農 agricultureの最近のブログ記事

(by環の花)
今日は、いい天気で過ごしやすかったが、明日はまた雨らしい。

今日ブロッコリー定植したのでいいのだが・・・。

そんな中、始まりました。石釜製作。まだ遺跡みたいだが徐々にそれらしくなる予定。

素材が廃品なので作り方も本のようにはなかなかいかず、結構その場の臨機応変型製作でやっている。

父親にも手伝ってもらいなんとかここまできた。

ここからが、いよいよ釜らしくなっていくのだが、どうなるかは手探り製作の為わからない。

そろそろこんなことをしている場合ではない時期だが、なんとかいい感じに仕上げ、秋にはこれでピザ&ナンカレーパーティーをしたい。

(by paco) 2010年3月1日(月)に、エコエグ講座「小規模有機農業はどのように可能か?」を行いました。

農業に注目が集まっています。その背景には、食糧自給率の低下や輸入農産物の安全性が問題になったこと、その一方で、景気悪化もあって若い世代に労働観の変化が起きて、農業という仕事を見直そうという動きがあることがあります。

今回は特に、小規模農業にスポットを当てて、注目が集まるほどに、実際に農業は仕事として成立するのか、という点について考えてみました。

今、農業の新しい形として見えてきていることに、大きく4種類があります。

(1)自給自足+お裾分けビジネス

このモデルの例として、知恵市場でも記事を書いてくれている百姓2年生「環の花」(茨城県)があります。2年ほど有機農業の研修をしてから、就農し、平飼いで鶏を飼い、卵を収穫。それと同時に、夫婦で耕作できる程度の畑に他品種を植えて、自分たちの食べるものプラス、お裾分け的に直販していく、というモデルです。このモデルの特徴は、住居や生活を質素にできれば、現金収入は最低限で済むので、整形が成り立ちやすいこと、うまくファンをつかめば、現金収入もそれなりに見込めるというものです。このモデルで成功するためのKSF(Key Success Factor)は、「研究熱心」でしょう。多品種少量生産で、高付加価値のものをつくるには、自然現象を徹底的に観察し、手をかけて作物を祖立てることで、よい野菜を作り、ファンをつかんで現金収入につなげる、というサイクルを回すと、成功の可能性が高まります。

(by環の花)

妻です。

昨日、茨城県の県北の有機農業者の集まり「のらの会」に初めて参加してきました。とっても温かい雰囲気の会でした。(20人弱いたかな?)
今回は一品持ち寄り形式で新年会&春まきの種苗検討会&グリーンふるさと振興機構から受け入れた脱サラ有機農業研修生の歓迎会でした。(研修中は県から紹介された家を無料で借りられるらしいです!)
本当に有機農業は助け合いの精神があって素晴らしいな?と実感できました。例えば、みんなでこの品種は良かった、イマイチだったとかの情報を共有したり、収入がない研修生に食べ物をあげたり、材木や農機具いりませんか?みたいな情報を共有したり、等など。

一人より二人、二人より皆で協力し合って楽しい時間を共有できるって素敵だなと感じました。参加できて良かったです。今後も宜しくお願いいたします!

※あと、お知らせです。プロフェッショナルの再放送があります。
11日の深夜12時45分?NHKです。見逃した方は是非!!

(by環の花)

妻です。

先日、アミューズさんから「畑のうた」の本が送られて来ました。

今年の5月にテレビ東京の「畑のうた」という番組に出させて頂いたのですが、その番組が書籍になったのです!!この本は番組で紹介した26の農家の放送をまとめた物ですが、またテレビとは違った面白さがあり、お勧めです!

都会で生まれ育ち、都会で働いている主人公(週に3日はコンビニかスーパーのお惣菜で済ませ、週に4日は外食、家の冷蔵庫には缶ビールとミネラルウォーターしか入っておらず、週に4日は残業し、週に3日は仕事に行くのが億劫になる)が全国の農家を転々と旅しながら、色々な人に出会い、少しずつ価値観が変わっていき、最後にはある大切な「気づき」に達します。私はその気づきにとても感動しました。これは、食べ物を食べている全ての人に考えて欲しい点であるし、これからは絶対に考えなくてはならないことだと思いました。

しかし大手芸能プロダクションであるアミューズ(サザンオールスターズや福山雅治も所属している)が、こんなにも真面目に、丁寧に、農業を見つめ、生産者の声を都会に届けようとしている事に驚きましたし、感動しました。

ちなみに本の最後は私が研修していた霜里農場の金子さんが出ています。同じ本に載ることが出来るなんて、とても嬉しいし、記念になります。

是非、書店に行った際は「畑のうた」?種蒔く旅人?をお買い求め下さい!!(女優、上野樹里が帯です。)

(by環の花)

先日脱穀した大豆のゴミとりをした。

そこで登場したのが「唐箕(とうみ)」という機械。これはこの家の前住人の方が置いていった代物で、蔵に眠っていたもの。いつかこれを使ってみたいと初めて見た時から思っていたが、意外に早くその時がきた。

原理はいたって簡単で、上から大豆を入れると、途中に羽が付いており、その羽を手で回すと、風で軽いゴミは飛ばされ大豆だけ下に落ちるという仕組みだ。
これが作られた当初は、かなり画期的だったんだろう。村で最初に買った人の家には見学者が何人も訪れたに違いない。

でも、確かに使ってみると結構便利。それもそのはずで、今でもホームセンターなんかに売っている「唐箕」は形も原理も同じ物で、動力源が手から燃料に変わっただけ。これが完成形なんだろう。

そんな感じで、10キロぐらいの大豆のゴミとりが一時間ぐらいで出来た。あとは大豆の選別をして、来年味噌作りとなるが、一年分の味噌がこの大豆の量で出来るかちょっと心配。

(by環の花)

妻です。

今日は雨降りだったので、ビニールハウス内に干していた大豆を棒で叩いて殻から出す作業をしました。自家用の味噌を作る為に育てた大豆です。

何しろ時間と手間のかかる作業です。叩いても出ないのは手で割って出したり、篩い(ふるい)に何度もかけてゴミを取り除いたり、最終的には唐箕(とうみ)を使い、豆だけにします。

