(by Toshi) アリとキリギリス新ストーリー

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(by Toshi)イソップの「アリとキリギリス」という話ありますよね。夏の間にアリは、冬に向けてせっせと食べ物を巣にたくわえている。一方でキリギリスは遊んでばかりいる。冬になってアリは暖かい巣の中にいて食べ物もちゃんとあるけれども、キリギリスは寒くて食べ物もない。キリギリスはアリを頼るけれども、拒絶されて死んでしまうと。

備えあれば憂いなしという教訓のための話だと思うのですが、しばらく前から、別のストーリーもありうるよなあと思っています。下のような。

キリギリスは好きな歌をとことん歌っているうちにどんどんうまくなり、それで稼げるようになった。人前で歌うと、お金はもらえるし感動されたり喜ばれたり、なかなか充実した日々を送っている。アリはせっせと食べ物をたくわえていたのだが、冬になっていざ食べようとしたら、カビが生えたり腐ったりしていて食べられなかった。食べらなかったことよりも、自分の努力が報われなかったことのショックで、アリは生きる気力を失ってしまった...

努力が役に立たないと言いたいのではありません。でも、今の日本を見ると、新ストーリーのアリのような思いをしている人がたくさんいるように思います。「将来のため」と言われて、好きかどうかにかかわりなく勉強中心に子供時代を過ごし、就職してからも「将来のため」「食べていくため」にがんばる。ところが、定年を迎えると、手持ちぶさたで誰にも必要とされていない自分に気がついたりする。

でも、「彼らはまだいいよ」と、その下の世代が言うかもしれません。「あの人たちはちゃんと年金で生活できるんだから」「年功序列、終身雇用の中でもらうもの、もらったんでしょ」 現役の世代は、「将来のため」と思ってがんばっていたのに、自分の順番がきたと思ったら「年功序列は終わり」とか言われていたりします。しかも、言われたことを完璧にやる教育しか受けていないのに、「言われたことをやっているだけじゃダメなんだよね」と言われて困っていたり。

一方でキリギリスのようなのは、お気楽でダメだと言われてきたけれども、どうもそうじゃない気がしませんか。たとえば最近、いろんなスポーツで、世界レベルで活躍する日本人の若い人が増えてきました。でも、彼らはかつての日本選手に見られたやたらとストイックな感じではなく、緊張感や自分を極めることも含めて楽しんでいる。水泳の北島選手の「超きもちー」なんか、まさにそうだし、サッカーの小野、ゴルフの宮里とか、みんな楽しそうですよね。

でも、それはトップにたどり着く人間だけだよ、という反論はありそう。確かにスポーツでプロのプレイヤーになろうと思ったら、そうかもしれません。

だけど、たとえばファッションが好きでファッションに関わりたいとしたら、デザイナーになるだけでなく、バイヤーもあれば、マーケティングもある。服を売るとか、自分で店をやるとか、いろんな関わり方にたくさんの需要があります。しかもこの世界、顧客のニーズを満たせていない面がまだまだある。

たとえば、本当に客のためにコーディネイトすることが好きで、そのためにいろいろ研究して服を売っている人がいたら、僕なんかその店に行ってしまいますねえ。そういう人って非常に少ないと感じるので。(誰か知っていたら教えて!)

というわけで、「極めるキリギリスになろう!」と、まず言いたいわけです :-) 。その方が幸せ度が高いよと。でも「なりたいのは山々だけど、難しいんだよねえ」という声がありそうです。

まず、自分のやりたいことがわからない、という人が多い。これまで「何をやるとよいか」は散々聞かされたり考えたりしているけれども、「何をやりたいか」なんてあまり考える機会なかった人が多い。すると不思議のように思えるけど、「やりたいことがわからない」となりがち。

やりたいことってのは、寝食を忘れて取り組んでしまうようなこと、ほうっておけばそっちの方に行ってしまうようなことですよね。でも多くの人が言うやりたいことは、世間で「よい」と言われていることであって、自分が本当にやりたいことではない、なんてこともよくあります。「とりあえず人の喜ぶ顔が見たいと思う」といっても、これじゃあまりに漠然としている。実際、人が喜ぶならなんでもいいというわけでもない。

実は僕も少し前までそうでした。こどもの頃はちゃんとやりたいことがあって、とことんやるこどもでした。でも、ことごとく「ほどほどにしておきなさい」と言われ、それにまたすなおに従うこどもでもありました。それでも自分である程度決められるようになってからは「何をやりたいか」はたぶん他の人よりも考える機会に恵まれます。でも「これだ!」とピンと来るものが見つからない。その時々でおもしろいと感じることはあっても、しばらくすると変わってしまう。そうなると一つのことに入れ込んでいいのか、もっと見極める必要があるんじゃないかと思い出す。でも、なかなか見極められない、という感じでした(^_^)。

それと、やりたいことがあっても、それで食えるほど世の中甘くない、というのがありますね。特に扶養家族のいる人は、「これだけは稼がなきゃ」という額が独身の人よりも高くなる。へたに今やっていることで稼げていると、そこから抜けるのは難しくなる(^_^)。

じゃあ、できないかもしれないじゃないか、本当に出来るのか?と思うかもしれませんね。

僕は、そもそも始める前から「出来るか、出来ないか」と悩むことにはあまり意味がないと思います。実現すればすごく楽しいことをやりながら生きていけるんだから、とりあえず何をやりたいのか、どうやったら出来るかを考えればいい。その上で、まだ無理だと思う段階では踏み切らなければいい。でも、どうやったら実現するかを考えたり、実現のために必要なものを手に入れることは続ける。すると「行けるんじゃないか?」と思うタイミングが来るかもしれない、と。来なかったら? 別に大して損をしたわけじゃないんだから、いいじゃないですか(^_^)。

どうでしょう? 極めるキリギリスの道を探ってみるというのは(^_^)?
(そうそう、僕自身の極めるキリギリスへの道の一歩として、SCHOOL OF 未来図のホームページのデザインをいよいよ正式版にしました。まだ手を入れる必要はあるんですが、なかなか気に入っています。よかったら見に来てください)

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コメント(2)

まさにまさに(^-^)

僕が「35歳から?」で書いたことと基本的に同じだな?と思うんだけど、それを「キリギリス」という切り口にしたのはおもしろい。僕も昔からキリギリスの方が好きです。キリギリスの方がうまくいく(かもよ)という、ストーリーがうまく書けなかったり、それに説得力がなかっただけなんだよね。

未来図のサイトもぐぐっといい感じになって、Toshiさんには珍しく、ビビッドなカラーだね。赤の色が絶妙ですばらしい。

今後に期待!

ありがとう(^_^)。色はコントラストを意識してつくってもらった。静と動、明と暗、硬と軟などなど。赤も含めて、ヘッダー部分はビビッドだったり華やかだったりする感じを出すのにけっこう苦労した。

ところで本文について(^_^)。状況が昔と比べてだいぶ変わって、キリギリスになりやすくなってきたとも思う。昔はバブル崩壊前だったら、ホントばくちというイメージだったんじゃないかな。

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