているのではないかな。

つまり、ものすごく繊細な観察とフィードバックによって成り立っている、という印象。つまり、知恵や手間を、どこにかけるかという違いなのではないかなあ?

確かに、慣行農業のやり方よりも、まめに見る必要はあるし、注意を払って作業をする必要もある。たとえば雑草の量を適量にしようとすると、がーっと除草剤をまいて、というようなやり方はできない。ここは刈って、そこは残して、作物も刈ってしまわないように気をつけて..とか。

ここで効率を考えると、見合わないといった話になるんだろうね。たくさんは、やれないとか。でも、自分にとっては、自然を知り、手先が器用になり、そういう小さな自然の世界ができていることに喜びを感じ、そして、素性の知れた収穫が得られる、これはすごく大きい。ちょうど、ジムに行って、絵画鑑賞に行って、イングリッシュ・ガーデンづくりを楽しんで、さらに生きた野菜が食べられる、みたいなものかな。

ちなみに生ゴミはそのまま槌に入れると問題があると言われているのは知っている。でも、そのままやったり(土と混ぜることもあまりしない)もする(^_^)。これは、数日分程度の生ゴミなら、実は大した悪影響はない、つまり自然はけっこう緩衝力があるのでは、という仮説を試しているため。これが一般の畑のように「他に何もいない」というシンプルな状態だとそうはならないだろうけど、いろんなものが雑居しているところで、少しずつやれば、自然は変化のショックを吸収してしまうのでは、ということを試してみている。

はじめまして。
 幾年かまえに同様の畑のはなしを聞きました、五月からやっています。伸びすぎた草は切るわけですね。
 よろしければ教えて下さい。野菜の種を播く時期がわかりません、参考図書等ご存じであられますか?

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