はっきり言って、味噌を買った方が楽です。でも、この「お金の為に費やす時間」ではなく、「食べる為、生きる為に費やす時間」というのが新鮮で、昔の人はこういう類いの時間をかけて暮らしていたんだろうなと思いを馳せながら楽しんで作業出来ました。

まだまだ半分も終わっていませんが。。

(by 環の花)

妻です。

今月末で、都会から農村へ移り住んで1年、結婚して1年、有機農業を始めて1年、鶏と暮らして1年、全てが1年経ちました。

振り返ると、とても充実した1年でした。

自然と共に季節の移り変わりを感じ、色々な生き物達と一緒に暮らし、作物の成長を見て、ご近所のおばあさんと笑い合い、そんな毎日が新鮮で、とても楽しい日々でした。

また、毎日夫とずっと一緒なので、時には激しく喧嘩もしましたが、仲良く楽しく暮らせました。

そして毎日の食卓では、自分達で育てた野菜や鶏の卵を頂き、今までに感じた事のない美味しさや感謝の気持ちが湧いてきて、不思議でした。

私は結婚することになったから有機農業を始めたパターンですが、最近、この農的暮らしは現代社会にとっての答えの中の一つような気がしています。

今年、世界の飢餓人口は10億人を突破し(FAO発表)、先進国の搾取によって途上国の貧困は深刻さを増し、過剰な消費によって成長し続けなければならない経済は行き詰まり、日本でも格差は広がり、迫り来る食料や水の危機、軍需産業の拡大、核や原発の問題、日本の農林漁業の高齢化、家畜動物の虐待、環境破壊、地球温暖化、うつや自殺の増加、アレルギーや生活習慣病の増加、医療費の増加、もう挙げたらキリがないですが、とにかく無関心ではいられない事ばかりです。

この近辺だけでも若い世代の人達が都会から農村へ移り住み、お金では得ることの出来ない幸せを感じながら農的暮らしをしています。
うちにもこの1年の間に「有機農業(農的暮らし)をしたい!」と夢を持ち、見学に来てくれた人が何人もいました。
その人達には是非やってもらいたいし、微力ながら応援したいと思っています。

今の暮らしに疑問や不安を感じている方に是非、小利大安(少しの利益でも大きな安心)の「農的暮らし」を選択肢の中に入れて欲しいと思う今日この頃です。

あと追加です。

環の花ホームページの「やすリンク」を「やすけんリンク」に変更しました。そして農業仲間のリンクを追加しました。みんなやり甲斐を感じながら楽しそうに頑張っています。今後やってみたい方は是非参考になさって下さい。
あと、以前「家畜福祉」について調べている時に、北海道で乳牛専門の獣医さんをしている方のブログを見つけました。色々な分野に精通されている方で、とても勉強になるので、リンクに追加しました。良かったら見てみて下さい。

(by paco)知恵市場で書いてくれている環の花さん。今日も水曜日なので、宅急便で毎週の野菜と卵が届きました。おいしそうなジャガイモだったので、さっそく煮っ転がしにして食べちゃいました。美味なり、美味なり。

その環の花さんご夫妻、ちょうどこの秋で就農1周年ということで、こんな要旨のメッセージを送ってくれました。

「最近、出かけるときにも財布を忘れて出てしまうことがある。ふだんお金を使わないので、お金を持ち歩く習慣がこの1年でなくなった。東京にいたときは、何をするにもお金。一歩出れば電車バスに乗るのにお金、コンビニでお金。だからこそ、お金を稼ぐことに必死になるけれど、今の生活はお金の価値の比重がすごく低い」

リアリティがあって、なるほどなあと思わせるメッセージです。すばらしい。

自分たちがもともとこういう生活を望んで東京の会社勤めをやめ、農的な生活、自給自足的に作物と卵を作り、余った物を売ってなにがしかのお金を得る生活を始めた環の花さん夫妻。それをたった1年で現実のものにした努力もすごいけれど、そういう生活が今の時代の中でもちゃんと成立することを見せているということも、社会的な価値として大きいと思います。

(by環の花)

妻です。

最近、考えさせられた文章を二つ見つけたので、長文ですが時間がある時に読んでみて下さい。

※2004年の毎日新聞の記事を転載して書いた人の文章。
↓以下転載

「ヒューマンな価値観」
毎日新聞の福岡記者の「死」の現場を歩く第2部。
その中で、屠畜場で働く藤本さんはこう言う。

・・「私はね、焼き肉する時はうるさいんよ。自分でひと切れ焼いて、それを食べたら、次のひと切れを焼きなさいとね。いっぺんにいっぱいのせて焼こうとすると私が絶対許さん。いっぺんにのせたら、すぼらかしてダメになってしまうやつが必ず出るけんね。肉はひと切れずつ、自分で食べるしこ、自分で焼いて食べなさいとね。みんなうるさかと思うやろばってん、言わんではおれんとよ」・・

彼は台所に神棚を設置し、手を合わせることを欠かせない。

福岡記者の記事には第一部もあり、毎年何十万と犬や猫を処分している現場の取材である。

・・犬猫の処分業務を実際に行っている人々とのやり取りの中で、彼らの口から飛びだした言葉だ。
「必要悪という言葉のあるやろう。私らはそん必要悪たい」
そう言って自らを卑下する人たちに、私は抗弁した。
「悪じゃないでしょうもん」
「悪じやないならなんな」
彼らも食い下がる。
「善ですよ」
「善?、そげなこつ新聞に書いてみない。動物愛護家からどげな抗議の来るて思うな」
この人たちに自分らの存在を「悪」とまで言わせてしまう世間の視線に憤りを覚えた私は、勢いに駆られて言った。
「抗議ぐらい来たって構いやしません。社会の安全と環境を守っているこの仕事が何で悪ですか。善に決まってます。新聞にもそう書きます」・・

近隣から白い目で見られる保健所の人たちを前にして、そういいたくなる気持ちはわかる。いい記事だし、読めば記者もいい人だと思うがヒューマニズムに毒されていると言わざるを得ない。現場の人が言い分のほうが力強いことは続きを読めば明らかだ。

