(by ショウコ.i)一人である感覚から抜け出そう。

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(by ショウコ.i)
夫婦で、近くに住む従姉妹の家に遊びにいってきました。
従姉妹は3姉妹。上の2人は既に結婚したので、当日集まったのは伯母夫婦、従姉妹姉妹とその夫2名に、私たち夫婦、私の弟夫婦の総勢11名。
この従姉妹たちと私たち兄弟(今回は来られなかった妹入れて三人)は小学生時代を本当によく一緒にすごしました。伯父がアウトドア好きだったこともあって、月に一回の登山、夏は海や山にキャンプ、冬はスキー。生き物も大好きな人たちで、車で少し走ったところにある山にカブトムシを取りにいったり、蛍を見に行ったり、また夜店で釣ってきたヒヨコを見事育て上げたりして過ごしました。(私は記憶にないのですが、売れ残りのヒヨコを10羽以上ももらってきて育てていたとか・・・大阪郊外のごく普通の一軒屋の中のすごい風景ですね・・・)
私はどちらかというとインドア派、外で走り回るのも虫も苦手だったのですが、それでもとてもよい経験をさせてもらったと今でも感謝しています。

さて、一番上の従姉妹、私と同い年なのですが昨年女の赤ちゃんが生まれました。もうすぐハイハイしようかという段階で、親戚中の私たちの世代で初めての赤ちゃんなので皆のアイドル状態です。(今回のパーティ時間中はすっかり眠ってしまって不在でしたが・・)自分が子どもを持つかどうかについては未だ結論を出せていないし、自分たちの結婚式がこれからなので夫婦での具体的な話し合いも今は「その後ね」ということで一旦ストップしています。けれど身近に赤ちゃんを見てるとやっぱり気になります。

ここ数年、「子どもを持つ」ことにはマイナスのイメージがつきまとっていました。理由は大きく二つ、「仕事との兼ね合い」と「学校を中心とする教育問題への不信感」です。子どもを産む、育てるということそのものにはどちらかというとポジティブな興味があるのですが、自分が社会とつながろうとすることと、子どもとのバランスを考えるとどうしてもしんどいな、と感じてしまっていました。仕事を持ちながら子どもを育てれば仕事に注げるパワーは減るし、注ぐパワーの少ない人材が職場にいると周囲にしわ寄せが行く。自分のキャリアにも影響する。また、教育問題についても「近頃の学校では授業が成り立たない」「あまりに道徳観の欠けた親が多すぎる」という話題がマスコミ、子どもを持つ知り合い、教師をやっている友人から聞こえてきて、教育に興味があるが故よけいにしんどく感じてきたのです。
でも結婚した後、理由の一つである「仕事との兼ね合い」については随分すっきりしてきています。
以前の日記、
http://www.chieichiba.net/blog/2006/01/by_ipart_of_mylife.html#more
でも書いたとおり、仕事のルールやスタイルは自分で決められるんだ!という希望のようなものが自分の中に確立してきたからで、子どもを持つ、育てることも自分のスタイルの中に組み込んでやってみたい!と考えられるようになってきたからです。一方の「教育問題」との付き合い方については未だすっきりできずにいるのですが・・・

それでも今回、パーティで気心の知れた大勢の「仲間」とお腹の底から笑いながら盛り上がっていると、ごくごく自然に子どもを持つということをイメージしている自分に気づきました。こんなに大勢の中で子どもも大人も一緒に過ごせたらすごくおもしろいなと感じたのです。同時に「孤独感」と「子育ての不安」の結びつきは強いのだな、ということも改めて考えました。
考えてみれば「仕事と子育ての両立をどうしよう?」という不安も、「教育を取り巻く環境とのつきあい(あるいは戦い?)どうしよう?」という恐れも、自分一人、あるいはよくて夫婦、家族単体だけが子どもを育てる主体であるという無意識の前提からきています。
また実際問題、世の中で起きる子どもや子育て中の親を襲う悲しい事件や問題の多くも、その原因の一つには必ずといっていいほど周囲からの孤立、周囲の無関心(目が届かなかった、ということも含め)が絡んでいるようです。

