(by Toshi)共創は特別のことじゃない

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(by Toshi) 共創というと、いわゆる「いい人」たちが集まって善意でいっぱいの何かをやるというイメージがあるかもしれません。確かに悪いやつと何かをやりたいとは思わないんですが:-)、「いい人」じゃなきゃ共創をできないか、善意だけがエンジンかというと、そんなことはないと思います。共創はむしろもっと「普通」のことと言ってよいと思います。

たとえば僕は、論理思考について何か書いたり、講師をしたりというのを、SCHOOL OF 未来図の外でやることが時々あります。それを僕に依頼する人にとっては、それで読者や受講者が満足するものを提供できればビジネスになります。僕の方は、自分自身が知られる機会を増やし、結果として、未来図に来る人も増えるというメリットがあります。もちろん、講師料や原稿料という金銭的なメリットもあります。これだって、共創です。

と言われると「なんだ、そんなのは単なる普通のビジネスじゃないか」という思うかもしれません。ある意味、その通りで、だから「普通のこと」と上で言ったわけです。関わる人それぞれにメリットがあるように組み方を考えて何かをする、それで共創は成り立ちます。持ち出しでがんばっている人たちに支えられてなんとか動いていることにも、そういう組み方を見つけられれば、まさに共創が機能したことになると。

●共創(win-win)が普通ではない現実

しかし、ビジネスの世界を見ると、共創というかwin-winというのは、普通のことのはずが普通になっていないというのも、また言えることだと思います。多いのは、自分の利益を追求すると相手の不利益になるというもの。たとえばパソコンショップが手元にある売れないパソコンをなんとか売りたい。そのために、本当はお客が求めているものとは違うとわかっていても、「お買い得ですよ」と売ってしまうという話は、他のビジネスでも珍しくないことと思います。ビジネスなんてそんなもんだという意識も僕らの中にはあるかもしれませんね。たまに安売り店でもないのに安い店を見つけると「良心的な店」なんて言ったりするのも、「ビジネスとは良心的でないもの」という認識があるのかも。

でも、まだ上のようなケースならば「良心的でない」店は売れて得をしているわけです。つまり誰かが得をしている。ところが、関わっている人は誰も儲かっていない、得をしていない、という話もけっこう聞きます。たとえば以前に出版業界について聞いたこと。ものすごい数の新刊書(当時で月間100冊と聞いた記憶があります)が出る。書店は本の置き場と化してしまい、「よい本をお客さんに薦める」なんてことはとても出来ない。たくさんの本を運ぶため、腰痛は書店員の職業病で、まじめにやるほどその度合いはひどくなる。一方出版社も、やはりこの数をこなすために、一つ一つの本に割くエネルギーは減って、こなし仕事になってしまう。考える時間がないので手っ取り早い策として、誰かがやって、はやっていることをみんな真似する。

著者はがんばって書いても、書いたものはたくさんの本の中に埋もれ、最初に売れなければ日の目を見る可能性はほとんどない。安易な企画を与えられて書いた本は、やはり安易なものにしかならない。読む方は、たくさん新刊書が出るけれども本当におもしろい本にはなかなかめぐり合えない。普通の人は本への関心が薄れ、ものすごく話題になった本だけ読むことにする。結局、ベストセラー本を書いた人を除けば、ビジネスとしてもおもしろさとしても、得をしている人はあまりいない、ということになってしまう。そんな話でした。でも、元々は書店の人も出版社の人も、もちろん書く人も、本が好きでその仕事に携わり始めたのじゃないかなあ、と思うと残念な現象です。今はどうなっているのか、知らないのですが、一部の例外を除けばあまり変わっていないのではないかなあという感じがします。

●共創を普通にするには

というように、共創は本当は当たり前のことで人間の欲にも応えるものなのだけど、うまく行っていないことも多い。しかし、そこで知恵を絞れば、本来、自然なことなのだから、実はそう難しくもなく、よい結果が生まれるのではないかと思うのです。たとえばものを書く人も、読む人も、他の関わる人もハッピーになれる状態をいかにつくりだせるか、考える。本だけじゃないですね。あらゆるものを作り出す人と、それを使うことに喜びを見出す人と、その間をつなぐことをしようとする人と。

で、具体的にどうするかは、まだ考え始めたばかりなんですが(^_^)、二つのことがキーになるのではないかな、ということを今は思っています。一つは「売り場」。先日、たまたま絵皿などをつくっている人と話をする機会があったんですが、彼はこれまでやっていた百貨店で売ることをやめた、と言っていました。百貨店ではたくさんの商品に埋もれてしまうこと、お客さんも贈答用に買う人が多くて「無難」なものしか選ばないこと、でもこだわりがあるので丁寧につくっているから量をつくるのが苦痛だったと。しかしそこで問題は、じゃあどこで売るのかということです。なぜないのか不思議なくらいですが、どうもないらしい(^_^)。

そこでたとえば、大量生産ではないものを集めて売る店があったらどうか。たとえば「工房市場」なんて名前のチェーン店があって、この一つの名前で全国展開している。一つの名前でPRしているから知られているのだけど、仕入れは一括ではなく店長の目ききで地域にあった手作り品を仕入れている。全国に知られているのも、そういう店ということで知られている、というような。そこには服やかばんがあってもいいし、皿とか家具とかあってもいいですね。現在そういうものがないということは、きっと何かが難しいんだと思いますが、それをクリアするために考えることはできそうな気がします。僕自身はそのビジネスそのものに興味を感じないので自分では、やらないですが:-)、誰かがそういう店をやってくれたら買いに(売りに?)行きます。

もう一つ、キーになると思うのは消費者です。同じ趣向を持った消費者がもっと互いに情報交換をするようになったら、かつその人たちのそれぞれが「探索する」領域を持っていたらどうか。いろいろおもしろいものが掘り出され、かつ人に知られるようにできるのではないかと。既に口コミサイトはそういう役割をある程度、果たしていますね。そこにさらに、よいものを育てていこう、応援していこう、という意識が加わると、よいのではないかと思います。

たとえば未来図の教室の近くにラクシュミーというなかなかおいしくて安くて感じのよいインド・ネパール料理の店があります。クラスの後に行くと、いつもすいているので僕らはちょっと心配していて、応援したいねえと言っています。そこで「口コミ応援団」みたいなサイトがあれば、そこに書くでしょう。そして、はやってきたら、また他のところを発掘して応援するかなあと。

それには応援という意味もあるんですが、いろいろなそういう店を知っていたら、クラスの後の時間もさらに楽しくなるという消費者としてのメリットもあります。同じことは他のことについても言えます。おもしろい本(著者)、音楽(ミュージシャン)、旅行先、学びの場、健康増進の方法...。自分で見つけ出す楽しさと、それを人に伝えて喜んでもらう楽しさ、さらにはそれが育っていく楽しさなど感じられるといいのではないかなあと思っています。

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