・・この取材の中で、安楽死処分を行っている人たちに「できれば一緒に作業させて下さい」と何度かお願いした。そうすることで、少しでもこの業務にたずさわっている人たちの気持ちに近づけると思ったからだ。だが、いつも断られた。「別に隠したいわけじゃないと。ただ、何の罪もない生き物を何十、何百といっぺんに殺すとだけんね。そんな思いをするとは我々だけで十分。ほかのもんにまでその気持ちを味あわせたくなかよ。殺さなんとは何の罪もない生き物だけんね・・

善とか悪とかヒューマンな価値観なんか動物には関係ねーんだ。僕はなにも処分する職員を責めるつもりは全く無い。おそらく福岡記者と同様、肉を食べたり、野犬などのいない衛生的安全な生活を望みながら、屠殺場や処分所を迷惑施設的に扱うヒューマンな連中に怒りを覚えている。以前2万匹のコアラを処分しようとするオーストラリアの記事 でも書いたが、数十万の犬や猫は職員によって処分されているのではない。日本人総体として殺しているのだ。先日、野良犬が多いある国のドキュメントを見ると、ナレーターの言葉には、日本より衛生面で遅れている印象が含まれているように感じた。本来なら日本にも何十万と野良犬がいてしかるべきなのに、せっせと殺しているだけのことだ。
記事の最後の方に書かれているのは処分する職員の切なる願いかもしれない。

・・犬猫を処分する業務に携わる人たちが仕事に割り切れなさを感じている理由の一つと して、安楽死させた犬猫の体がただちに重油で焼却さ れていることも あげられるかもしれない。(中略)日本でも戦後かなり後になるまで、処分した犬の体は徹底的に有効利用されていた。・・

↑以上転載

※以上の記事を受けて書いた北海道で平飼い養鶏をやっている方のブログ
↓以下転載

「鶏飼いにまつわる重い話」
 先日、「いのちを取り込む」にTBが送られてきた。記事はedaさんによる鳥新聞の「ヒューマンな価値観」だ。

 ここには、日本で生活する私たち人間の「安全を守るため」に「野犬」を殺処分する人たちのことが書かれているのだが、その中に「数十万の犬や猫は職員によって処分されているのではない。日本人総体として殺しているのだ。」という一文があった。
 
 実は、採卵養鶏という世界も、同じような職業の人たちを必要としている。私が今いおうとしているのは、恐らく想像されるであろう、経済効率が悪くなったという理由で産卵わずか1年の鶏を屠殺する人たちのことではない。

 それは、生まれたばかりのオスのヒヨコを殺処分する人たちだ。

 採卵養鶏にはオスは要らない。しかしたまごはオス・メスの産み分けはできない。したがって、ふ卵機から出てきたヒヨコの半数は、即座に殺処分となるのだ。
 オスのヒヨコを処分する仕事は精神的によくないと、養鶏仲間から聞いたことがある、だから長く続けず交代にするのだと。このことの真偽は確かめていないが、やりきれない仕事であることは想像に難くない。
 オスだと確かめられるためだけに生まれて、消える命。これをどう受け止めればいいのか。
 
 私たちは、わずかにオスも飼っている。でもそれは、メス100に対して5でしかない。一つの群にオスが多すぎても、喧嘩をしてしまってなかなかうまくいかないし、体が頑丈で肉にするのもむずかしいから、これ以上はやはり飼えない。

 だから私たちも、オスを少ししか買わないという消極的なやりかたで、やはりオスのヒヨコを殺しているのだ。しかも、自分では手を下さずに、ほかの人にやらせてその精神を傷つけている。

 そういう業を背負っていながらそれを忘れて、自分は命に対して誠実であるかのような気になりそうだったところに、ガツンと一発パンチを食らわせてくれた、edaさんの記事に感謝。

↑以上転載

以上の二つの転載記事を読んでとても考えさせられました。
私はオスヒヨコの事は恥ずかしながらほとんど知りませんでした。今回の入雛に初めて私も雛屋さんに着いて行って、そこの職員の人に会って、全てがリアルに感じたので自分なりに色々調べてみました。そして綺麗事では済まされない現実を知りました。
可愛い雛を見ていて苦しくなったりもしました。
何日も考え、今もはっきりとした答えは出ていませんが、今の私に出来ることは「感謝」することだけだと感じました。
オスヒヨコに限ったことではなく、全てが何かを犠牲にしてなりたっているという現実から目をそらさず、その中で少しでもいい方向に向かうようにと願い、努力し、感謝と思いやりの気持ちを忘れない。

日々食卓では、命を「いただきます」と感謝する。命を頂き、自らの命を繋げる。
毎日ヒヨコを見て可愛いと感じ、オスヒヨコの事を思い出し、鶏の憎めない性格を知り、孵化させる為に一生懸命温めている卵の体温を感じ、野菜が芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、次世代の為に種を残そうと懸命に生きている姿を見る。今のそんな暮らしは、つい忘れてしまいそうになる感謝の気持ちを思い出させてくれる。そこがこの暮らしの一番のいいところかもしれません。

(by環の花)

今日から、十月。

そして今日は「入雛の日」だった。うちでは春と秋の半年おきに雛を入れているので、今月で丸一年の我が農場では三回目になる。一回約100羽入れるので、現在鶏が300羽ということになった。

300羽となるとなかなか本格的な羽数で、もう立派な畜産農家かもしれない。(一般養鶏とは比べものにならないぐらい少ないが。)

ところで、今日半年に一度行く雛屋さんにいくと(そこは研修時代からの付き合い)、偶然僕が研修を受けたところの研修生がやはり雛を受け取りに来ていた。

その研修生は、たまたま僕が鶏担当を引き継いだ後輩で、色々と現在の塾の様子を聞いたりした。まぁ、相変わらずドラマチックな日々のようで、ちょっと懐かしくもあった。

今月で「農」のくらし丸一年だが、研修時代の日々ドラマチック生活に比べると平穏な日々すぎて、最近ちょっと刺激が恋しいかもしれないけど、これでいい気もする。

(by環の花)
今日は、台風の影響でほぼ一日中雨。

午前中は軽トラで水戸まで配達。うちの軽トラは雨だと時々エンジンが止まることがあるので結構緊張する。(以前交差点の真ん中で止まってしまった!)更に助手席に荷物を入れるため少々窮屈。早く軽ワゴンを買って雨の日でも心配ないようにしたいが、今の収入では車2台所有する身分には至らない。

今年4月に導入した雛が順調に育ち、大きさ的には成鶏にひけをとらないようになった。こうなると、もういつ卵を産んでもおかしくないので毎朝気にしながら餌をやっている。

現在は、やや卵が足りないぐらいだが、その群が産み出すと一気に卵が増える。それがコンスタントに売れてくれれば雨の日でも安心なワゴン車が買えるかな?