今の世の中、そうは言っても普通にしているとどうしても「濃い人間関係」からは遠ざかってしまいがちです。「厚かましいくらいに積極的に人との関係をつくりにいく」いわゆる世話好きの人が減り(厳密には減ったわけではないのでしょうけど)、生活スタイルの分散化で同じ時間を共有することも難しくなってきている。でもそのことが人生の幸せ感にマイナスの影響を与えているとするならば?
私には幸い、同じ年頃で、かつ結婚した時期も重なる従姉妹や兄弟が近くにいます。この仲間たちの存在を「ベースキャンプ」としてこれからつくる人生や家族を考えてみたいと思いました。私が恐れている教育問題について、彼ら彼女らと必ずしも共有できるのかどうか?あるいは共有できたとしてうまい解決方法や付き合い方を見出すことができるのかどうか?それはわかりませんが、今回もまた「周囲との関係の存在を見つめる、信じる=発見する、手に入れる」ことで少し違った考え方ができそうな気がしてきました。
直接の従姉妹同士だけでなく、その配偶者も自然に受け入れてくれる皆と、皆の中に自然に溶け込もうとしてくれる夫たちにも感謝ですね。
彼ら彼女らと、また皆の仲間でいられる自分に謙虚さと自信を持って、さらなる「関係の発見」に(伴って増えるであろうトラブルとの出会いも含めて)積極的になってみたいなと思っています。

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ショウコさん、こんにちは!
フィリピンは子供はコミュニティーで育つ感じですね。
平たく言えば隣近所のおばちゃんがまとめてみんな面倒みるし、子供も平気で近所の家に上がり込んでご飯を食べているみたいです。
最近日本では「知らない人をみたら信じちゃだめよ!」が身を守る為に当たり前になってきていますね。子供は幼い頃から人との繋がりに慎重になり、機会をどんどん無くしていることが、間接的に子供の心の問題に繋がっているのでは、、、と感じます。
とは言えフィリピンは「本当に図々しいガキだ!」まで教育されてしまうのも問題ですが(笑)僕も6月にはパパになります。よい子になって欲しいです!

takeさんこんにちは。
コメントありがとうございます。
人間関係って濃いと「うっとおしく」感じてしまったりして、心地よくするのは難しいものかもしれませんね。でも、なんとなくですが「ずうずうしい」ことの問題のほうが「独り」の問題よりも健全なのかもしれないな、と年々感じるようになっています。
フィリピンのような環境で子どもを育てられるのはうらやましい!でもうらやましがっていても仕方がないので、さて、これからどうしようか?楽しくやってみます。^^

「仕事のルールやスタイルは自分で決められるんだ!という希望のようなもの」がわかったというのは、とても重要ですね、ってこの前も書いたと思うけれど。

なぜ若い女性たちが出産をためらうのかという意味が、改めてクリアになったような気がします。「職場に迷惑がかかる」という感覚は、「仕事の現場に自分を合わせなければいけない」という思いこみから来ています。しかし仕事というのは本質的には「自分の能力の一部を社会に提供して、代わりにお金をもらう」ことであって、社会からやれといわれたことをやることではないのです。

これは、そもそも学校の段階の問題で、「先生がやれというからやる」という日本の教育の弊害ですね。「何を学びたいの? だったらこれをやるといいと思うよ」というのが、教育の本質です。

会社の都合に合わせるのではなく、自分が何を提供できるかをはっきりさせる。そのうえで、「仕事」としての形を作る(いつやってくれるか、どこまでやってくれるのかを明らかにして、約束を果たす)。これがちゃんとできる人は、社会から干されることはありません。ちゃんと評価されますよ。

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