(by Toshi) 想定外を想定しよう

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(by Toshi)けさの朝刊の一面トップは「リスニング不具合続出 センター試験425人再テスト」でした。問題を聞くためのICプレイヤーの不具合が「続出」してしまったというものです。これを見た時、違和感を感じました。朝刊の一面トップになるニュースなのかなあと。

確かに大学受験というのは受ける人にとってとても大きなイベントですから、そこで問題が起きるのはけっして望ましくはない。でも、50万人を超える人が受験していますから、0.1%を切る問題発生率です。しかもリスニングテストって今回が初めてです。そして、うまく行かなかった人は再テストを受けることが出来た。これって、新聞トップに載せるほどひどいことなんだろうか。

僕は、そのくらいのことは起きる可能性ありと思っていた方がいいんじゃないの? と思います。海外に住んだり、旅行したりしたりしていると、日本ほど「想定外」のことが起きない国はないなあと思います。海外では、交通機関が時間にアバウトなのは普通だし、上のようなことをやって不具合があれば「交換すればいいよね」ですんでしまう国も多そうです。ATMでお金を下ろして表示の金額と違う金額が出てきてもびっくりしなかった、なんてこともありました。

そんな感じだから、予定通りに行かない可能性あり、と思って人が動いています。程度にもよるけど、その方がいいんじゃないのと感じることが最近多い。たとえば「もしかしたら電気は止まるかもしれない」と考えて、電気を使わない暖をとる手段を用意しておく。出張や旅行に行く時は交通機関が少々止まってもなんとかなるように計画する。試験のケースも同じ。

その方がよいと思う理由は二つあります。一つは、個人として、そのくらいの不確実性を意識していた方が健全だと思うということ。今あるものがいつもあると思っていると足をすくわれかねない。長くは終身雇用や年功序列がずっとあると思っていたらなくなったという例があります。熟年離婚でびっくりしてしまうのもそうかもしれません。何かの騒動で東証のシステムが止まることも、銀行でお金を下ろせなくなることも起きています。

そこで、自分の生活や運命に影響を与えるものが想定外の動きをする可能性はある、そう思っていた方が、たくましく生きられると思うんですね。試験で予想外のことが起きても動揺しないで力を出せる、というように。

もう一つには、今回のようなことが新聞の一面になるのはようではまずいとう問題意識があります。何か大きな変化を起こそうとして、ちょっと失敗をするとバシバシ叩かれてしまう。その変化の価値よりも、ミスの方に目が行ってしまう。そういう傾向が今の世の中にはある気がします。しばらく前に、ETC割引で実際の額と表示額に差があるというニュースを見た時にもそう感じました。その時の見出しは「タクシー混乱 ETC割引 最大120円過剰請求の例」でやはり一面トップ。この時は夕刊でしたが。

この時はプログラムの改修が間に合わなかったためとか。「実利のある割引は早く実施した方がいいと考えた」というのが首都高速道路株式会社の説明だったのですが、僕もそう思います。でも、新聞の一面で叩かれてしまう。そしてその後、あわててプログラムを改修しようとして、かえってゲートが作動しなくなり、あちこちで無料で通過させざるを得なくなるという、もっと大きな事態が起きました。これも当然、叩かれました。

でも、こういうことをしていると、危険を冒してよい変化を起こそうとするよりも、じっとしていて叩かれない方をみんな選ぶようになってしまうのでは。また、想定どおりに100%動かすために、ものすごいコストをかけるようになってしまうのでは? そうではなく、想定外もありうるよね、と想定しながらやっていく社会であった方がよいのでは、と思うのです。

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コメント(3)

問題意識は基本的に僕も共有しているのだけれど、Toshiさんが指摘ているのは、「試験を実施する側がちゃんとやれ」という圧力と、「試験を受ける側が、そのぐらいのことでうろたえるな」というメッセージと、両方を含んでいるよね。

で、たぶんToshiさんが重視しているのは後者の方だと思うのだけれど、僕がこの件で思うのは、「一発の試験というものがそれほど重たいものだ」という受験のしくみや、それを受験生に伝えるおとなのメッセージのつくり方の問題が大きいように思うな。つまり、受験が一生を決めるかのようなメッセージを大人が発信しすぎていたり、実際そういう制度になっているから、ちょっとしたことで神経質になる。

もっと機会が複線的で、希望を叶えるルートが複数用意されていれば、逆にこの件は「小さなこと」に相対化されていくのではないかと思うわけ。米国のように、「入るのは比較的簡単、出るのは大変」というようにしくみを帰るのもいいと思うけれど。

つまり、これだけプレッシャーがかかる中で「そのぐらいでうろたえない精神力が必要」というのは、ちょっと酷かなと。

僕も、いまの年齢になれば、そういう精神力の意味合いがよくわかるのだけれど、10代の時に受けた教育と、その結果持っていたメンタリティは、いまとはまったく別のものだから。

Toshiさんが指摘した問題を解決するときに、どこを変えるか、という問題だと思うけど。

こんちは

「フェア」という点では、聞こえる人・聞こえない人が出てくるということで、「問題」となるとは思います。ただ、再試験という解決策も出ているわけで、おっしゃるように左程大きな問題ではないですね。
(まあ、そこでトラブルになった精神的動揺はどうしてくれる!っと、アメリカあたりでは訴訟になる話かもしれませんが…)

ちょっとご指摘の点とは違うことになっちゃいますが、新聞が一面でとりあげたのは、むしろ「想定内」だからこそ、という気がします。ほらみたことか!・やっぱりトラブルが起きたか!、みたいな視点を感じます。

新しい取組みという関心の高いことなだけに、そういうトラブルは格好のネタだし、それを取り上げる報道の姿勢もわからなくはないですが、そういう視点ばかりに過ぎるのは、ちょっとねぇ、という感じがします。

そういう報道に踊らされないような、そんな視点を持っていきたいと感じました。

>Pacoさん

僕が問題にしているのは、受験生というより、これを一面トップで取り上げたマスコミだね。そして、センター試験とか受験を問題にしているというより、これは一例に過ぎない。だから他の例も挙げているわけ。もっと不確実さや失敗を許容できる姿勢をつくっていくべきじゃないの? ということだね。と同時に、もっと報道することがあるだろうと。たとえば、センター試験の変化によって、英語教育はよい方向に変わっているのか、とかね。

>Hidekiさん
まさに「待ってました!」と失敗に飛びつくメディアに問題意識を感じるわけです。ただし、そういう傾向はメディアだけでなく、全般的に日本には多いと感じます。それがものごとの完成度を高めてきた良い面もあるのですが。

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