(by環の花)

最近雨が降らないと思ったら、今日梅雨明けしたらしい。

今年の梅雨の印象としては、雨が欲しい時に降って、そうでない時は降らないというとても都合のよい梅雨だった。

とはいえ、畑仕事は完全に追われており何から手をつければいいのかわからないような感じ。

とりあえず雑草に弱い作物から除草をと思ったりしても、野暮用があったりと思うようにはかどらない。
僕の場合、まだ妻や父親に助けてもらってるので、どうにか最低限の事はクリアーしてるが、一人では完全にパンクしてると思う。

来年はもう少し要領よくやりたいと思う。

(by環の花) 
今日は雨。

鶏の主食である小麦一年分を入れる為に作った倉庫の片付けをして、いつでも小麦を搬入できる状態にする。

今年は、7,5トン購入予定。相当な量になる。今回は大丈夫だと思うが、来年は更に鶏が増えるので、入りきるか心配。
それに伴い餌を混ぜる為の撹拌機も購入を予定している。

現在は、なんとか手(正確にはスコップ)で混ぜているが、そろそろ限界ぎみ。機械を使うと10倍の量を半分の時間で混ぜてくれるのだ。そろそろ機械に任せ、 そのぶん畑の方に時間が割ければいいと思う。
撹拌機を導入したり、鶏が増えてきたり、出荷が定期的にあったり、だんだんと本格的になってきた感じがする。
今のところ、ほどよい忙しさかもしれないが収入的にはまだ足りない。収入を増やす為には、規模を拡張しなければならないし、するつもりだ。

今後、労力と収入のバランスの見極めが大切になってくる。
仕事に追われる事なく、ある程度の収入を維持できるところにいたいと思う。

(by環の花) 

妻です。

本日の「畑のうた」(テレビ東京、日曜午前11時?)に私が昨年住み込みで農業研修を受けていた「霜里農場」が取り上げられました。懐かしかった。
金子さんはいつもインタビューでいい事を言います。有機農業一筋38年の金子美登(よしのり)さん。

「38年前、今のままでは農家は継がないと感じた。(農家は代々親から子へ受け継がれてきた)
でも農業はおもちゃやアクセサリーと違って、なくてはならないもの。農家は継がなくても農業の後継者は絶対に必要だと思い、20年前から研修生を1人ずつ受け入れ、今では毎年10人の研修生を預かっています。ちょっと疲れてきましたけど(笑)」

38年前、日本の農業の状況を憂い、直感で始めたそうですが、今は小さく循環する生き方としての有機農業(少頭羽の家畜がいて、畑と田んぼがあるのが日本の農業スタイル)にこそ明るい未来があると確信しているそうです。

私も研修中に美登さんに「正しい選択したね?」と言われていました。美登さんが始めた当時は農薬も化学肥料も使わない有機農業をやる人は変人扱いされたそうです。でも今や小川町の町議会議員も努め、有機農業の普及と環境保全に日々取り組んでらっしゃいます。
田んぼもアイガモ農法をやったり、エネルギーもバイオガスや太陽光で自給をしたりと色々挑戦されています。ギャクも面白い方です。

先人の苦労が今の私達の道を歩み易くしてくれているのだと改めて感じました。

(by環の花)

妻です。

前回の事故後、足が不自由になってしまった鶏がいます。たぶんあの時、下敷きになって足を痛めたのだと思います。歩く時に力が入らない様子ですぐに座り込んでしまいます。なので群れから離し、1羽で隔離部屋に入れています。(群れにいると乗っかられたりして弱ってしまうし、餌も食べにいけないので)
今日は、隔離部屋も狭くて可哀想だし、リハビリも兼ねて一緒にネギの除草をしました。草を沢山食べて、途中で気持ち良さそうに眠っていました。早く治るといいな。

(by環の花)

妻です。

今日、私達の完全なミスで鶏を4羽死なせてしまいました。

4月9日に入雛した小さい鶏達に法定伝染病のワクチンを実施しようと、皆を鶏舎の端に追い込んだ時のこと。さて、皆集まったし、ワクチンをやろうかなと思った時に、下にいた鶏がぐったりと動かなくなっているのに気がつきました。圧死です。鶏がおびえて重なりあった時に、下敷きになって圧死してしまったのです。
圧死がこんな数分で起こるなんて。本当に申し訳ないことをしました。「ごめんね、ごめんね」と謝って、羽をさすってみたものの、なんてことをしてしまったのかと思いました。

雛の時に寒さでみんなで固まってしまった時に3羽圧死させてしまい、もう二度とこんなことのないようにと思っていたのに。

本当に可哀想なことをしました。

(by環の花)
前回書いた日記の途中経過。一応今のところ芽が出たので順調かもしれない。
「現代農業」に掲載されていた「ごぼうの簡単栽培」なのだが、その写真によると、一畝ごとに綺麗なごぼうが出来ていたが、本当だろうか。ちょっと信じ難い。
今迷っているのは間引きをするか否か。

トタンの上10センチ位の土だけの養分でごぼうが出来るとは思えない。

危険分散で畑にも種をまいたが、そちらの発芽率は約2割でほぼ失敗。なので今年のごぼうはこの簡単栽培にかかっている。

SDIM1031.jpg(by paco)知恵市場ライターの環の花さんから野菜と卵を送ってもらっています。今週ははじめて野菜が届きました(実は前から、ちょっとお裾分けはもらっていたのですが)。

どうです、なかなかちゃんとした野菜でしょう(あたりまえか)。さっそく食べてますが、スナップえんどう、柔らかく、筋も少なめで、味もほどよく濃い感じ。水菜はけっこう歯ごたえばっちりで、サラダより、ちょっと炒めたりしたほうがおいしいかも。細いのはフキ、短いのはミョウガです。ミョウガは明日の朝ご飯に、オクラと一緒の食べようかな?。

大根は、見た目虫食いのあとがあっていまいちですが、切ってみると、やっぱりちょっと芯の方まで茶色くなっているところもちらほらあって、これはやっぱりもう一歩品質管理すべきかな?。大根おろしにして食べちゃったので、味はばっちりおいしかった。

卵は文句なしのおいしさです。最近は鶏たちが緑の草を多く食べるようになってきたのか、黄身の色が濃いめになってきました。

ごちそうさま!

(By Golden Green)

農業をはじめると言った時に、

「あっ、農業ビジネスね。」
「いままでとは違う農業で高付加価値、高収益なモデルを目指すのでしょ?」

なーんて言われていましたが、実はというか、全然そういうことには興味がありません。僕が目指すのは、地道なお百姓さんです。

高付加価値というのは、多くのものは「あれば便利(いいもの)だけど、なくても別段困らないもの」です。

(by環の花)

妻です。

先日テレビ東京がうちにきまして、一日半密着取材されました。24日(日)午前11時からの「畑のうた」という番組に出ます。のんびり楽しく農業しています。よかったら見てみてください。

(by環の花)
研修時代、辛かった仕事として記憶している中に、ごぼう掘りがある。

ごぼうは長いもので70?80センチもあり、それを一本づつ掘りあげていくのだ。
口でいうと簡単だが、70?80センチの穴を掘り進んで行くのは中々大変なもので、次の日は身体全体が筋肉痛になった。更に腰痛も。
そんな教訓があるので自分でやるときは、なんとかしたいと思っていた。

そんなおり、「現代農業」という農業の専門誌に、ごぼうの簡単な収穫方法が記載されており早速試してみた。(写真参照)

この方法がうまくいけば自分の中でかなり画期的な事。念の為、研修時代と同じやり方も半分やって両者を比較しようと思っている。

うちの畑は家庭菜園をちょっと大きくしたような感じだが家庭菜園と違うのは、僕はそれを生業としている事。いかに手を抜いて良いものを作るか、というのは今後大事なところになってくるのだ。

(by Golden Green)
先日、僕の師匠が師匠と仰ぐ、日本有機農業会のスーパースター、小祝正明氏の勉強会に参加してきました。

彼の有機農業の理論は、非常に明快でわかりやすいのです。

植物の生理がどうなっているか?
それをどうサポートすればよい結果を得られるのか?

一番ベーシックな部分から理論がスタートしているので、応用範囲が広く、或る程度理論に習熟すれば、演繹的に答えがみつけられるようになるのが魅力です。農業の理論のほとんどが帰納法的というか、経験則的なものなので、農業の経験日数イコール技術力になってしまいます。しかし、それでは僕のような新規就農者には、とても厳しい。3年たって、まともな作物ができないようであれば、農業から撤退しなくてはならないでしょう。
演繹的な理論があれば、努力次第でいくらでも技術力を高めることができます。こういう理論体系があったので、農業への参入障壁はだいぶ低くなったのではないかと感じます。少なくとも技術という点においては。

(by paco)知恵市場ライターのひとり、環の花さんご夫妻が、SPA!に載っています。それも、稲城南山を告発したSPA!号です。

こちらにファイルがあるので、クリックして読んでみてください。

と思ったら、僕の友人でもう一組、最近就農した若い夫妻(Golden Green農場)が居て、そのカップルと環の花さんたちが実はちょっとした縁(共通の師匠のラインで学んでいた)で結ばれていたことも判明。で、そのGolden Green農場ご夫妻にも知恵市場ライターとして近々登場してもらう予定です。お楽しみに!

友人、それも農業の輪が広がってすごくうれしいpacoでした

(by環の花)

田舎に移り住んで半年経った。

「農的暮らし」に憧れて、今こうしてその暮らしをしているのだが、今のところ、概ね有意義に過ごしている。
この暮らしをする前、色々な方から田舎暮らしに対して「そんなに甘いものではない」等の苦言を頂いたが、特にそれに値するほどの困難には今のところぶつかっていない。気持ち的には田舎暮らし以前より以後のほうが楽な気がする。

僕的に、一番心配していた「人との交流」も(こんな人里離れたところでは誰もきてくれないのでは?)暖かくなるにつれて、色んな方面(分野)からの来訪者があり、新しい環が広がりつつあるような気がする。
今後自分がどんな方向に進んで行くのかは僕にもわからない。 ただ今は自分のやりたい事をなるべく忠実に真面目にやろうと思っている。

そうすれば、おのずと自分のイメージする暮らしがついてくるような気がする。

(by paco)東京・多摩丘陵の中で、最後に残された里山である稲城市の南山。昨日、ここの視察にいってきました。去年の暮れにここで開発反対運動を行っている内田さんとお会いして以来、ずっと見に行きたいと思いつつも、忙しくてなかなかいけず、昨日、ようやくいくことができました。

以前、ここの開発反対運動の署名お願いを、知恵市場で書いたことがあるので、覚えている方もいると思います。

多摩丘陵の開発は、多摩ニュータウン開発として昭和30年代から始まり、山を削り、谷を埋めて、計画人口30万人の大ベッドタウンを現出させました。その間、どれだけの自然が破壊されたか、生き物たちがどんな目にあったかは、スタジオ・ジブリ作品「平成たぬき合戦ぽんぽこ」に描かれているので、見ていない方はぜひ見てほしいと思います。

稲城市にはこの多摩ニュータウンで開発された宅地が今の売れ残っているのですが、それとは別に、この南山地区が昔の姿のまま、残されてきました。これは奇跡的なことです。

(by環の花) 

最近畑仕事が忙しい。

何も無くても、草取りはあるので暇があれば草取りをしているので暇がない。

この前四月九日に雛が入った。今回で二回目ということもあり気持ち的には前回よりもだいぶ余裕がある感じ・・・。でいた。

前回は、自分のミスで5羽位雛を亡くしてしまったので(水が入ったバケツを雛小屋に置いておいたら溺死してしまった)今回は育成率100%目指そう。と思っていた矢先にやってしまった。

「圧死」である。寒かったりすると雛同士が固まって中央にいる雛が圧迫されて死んでしまうのだ。3羽死んでしまった。
これも、人為的ミス。もう少し気を使えば防げたかもしれない。

本当に雛には申し訳ないことをした。生き物を育てるというのは本当に難しい。

(by環の花)畑

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(by環の花)

妻です。

最近、畑も定植や移植で忙しくなってきました。
野菜も奥が深くて難しいです。セロリやレタスの苗がうまくいかず蒔きなおしたりして。水が足りなかったのかもしれません。
でも色々試してみたりするのも面白いです。
コンパニオンプランツの本を夫が買ったので少し試しています。野菜の側に雑草を移植したので近所の人がみたらビックリするかも。。

本日ひよこが90羽きました。(うち10羽は雛屋さんがおまけしてくれました)今もまだピヨピヨ鳴いています。おかあさんを探しているような声に聞こえなくもないです。

(by paco)知恵市場で記事を書いてくれている「環の花」さんは、ご存知の通り、今年、農家1年生の若いカップルです。いわゆる脱サラで農家をこころざし、研修と準備を積み重ねて、最初の商品を送り出せるようになったばかり。

で、僕としても応援したい気持ちもあり、卵の定期購入を申し込みました。

これまで、3回届いたのですが、おいしさと新鮮さにびっくり、卵の黄身がぷりぷりなのはもちろんなんだけど、白身まで二段になっていて、黄身となかなか分離しない。味はしっかりしているのだけれど、でもあんまりべったり濃厚じゃなくて、むしろあっさりさっぱりした味です。へんに人工的じゃないという感じが適切かも。

で、最初は熱々ごはんに生卵で食べたのだけれど、今回はハムエッグ、というか、普通に目玉焼きにしてみました。

(by環の花)
先日、地元のラジオ局の取材をうけた。

直売所に置いてある僕の経歴と農園の紹介のチラシをみて気になったらしい。
そういった、取材は生まれてはじめての経験だったので、ワクワクドキドキで取材にのぞんだ。

で、いざ始まると思ってた以上に緊張して思ったように話せず、その後かなり落ち込んで、誰にもその放送のことはいわないでおいた。
まあ、それには理由があって、僕はよく聞かれる質問に「どうして農業を選んだのですか?」というのがあるが、その質問けっこう苦手でいつも「なんとなく」とか適当にかわしていたのだけど、マイクを向けられると、それなりの答えをしなければいけないのかと焦ってしまい、そこからペースがみだれグダグダになっていったのだと思う。

が、いざオンエアーを聞くとそれが一つのコーナーとしてグダグダも上手くまとまっていた。編集マジックである。しかも僕が言いたかったことも最後にアナウンサーが非常にうまくまとめていてさすがプロ!!と関心してしまった。

まあでも今後またこういう機会がいつあるかわからないので、オフィシャル用の「どうして農業を選んだか?」の問いにたいする答えは用意しとこうと思った。

(by環の花)
妻です。

一昨日、実家の母から「EUがケージ飼いをやめるらしい」とメールがきました。へぇ?と思い、インターネットで色々見てみると、確かに「EUは2012年からケージ飼いを全面禁止する目標を掲げている」と出ていました。進んでるな、EU。
今まで散々ケージ飼いの卵を消費してきた私が今更「ケージ飼いは絶対にやめるべき!」なんて全く言えないけど、毎日鶏と接していて思うのは、彼らはよく飛ぶし、よく走るし、よく土を掘るし、よく砂浴びをするし、よく日向ぼっこする。だからウインドレスの羽すら伸ばすことが出来ない狭いケージで一生(卵を産まなくなって屠殺されるまでの1年?1年半)を機械の様に過ごさなければならない鶏たちは生きた心地はしないだろうなということははっきりとわかりました。。


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環の花ホームページ「やすリンク」にも掲載しました。

(by環の花)
先日テレビで、どこかの南の国の原住民っぽい人達がカワウソ漁をしている光景の番組をたまたまみた。

その漁は1000年も同じ手法で続いているらしい。そんな人達が暮らす部落にも着実に文明は入り込みつつあるようで、その漁で得た収入で、子供にバックを買ってあげるために必死にその漁をする親の姿が画かれていた。

結局、その日は不漁だった為にそのバックが買えるまでにはもう一歩魚の売り上げがとどかなかったのだが、そこで番組のレポーター(タレント)が魚売りに加勢して何とか通常の値段より魚を高く買ってもらい、無事メデタク娘にバックを買い与える事ができた。という話。

そこで思うのは、確かに子供にとってはバックが手に入り明日からそのバックで学校に通えるというのはこのうえない喜びかもしれない。が、本当にそれでいいのか?と思ってしまう。
「カワウソと共に1000年同じ暮らしを続けてきた」というところに僕はその原住民達の暮らしの素晴らしさを感じる。
そんな暮らしが、そのナイロン製のバックの為に破壊されるのではと、心配した。以前聞いた話しだが、会社の平均寿命は約30年という。確かにそんなものだと思う。市場主義経済(持続不可能なシステム)では30年位が限界なんだろう。元々その原住民達の暮らしにはナイロン製のバックなどは必要なかったはずだし、その為に魚をお金に換金して物を買うということはなかったはずだ。今はナイロン製のバックだがこれが洗濯機、テレビとなり、ますますお金が必要になり、しまいにはカワウソ漁よりも合理的になりエンジン付きの船で魚を一網打尽するような漁法になってしまうのではないか?その先には、魚の生態系を壊し、ひいては自然を破壊して、残ったのは、荒れ果てた川だったり森だったりと…そして本当に最後に残るのは、荒れた川や森からの恵みを得られなくなった原住民の人達ではないか。
文明を否定するわけではないが、人間の考える事は特にお金が絡むと往々にして短絡的な方に向かう。

僕はこういう暮らしをするようになって、より強く感じるのだが、変わらない暮らしを続けるという事は、その暮らしが持続可能であり、循環が成り立っており、どれだけ素晴らしいかという事を強く感じる。

わずか30年で潰れてしまう株式会社の作った商品で1000年の暮らしが壊れてしまうのは、とてもわりにあわない事だと思う。

IMGP3189.JPGIMGP3193.JPG(by paco)環の花の平飼い有精卵の、初出荷分を頼んであったのですが、今日届きました。

20個、宅急便で届いたので、さっそくあけてみると、ニャンコがやってきて、ひたすらクンクン。生協から届く卵のときは、こんなに反応しないのに。生協の卵もいいものなんですよ、味もいいし、黄身も白身もぷるぷる。でも、環の花たまごはちょっと違うみたいです。

開けてみると、たまごは不揃いですが、いい色つやです。さっそく熱々ごはんに生卵といってみます。

(by環の花)
鶏の産卵率も徐々に上がり今日は30個弱にまでになる。

畑の方もにわかに雑草が芽を出し、いよいよ除草のシーズン到来。
そんな中、畑にコンポストトイレを作る事になった。 初めはタイミング的にあまり乗り気ではなかったが、妻の強い希望により着工に踏み切る。

考えてみると、僕と妻が出会ったきっかけがパーマカルチャー(持続可能な暮らし体験会)で、そういう意味ではコンポストトイレはその証であり、象徴のようなものでもあるから遅かれ早かれいつかは作ろうと思っていた。

そしていざ作ってみると、これがなかなか鶏小屋のようにはいかない。やはりトイレとなると最低でも用がたせなければ意味がないわけで、その限定された用途を手作りで作るのはけっこう難しかった。そういう意味では普段何気なく使っているトイレは相当考えられてできていることに気付く。

父親の手も借り、何とか形だけは出来た。あとは使い勝手だが、もちろん市販のトイレに比べると三割引き位になるが、そこは自然に優しいということで相殺して貰いたい。
うちに遊びに来たかたは是非とも積極的に利用してもらいたい。

※建設の詳細は環の花ホームページの「これまでの歩み」をご覧下さい。

(by環の花)
今朝いつものように鶏の餌をあげていると、なんとあったのだ!!
地面に「ポコッ」とあった。
ついにきたっ!!
「初卵」である。たぶんこの文章から伝わる5倍位の感動があったと思う。
土地の整地から始まり、鶏舎建設、雛を導入して育てて、約一年。振り返るとあっと言う間であるが、内容は濃い一年だった。
ここまでいろんな人にお世話になった。

いよいよ、人生のセカンドステージの中の第二段階に突入である。
今までは、夢だけでなんとかここまでやってきた。これからはこの夢を出来るだけ永くみるための努力をしなければならない。とにかく始まったのだ。後戻りはできない。

昼、父親と奥さんとでその卵を割って食べてみた。
卵殻も自然卵特有の硬さで問題なし、黄身の色もレモン色、盛り上がりもかなりある・・肝心の味はと言うと、言うまでもないのであえて言わない。

僕は、言葉で自己表現をするのが得意ではないと思うが文章でもたぶん伝わってないような気がする。さっきも言ったが、今日は、記念すべき日でとても感動した2.17である。


妻です。

私もこんなにも感動するとは思っていなかったです。夫が鶏舎から卵を持って走って家まで来て「産んだよ!!」
そしてその可愛い小さな卵を手にした時、じわじわと涙がこみ上げてきました。生まれて初めて鶏に心から感謝しました。
なんて愛おしいのか。この感覚が育てる感覚なんだな。私達はその生の営みを頂いている、命を頂いてると初めて実感できました。

本当にこの気持ちは忘れないようにしたいです。

(by環の花)
だいぶ鶏も大きくなり、見た目は成鶏と変わらなくなりつつある。
雄鶏も今週ぐらいから、さかりがつき交尾をするようになった。これは放し飼いならではの事。これによって産まれた卵が有精卵となる。

となると、そろそろ産卵間近かもしれない。そうなると徐々に身心共に忙しくなる。趣味で鶏を飼っているわけではないので、卵が産まれたらもちろん販売しなければならない。売るとなると卵パックやパックに貼る説明なり伝票なりと色々と必要なものがある。
幸いに、うちの近くにはけっこう集客力のある直売場が何件かありそこに置かせてもらおうと思っている。

うちの卵はけっして安い卵ではない。「売れるかな?」と時々不安になったりもする。 まあやるだけのことはやった。もしダメでもやり方は他にいくらでもある。と、思いながらもやはり不安はある。

いずれにしても、もうそろそろ。

(by環の花)
入雛から約100日。

鶏もだいぶ大きくなり、大きさ的には、成鶏と変わらない位になった。鶏を毎日みていると、微妙な変化に気付く。最近の変化は・・

1、地面を掘る。もともと鶏は地面を掘る習性はあるが、最近は力がついたせいか、掘った穴がでかいので目立つ。

2、鶏同士よく威嚇し合っている。これは、序列を作っているのだろうか? もう少しすると群のボスが決まるのだが、今のところそれほど差がないため、いたる所で羽を逆立てて相手を威嚇している。時には、オスがメスに突かれて逃げ回ったりしている。

3、いつの間にか声変わりが終わってピヨピヨとは鳴かなくなっていた。オスはまだコケコッコーとは鳴かないが、近々鳴くと思う。 ただ研修時代に初めて知ったが、実際「コケコッコー?!」と鳴ける鶏はなかなかおらず、たいていは音痴だ。

4、そして、やたらと飛ぶようになった!! 頻繁に僕が作った止まり木にとまる。それは、良いことなのだが、今日ついに運動場のネットを飛び越えた!!
ネットの高さは180センチ位ある。余裕をもって作ったつもりだったのでまさかそこを超えるとは思わなかった。
まだ、飛び越えるのは1、2羽だと思うが今後多くの鶏が飛び越えるようになるかもしれないので今のうちに対処しないと…。

(by環の花)
おととい、「踏み込み温床」を作りました。

今回は落ち葉、米ぬか、豚糞(まだ鶏糞がたまっていないので、今年は養豚場から頂いた)、切りワラを使用しました。材料をきつく踏み込みながら、何層にも重ね、水をたっぷりかけます。

これで数日経つと発酵し、50度くらいのホットな温床になります。さらに数日経つと30度くらいに下がるので、そこに種をまいた育苗箱を乗せるという具合です。
寒いと苗が育たないので、人工的に暖かくさせる訳です。これを電熱線を使わず、自然のものを利用してやるところがポイントです。

昔の人の知恵がつまっています。

(by環の花)

「後悔先に立たず」なのだが、今、後悔している事がある。冬に入りめっきり作物の生育が鈍化しており、見渡すと緑がほとんどない光景が広がる。


「緑餌」と書いて、リョクジと読み、文字どうり緑の餌の事で、野菜や雑草の事なのだが鶏にとってそれはとても大切な物。穀類を基本とした餌は毎日与えるがプラスアルファーそのリョクジを与えるのがどんな栄養価の高い餌を与えるより鶏にとってよい事なのだ。

そんなわけで、野菜や雑草の無いこの時期はそのリョクジ集めに苦労している。
ただ、こうなる事は(冬になって野菜、草が減る)予想できたはずなので、秋に今頃実る野菜の種を蒔いとけばよかった。と、先に立たたない後悔をしている。

来年に、この教訓を生かす事にする。

(by環の花)
近所の人に中古で譲ってもらったビニールハウスがようやく完成して、やっと次の仕事に取り組めるようになった。

思えば、ビニールハウスの取り外しから数えると1ヶ月もかかってしまった。父親なり奥さんなりの助っ人が常時いてこれだけかかるのだ!

いかに、素人作りの効率が悪いか、という事だと思う。
これが会社だったら許されないことだろう。

このへんの仕組みをもう少しどうにか出来ないものかと時々思う。
会社が、僕のようにビニールハウスを1ヶ月もかけて作っていたら間違いなくその会社はつぶれる。だから、専門の道具と人で合理的に始めから新しく作りあげるのだが、そこに持続性が無いことが何となく腑に落ちない。

リサイクルするほうがコストがかかるといういまの経済の仕組みは長い目では確実に不合理なはずなのに…。
これは、仕組みの問題なのでルールを変えればさほど難しくなく改善されるような気がするが…。そのルールを変えるのが難しいのか?

やっと完成したビニールハウスの中に「温床」というものを作った。これは有機農業を象徴するような技だと思う。
藁で囲った枠の中に落ち葉や米ぬか、鶏糞をいれて、発酵させその熱を利用してな育苗をする。

その「温床」は育苗の役目が終わるとまた来年の苗を育てる苗床に利用する。実に無駄がなく持続性のある技である。

(by環の花)
妻です。

この時期、朝はとっても寒いので、畑は霜が降りて土はガチガチです。そうなると畑に植わっている玉ねぎの苗が土からペコッと浮いてしまいピンチです。放っておくともちろん枯れてしまいます。

なので霜が解けた昼過ぎに浮いてしまった玉ねぎをギュッギュッっと土の中に押し戻してあげます。

皆が美味しい玉ねぎを食べられますようにギュッ。
玉ねぎの苗を譲ってくれた夫の研修時代の先輩Mまるさんのご好意を無駄にしない為にもギュッ。
「どうか6月まで無事に」ギュッ。

(by paco) 玉村豊男さんの近著「里山ビジネス」を読みました。これはなかなか名著です、オススメ。

玉村豊男さんは、もともとライターとしてカードの会員誌のようなわりとスノッブな雑誌に寄稿していた方で、美食や世界紀行で知られてきました。そんな仕事をしつつ、軽井沢に移り住んで、いなか暮らし、というよりリゾートぐらいをしていたデュアルライフの先輩であり、実は僕と同じ都立西高出身の先輩でもあります。

その後、玉村さんは、絵画や陶芸などでも才能を発揮しているのですが、軽井沢から西隣の東御市(とうみし)に広い農地を購入して、本格的ないなか暮らしをしてきました。

(by paco)pacoが研究委員として関わってきた、総務省の政策「交流居住」ですが、ポータルサイト「交流居住のススメ」がカットオーバーしました。

参加自治体300以上、登録されているアクティビティは1200件以上。7月10日のオープンから1週間で1万アクセスを記録して、なかなかイキのいいサイトになりました。

機能としては、いなか暮らしのタイプを「ちょこっと」「のんびり」「どっぷり」「行ったり来たり」「学んでお手伝い」の5タイプに分け、さらに地域から分類して、検索ができます。主なコンテンツとしては、農業体験や味噌造りや機織り(はたおり)などの田舎的な作業の体験、自治体など地域からの支援情報が中心です。けっこうアクセスが多いのか、若干重いのが難点ですが、勘弁してくださいませ。

(by 中澤数人) 

 気がつけば、もう7月。このブログも、だいぶ間が空いてしまいました。最近は、一日がとても長いので(正確に言うと、夏至(6月21日)を境に、だんだんと短くなっているのですが)、朝の6時ごろから夜の8時ごろまで、明るいうちは、せっせと農作業に励んでいます。

 お日様が沈んでしまえば、農作業は出来ません。(収穫したものを袋詰めするなど、出荷作業は出来ますが)。デスクワークの感覚だと、仕事が終わらなかったら残業すればいい(やりたくないけど徹夜をすれば終わる(笑)とか)のですが、こと農作業に関しては、残業は出来ません。

 その代わり、農家さんは朝が非常に早いです。5時くらいになると、農作業をしている人もけっこう見かけます。朝飯前という言葉がありますが、本当に朝ごはんを食べる前に一仕事して、それを終えてから食べます。朝飯前の一仕事は涼しくて、気持ちいいし、誰からも声をかけられず作業に集中できるので、ずいぶんと作業効率がいいのです。

(by 中澤数人)
 前回の続きということで、今年やりたいことを書いておきます。

 今年は、ここ2?3年間、ぼちぼち考えてきたライフデザインを、実行に移す年です。3月からは、勤めている会社を休職し、群馬県吉井町の有機農家さんの下で、1年ほど研修を受けるつもりです。ただ、彼女は東京で働き続けるので、平日は田舎で研修、そして週末は東京に戻ってくるという「半農的な暮らし」になりそうです。

(by 中澤数人) 
 3連休も今日で終わり。僕はまだ、年末年始の休み気分を引きずっていたんですが、それも今日までですね。ここらで気持ちを引き締めて、今年やりたいことを宣言しておきます。

 まずは、僕の紹介も兼ねて、昨年(仕事以外で)やったことをいくつか。

 いちばん力を入れたのは、「緑の家学校」というNPOの有機農業体験講座のコーディネートです。【 緑の家学校 → http://midorinoie.hp.infoseek.co.jp 】